東の闘翼 青龍

「だらあぁ!!」『でらあっ…!!』

拳を穿ち合い、痛みを呼吸に変えつつある両者の喧嘩は、より一層深みにはまり、熾烈を極めていた。


『久しいな、此処まで対等な相手はよ!』青い飛び膝蹴りを緑の中腹へ。

「加減して手ぇ抜いてる奴に云われたって、嬉しか無ぇんだよ!!」

両掌を腹の前で重ね、膝の先端を抑え勢いを殺しつつ、折れる脹脛を抱えて掴み仕返しの如く青い胸に、踵を降り落とす。


正直すなおじゃねぇ奴だ!

評価を真面に受け取れねぇとはよ‥』

拘束されていない片方の脚を高く振り上げ、落ちる踵を蹴り上げる。

『手前後々損するぜ!?』「なっ!」

脚を固定された状態の筋力のみで上体を起こし、可動域に制限の無い脚を天に掲げ、振り落とす。チョウヂョウの踵落とし、相手の仕返しを仕返す青龍の踵落とし。此の儘では肩に直撃する、危惧したチョウヂョウは脚を固定したまま己の首を大きく逸らし、硬い額を思い切り、相手の額に激突させる。

『かっ…!』「間に合ったぜ。」

揺れ動く脳髄、響く頭蓋骨、表面からは血が滲み、一先ず両者は他に伏せる。

『ひりひりしやがる‥。』「へっ!」

鍛えようの無い額部分、持ち前の具合が功を制した。

『着いて来やがるな、鬼公!』

「お前が腕を落としたんじゃねぇのか?」

(冗談じゃねぇぜ、着いてくのがやっとだ。落ちる処か増してやがるぜアイツの力…!)

