第6話 一声(5)
二人が自分の部屋に戻った後、マミは召喚の学術書を読んでいた。生徒では誰も読んでいなく、教師には苦笑されるような本。それほど難しい本だった。
マミは内容を理解することはできるのだが、実際にやってみることはできない。クレアほどの実力があればできるのかもしれないが、マミはクレアではない。
ある研究者が遺した本であり、主に召喚の際現れる光についてだった。光の採取は困難であり、採取しようと思うと召喚が強制的に遮断されてしまい、失敗するというような研究成果が載っていた。暴走することはどんな存在を呼ぼうとしても起こらなかったらしい。
それでわかったことが、光はコルニキアの物でも聖晶世界の物でもない、第三の世界の物だとわかった。または、世界同士を繋ぐ偶発的現象のどちらかだということ。
結局どちらかなのかは断定できなかった。
わかる前に研究者は死んでしまい、弟子たちは匙を投げた。光の採取には二回だけ成功していて、その光が入った小瓶を召喚しようとしたのだ。弟子たちは真似できず、研究を止めた。
二重召喚という、一度召喚した物を契約物にしてもう一度召喚するというものだ。
こんなことができるのは相当の腕である召喚士にしかできず、現代ではコロシアムの覇者である男、コロシアムの覇者だった女、コンクール最優秀賞受賞者の三人しか公には確認されていない。それほど困難な召喚法なのだ。
この二重召喚ならコルニキアの要素も聖晶世界の要素も含んでいるので、光の採取も可能となる。それでも、研究は結局完成しなかった。
「……こうやって頑張ってる人もいるんだから、私も頑張らないと」
自分の力不足で研究が続けられない、なんていうのは研究者として恥ずべき言い訳だとマミは思う。確かに二重召喚ができる人は限られている。それでも、他に方法がないかと探るのが研究者の務めだ。
そのためには、ある程度は召喚を自分でできるようにならないとならない。
「何か契約物あったっけ?」
学術書を適当にベッドの上へ投げて、部屋にある契約物を探した。生き物を召喚するわけではないのだから、正直な話が何でもいい。
空気があれば酸素から火が、水素と酸素から水が召喚できる。鉛筆からダイヤモンドを召喚することもできるのだ。
ただし、召喚に必要な物だけ聖晶世界に持っていかれるので、鉛筆からダイヤモンドを召喚する場合、木の部分は残る。この方法を用いてさっきの人間が放つ光の採取を可能としたのだ。
日常生活に困らない程度の物をピンク色の袋に入れて、召喚をしても迷惑をかけない場所へ移動しようと思った。もう夜も遅く、召喚には光がつきものなのだ。
このやる気を実技試験の前に、そして試験を受ける心構えとして発揮してほしかった。
結果として女子寮の屋上でやることに決めた。寝間着のまま来てしまったので、夜風が寒い。
部屋で行うと、召喚で汚れてしまうと思ったのでやめた。マミ自身失敗が多いので授業でやるだけでは足りないので練習するのだ。
練習を積み重ねれば感覚が掴めるかもしれない。それだけの理由だ。
ただし、お金がかかる。毎日ともなると、学生には厳しくなる。授業で使う分は残しておかないといけないのでそういう意味でも困る。
夏休みには短期バイトをしようとも思っている。部活にも入っていないのでちょうどいい。
一時間程度、召喚を繰り返した。二重召喚は力量からしてできないとわかっているので、一回も挑戦しなかった。
もしかしたらクレアならいつかできるのではないかと思えてしまう。割と真剣に。
試した召喚は一通り成功した。無機物も生き物も、失敗することはなかった。さすがに中級クラスはやらなかったが、下級も試してみた。ハーピーも成功したので、試験でやればよかったと後悔した。
「……やればできるんじゃないかな?私」
この時のマミは一種の興奮状態だった。こうまで連続して失敗しなかったことは初めてだったのだ。こういった時の人間は、割と調子に乗る。
マミも例外ではなかった。
契約物はもうなかったのだが、身の回りを探せばいくらでもある。そう、身もある。
マミは裁縫に用いる針を出して、それで左手の小指を指した。少量だが真っ赤な血が流れる。それを契約物にしようと思った。血を左手の平に溜めて、それを掲げた。
「一、 あなたは自由。
二、私が危険な時は守って。
三、健康な状態で現れて。
……以上を契約とします。現れて!」
たったそれだけの契約。そして契約物は人間の血。それだけが条件となった。成功にしろ暴走にしろ、召喚の光は現れた。
その光は今まで見たことないほど大きく、消えそうになかった。