人の標準に慣れつつあるのか、元の力が戻りつつあるのか、衰えを知らず向上を続ける青龍の力に、怖れを覚え身を震わせる暴威の町人。

『気付いたか、鬼公?』

「何がだよ?」『俺様の力の変化に』

何か誘導か、一時疑いを覚えたが此処に来て困惑を煽る意図が判らなかった。

『俺様は形を人にして同等に力を下げても、自然と上限が高くなっていっちまう。』

「どういう事だ?」

『制御できないって事だ、人に収めればそれ以上に達しはしねぇが人の限界値迄は何れ高まっちまう。』


『放っとけばどんなかたちであれ最強になっちまう、餓鬼の様な理屈だろ?』

標準を幾ら合わせても上回る、常に対等に成り得る事は無く、溢れる力を持て余し続ける。

「其れを俺に云ってどうすんだ?」

『どうするも何も無ぇ。小細工だの不正だのが嫌いでな、俺様が裸一貫だってのを判って貰いてぇ‥。』

「正々堂々ってやつか、潔いな」

『まぁ其れを知った処で、何が変わる訳でも無ぇがな!!』

振れ幅を逸した左拳が放たれる。しかし上限に近い筈の力量を誇る其の一撃は、意図も簡単に素手で受け止められてしまう。

『なんだと…?』

「納得いかねぇか?」

唖然とした表情を嘲笑う様に口角を歪ませ、青龍へ顔を向ける。

『人の中で一番強ぇなら、それよりも強くなりゃあいいだけの事だろが!」

餓鬼に対するも餓鬼の理屈、但し此方は飢えた小童こども。腹を空かせて飯を貪っては彷徨い漂う野性の源、上限なんて綺麗なモノは存在しない。

力が有れば喰らいつく、礼儀知らずの悪餓鬼だ。


『やっぱり手前はとんでも無く馬鹿だ‥!』

「だから何度も云ってんだろ、なんとでも言えってよぉ!!」

先手は青龍、素早くチョウヂョウの顎を取る。

「効くぜぇ、まだまだぁ!」

吐血し、口元を赤らめながら右の拳で青い頬を一撃。『そんなもんか!?』

打撃に反射して左を繰り出し腹へ打ち込む。

「くぼぉっ‥!」『効いただろ?』

すかさず肩を掴み跳び上がり懐に膝を入れる。

『がはっ‥!!』「これであいこだ」

『あいこだぁ…?』

怯みつつ髪を掴み、額を撃ちつけ迎撃を与える。

『俺様の有利だ』「脳が揺れやがる」

額の硬さを知る事で、力の変化を理解した。だからといって彼に変化は生じないが。

『倒れもしねぇか、頑丈だな。‥どうやら力を高めたぐれぇじゃあ手前には足りねぇみたいだな。』

「意識的に上げてる訳じゃあ無ぇだろが‥!」

『だから意識を張るんだよ。姑息な真似してる様で好かないが〝アレ〟を遣るしか無ぇみたいだな…。』

「あれってお前、何するつもりだ?」

『視てりゃ判るぜ。いや、解らねぇかもなぁ…。』

辺りに霧が立ち込める。「これは‥」

深い蒸気の波は景色を覆い、云わずもがな青龍の姿を消し隠す。

「小細工は嫌いなんじゃなかったのかぁ?」

『小細工じゃない戦闘手段だ。‥確かに好みじゃねぇが、仕方無ぇ』


『久々に手も品も変えてってやるよ…!』

突如背部に衝撃が加わる。大きな岩を投げられたかの様な打撃、チョウヂョウは一瞬で奴の蹴りだと把握した。

「いつの間に後へ、さっきまで眼の前で声がしてたってのに」

『あぁ、眼の前にいるぜ?』

「あぁっ…!?」胸を叩く拳骨。

怯みを見せれば隙が生まれる。避ける、受け身の間は削がれ、暴力の雨が降り注ぐ。霧か雨かと勘繰りながら、

何方も同じく身を濡らす。区別が付こうと付かまいと、傷を被る躰は冷える。癒える頃には、霧は止む。雨の止む刻(ひ)は何つ時か…。


「酷過ぎるぜ、こりゃあっ…!!」

(一発かまそうにも、何処にいるか解らねぇ。なにが好かねぇだ)

「大嘘付きが‥やってくれるぜ…。」

『何の咄だ?』霧を裂いて追の一撃。

衝撃を一点に込めた拳が、無防備を晒す胸を圧す。

「があっ!!」『何故避けない?』

「無茶云うなてめぇ…!」

姿は覚束ない、疲弊は被る、無敵といっていい状況の青龍の言葉は挑発とも取れる夢見の妄言だ。

『今更云おうが手遅れか?』

距離感が掴めないまま拳を受け続け、重い力に圧され潰れようかという傷んだ躰を、気迫と筋力でなんとか支え耐え凌いでいる。

「誰の手が遅れてんだぁ!!」

『吹き飛べ鬼公がぁ!』

拳の重みに耐えかね、チョウヂョウの躰はぐらつき崩れ始める。

「くうぅ‥。」しかし青龍は知らない

『さっさとくたばれ!』

拳を当てがうその場所は、圧を掛けているその箇所は、確かに鬼の腹部だが、そこには一人、いや一匹の‥。


獣の寝床が有る事を…!

『ヒヒィン‥ばしゃん!』

黒い墨汁が、姿を写す「でかした!」

丸く形取られた人の頭部に、渾身の膝撃ちの裁。

『ゔあっ‥!!』追いで腹に肘撃ち。

一旦顎に同じ肘を入れ‥その後仕返し

「うらららららららぁ…!!」

滅多打ちに次ぐ滅多打ち、られた分の蓄積を、纏めて一遍に拳へ乗せる。

『く‥そぉ、追撃を‥返せねぇ…!』

勢いが溢れ過ぎ、腕を出す隙を伺う暇すら探れない、暴威の欲望を全身に受け身動きを取る事すら赦されずにいる。

「おかしいなお前、何故避けねぇ?」

『云ってくれやがるな、手前!』

「終いだ、くたばんな東の神。」

拳を青龍の顎に当てがい、力一杯天に突き上げる。青い躰は飛び上がり、霧に紛れて地に擦れる。

「はぁ‥はぁ、頑強な奴だぜ!」

『ヒヒィン!!』獣が元気に挨拶する

「麒麟てめぇ、勝手に出て来んなっ言ったろ?

‥まぁ今回は、結構助かったけどよ」

『ヒヒィン‥!!』「わかった!」

「いいからもう中で寝とけ」『…。』

冷たく遇っている様だが、当人は麒麟を気遣っているつもりなのだろう。麒麟も其れを察してか、素直に腹の中に戻っていった。

「さぁて、漸くにくたばったかぁ、結構愉しかったぜ青龍よぉ!」

景色を覆っていた霧がすっかりと晴れ、床に伏す青い躰を外へ晒し出す。

「後は上に連れてくだけだが何処に行きゃいいんだ?」

地獄へ来たはいいが還り道を教わっていない。

「取り敢えず担いで分かり易い処へ運ぶか!」

雑な解決策だが、行動力に身を任せ青龍を運ぶ方向に動いた。

「よっし‥寝てる処悪りぃが躰借りるぞ〜…。」

『終わりだと思ってんのか‥?』

「あん、お前未だ意識が‥」

『何度云わせる、標準合わせてやってただけだ!』

起こすやも無く目を覚まし、自力で床から躰を起こす。傷はしっかり付いている、肩を抑えている事から痛みを受けている事も判る。しかし息は健在で、疲弊という疲弊は見られない。