そんな大きな光を見て、マミはその大きさに目を丸くしてあることを思った。
(まさか、失敗⁉あの時みたいに暴走しちゃう⁉)
そもそもの根本として、マミは召喚する存在を一切イメージしていなかった。それならば本来召喚などできず、光は現れないはずだった。
ただ中途半端に契約と契約物があったので、聖晶世界と繋がってしまったのだ。
聖晶世界から、風が吹き荒れる。通常の召喚では起こり得ない。これは確実に失敗した。あまりの強風に、マミは腕で顔を防いでいた。
グレイムのファンの子たちがやったことと何も変わらないのかもしれない。そんな適当な召喚をマミはしてしまったのだ。
本来正しい姿で現れるはずの存在を自分の勝手で傷付けてしまうことが悲しかった。
(……やっちゃった……。だから私は……)
卑屈になった途端、周りの景色が一変した。
森の中のようで、泉もあった。そこには様々な植物や生き物がいて、それこそサラマンダーや、キマイラ、それにヒドラまでいるのだ。その生き物たちは縄張り争いをしている様子もなく、穏やかだった。
「なに……?これ……」
こんな場所をマミは見たことがなかった。コルニキアに、幻獣と呼ばれるような存在が平然と暮らしている場所などない。傍に召喚士がいないことはありえない。
なのに人影が一切見えないのだ。
「これ、もしかして聖晶世界?」
こんな広さで見えたことは初めてだった。周りにいつもの白い靄が一切ない。辺り一面が聖晶世界としか思えない風景なのだ。
「……ここから、私が召喚したい存在を選べってこと?」
契約内容から、生き物だ。召喚を成立させないとずっと聖晶世界の景色を見続けていることになる。
聖晶世界にイメージを飛ばしすぎるのは召喚省によって禁止とされている。
実際、それが原因で意識を失った人が多いのだ。自分の意識がどこに戻るべきなのかを見失うことが問題とされている。
肉体と精神が離れすぎてしまうと、精神が肉体に戻るのに時間を要してしまうのだ。
「どんな存在を選べばいいんだろう……?」
「その必要はない。君が召喚すべき存在は決まっている」
「誰⁉」
男の声。それは泉の方から聞こえた。そこを向くと、泉のごく周辺以外、周りの風景が女子寮へと戻っていった。
泉の前には光が集まっていて、その大きな光の中から薄緑色の肩までかかる長髪に、足元ぎりぎりまである青色のローブを着た、人間の男にしか見えない存在が出てきた。
二十代ほどの、それなりに引き締まった体つき。人を引き込むような、セピア色の鋭い双眸。どこからどう見ても、人間だった。
生き物に対して誰と尋ねて間違ったと思っていたのだが、あながち間違ってもいなかった。上級以上の生き物ならたいてい人語を話せるので、そんな存在だと思ったのだ。
その男が女子寮の屋上へ足を着けると、光は全て消えていった。
残ったのはマミと、光から現れた男だけ。マミの左手にあった少量の血は誰かが拭き取ったかのように、綺麗に消えていた。出血したことで貧血になるということもなかった。
「誰?……名前ならトールだ。マスター、マミ・フェリスベット」
「本当に話せるんだ……」
「上級ランク以上の存在は皆話せるぞ?たまに中級の存在でも話せる。話せる存在は初めてか?」
「うん。……トール?マスター?……あなたは、私が召喚した存在なの?」
「見ての通り」
少し笑いながら、自称トールはマミの言葉を肯定した。さっきの召喚によってコルニキアへやってきた存在。
「……えっと、質問してもいい?」
「何か?」
「あなたは、天使?それとも悪魔?」
「そんなシンボルの羽が俺には付いてるか?」
トールはわかりきっていることなのに、自分の背中の方を見た。マミの目にはもちろん映っていない。確認のために質問をしているのだ。
「人型の生き物なんて、それくらいしか知らないから。ハーピーみたいに、何かと体を半分にしているようには見えないし。それにあなたが羽を隠してるかもしれない」
「なるほど。では、君は何を召喚しようとした?何をイメージした?答えは全てさっきの召喚の中にある」
質問に答えられなかった。
マミは何もイメージしていない。召喚の基礎を、規則を守らずに召喚を行ってしまったのだ。だから自分が召喚したと思われる目の前の存在に心当たりがない。
「まあ、答えは重要じゃない。事実として俺の名前はトールで、マミがマスターだということだ。あまり制約は受け付けていないらしいがな」
「え?」
「契約によれば、俺は自由なのだろう?」
マミはさっきやったばかりの契約内容を思い出す。思いついた言葉を並べただけだった。
「一、あなたは自由。
二、私が危険な時は守って。
三、健康な状態で現れて。
……確かに、あなたは自由だね」
「契約に則ってマスターが危険な時は守ろう。それと、当分こっちにいさせてもらうぞ?このコルニキアに来るのは初めてだ」
「初めて、召喚されたの?」
「マスターは天使以外の人型が召喚されたという事例を聞いたことはあるか?それが答えだ」
答えは「ない」。召喚できる存在で、天使が唯一の人型だ。厳密に言ってしまえば悪魔は少々異なる。それこそハーピーやウンディーネのような半人型なのだ。
「……あれ?ってことは……私が、世界で初めて天使以外の人型を召喚した人物ってこと?」
「そうなるな」
「……でもあなたがどんな存在なのかわからないんだよね……。それに、実感がない。私、さっきまで失敗したって思ってたから……」
「誰も信じてくれないだろうな。聖晶世界に人間のような人型の存在がいた、なんてコルニキアの常識としてありえない。……最初、というのは大半がそうだろうがな」
召喚を成功したことは純粋に嬉しい。だが、この結果は予想していなかった。正直、さっきまでのマミが暴走状態だったのだ。
成功したのは奇跡に等しい。
「当分いるって言ったけど、どのくらい?日が昇るまで?」
「コルニキアでやりたいことがあってな。それが終わるまでだ」
「それって何?」
「言えない。だが、当分先のことだろうな」
「……その間、どうするの?」
「自由に過ごす。と言ってもマスターからそんなに離れるわけにはいかないだろうから、当分世話になる」
世話になる。それはマミが、マスターとして世話をするということだろうか。この、見た目がマミよりも十歳近く上の人間のような存在を。
「どういうこと?」
「マスターと一緒に暮らすってことだが?」
「食料をあげるとか、そういう意味じゃなく?」
「そういう意味も含めて」
「……ええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ⁉」
思わず叫んでしまった。異性にしか見えない存在と一つ屋根の下で暮らすということ。それを受け止められるほど十五歳の少女の心は準備などできていなかった。
「私が必要になった時だけ呼ぶことってできないの?」
「……もう一度俺を呼べるのか?さっきだってただの偶然だろう?」
「う……」
最近のマミは反論を返せないことが多い。全て論破されてしまう。さっきの召喚もそうだが、思い付きの言動が多いのだ。
「せめて、姿隠せない?」
「俺はカメレオンじゃないが?」
「で、ですよねー……。そんな都合よくいかないよね」
「ちなみに人間と同じように腹が減るから、一日三食で頼む」
「つまり、今日から私の食費倍になるってこと⁉」
「当たり前だろう?俺はコルニキアのお金を持っていない。店で勝手に食べて捕まれと?そこら辺にある実を適当に奪って暮らせと?……もし捕まったら、俺は堂々と『マスターはマミ・フェリスベットだ』と言うぞ?」
警察に信じてもらえるかわからないが、それで本当に警察が来ても困る。召喚省によって事実と認められてしまったら、マミはブタ箱入りだ。
「わかったよ。あなたのこと匿うけど……」
「けど?」
「ここ、つまり私の今の家って女子寮なんだよね……」
「……はぁ、それは困ったな。どうせ男子禁制とかなのだろう?」
「もちろん。男がいるってわかったら、絶対通報される」
女学校の女子寮というわけではなく、共学の女子寮なので少しはましだとは思うが、それでも女子寮だということに変わりはない。
女の子にとってプライバシーとプライベートはとても大事なのだ。
「……とりあえず、部屋に戻るべきではないか?そのままでは風邪を引くぞ?長い間ここで召喚を行っていたのだろう?」
「あ、それもそうだね」
マミの格好は寝間着だ。夏の夜とはいえ、温度差が昼と夜ではある。それに風呂上がりに夜風に当たり続けていると、風邪を引くのは本当のことだ。
「じゃあ、私の部屋に行こうか。えっと、トールさん」
「マスターが召喚した存在をさん付けにしてどうする?立場は君の方が上だぞ?」
「あっ、それもそうか。じゃあ、トール。行くよ」
マミは一人で歩き出し、中へと続く扉を開いた。だというのに、トールは一歩も動かずに小さく嘆息していた。その顔は、何故か頬が綻んでいて。
「全く、俺への供給に問題がないどころかピンピンしているとは……」
「トール?」
「今いく」
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