「何故無事でいられる、手加減した覚えは無ぇが?」

『咄をしみじみ聞いたらどうだ、俺様は云ったよな、標準を人に合わせてたってよ!』

「それが何だ?」『疲れる奴だ‥。』

次々と手の内を明かしていく青龍だが、正々堂々という心情から来るものでは最早無く、理解の鈍い鬼公に単純な説明を施しているだけである。

『下げられるのは力だけじゃねぇ、姿形、他の値もひっくるめての咄だ。』


『だから躰が縮まって面積が減りゃあ蓄積される痛みも傷も単純に縮こまる。』

「ほう、何と無く判る。」

見栄を張った大嘘だ

『手前が必死こいて叩いた拳は、俺様に人程度の傷を負わせたに過ぎねぇってことだ!』

幾ら力をぶつけようと、神にとっては人の其れ。擦り傷程度の蓄積では、膝を落とすには程遠い。

『もう人としての戦は終わりだ。屈辱だが、手前を同等と認めてやる』

「漸くか、随分手間が掛かったな!」

『何慶んでやがる、手前は今から人以下になるんだぜ?』

「あぁ?」

翼を広げ、はためかす。人の形を成していた躰は影を大きく変容し、青き龍へと舞い戻る。

「久し振りだな、青蜥蜴‥。」

『再会を悦ぶ暇が在るのか、磔磔手前は‥とんでもねぇ馬鹿だなぁ!!』

大翼による風圧が、空間を捻じ曲げる。

「そよ風で煽ろうってか?

其れが神の遣り方かよ!?」

自ら風の元へ身を突込み、疑似的な飛翔をやってのける。

『手前は既に、遣り口が人以下だな‥。』

「此の風に乗って、お前のアタマぶっ叩いてやるぜ!」

『罰当たりな奴だ、調子付くな。』

青龍の口から水流が放たれる。吹き出る一閃の水は翼の風により、飛沫となり霧に変わる。霧は風と共に宙を廻り、やがて冷気を帯びる。

『少し眠れ、直ぐに覚ましてやる。』

チョウヂョウは空をんだ儘、冷気にあてられ大きな氷柱の一部と化す。

『起きろ、手前に寝床なんざ要らん』

青龍は氷柱の周囲を旋回し、鋭く研がれた尾の先端で氷柱の表面に傷を付ける。その後、目一杯の気流を纏い、躰其の物で氷を砕く。支えを無くした人の躰は氷片と供に宙へ投げ出される。

「こんなの‥有りかよ…?」

『何か云ったか‥?』

振り落ちる青い龍尾の影が、チョウヂョウに重なり口を閉じ潰す。

(なんだよ。桁違いも良い処じゃねぇか、馬鹿にしやがって‥神ってのは)


みんなこうなのか…?

『ヒヒィン!!』

突発的に飛び出した麒麟が、地上にて構え躰を掬う。

『獣‥いや犬か?

あんな畜生を腹に飼ってたのか…。』

「麒麟‥また勝手に出てきやがって…態とやってんのか‥?」

『ヒヒン…ヒヒィン!!』

「一緒に闘ろうってか?」『ヒヒン』

礼を云わずとも理解した、麒麟の助力を、共闘の意思を。

「わかったよ、お前が救った命だ。お前の為に遣ってやるよ!」

釈迦の恩恵を背中から引き抜き、麒麟の背中を借り疾る。釈迦の腕は、握りの良い長剣へと形を変え、チョウヂョウに使い刻を与える。

「其の儘疾れ麒麟!」『ヒヒィン!』

『馬に乗る鬼か、みっともねぇ!』

鋭利な龍尾が鬼騎士を槍の如く頭上より穿つ。

「真上に跳べ麒麟」『ヒヒィン!!』

尾の先端に、刀身を当てがい、縦に斬り裂き、二つに割る。

『何、俺様の尻尾を…!?』

「二尾にしてやったぜ、みっともねぇなぁお前!」

『良い気になるなよ鬼公がぁ!!』

龍の風圧がそらを舞う。

「来たか‥麒麟、其処で待ってろ!」

『ヒヒィン!』麒麟は下で待機。

チョウヂョウは再度大翼の風に勝負を挑む。

「よっと!」風に飛び込み身を捧げる

『馬鹿が、またくたばりに来たか!』

神の息吹を噴き上げ、旋回する。


『同じ事の繰り返しだ!

人が神に逆らうな、言葉の綾だ!

お前は神とは程遠い、同等な訳があるか!』

「前の刻とは違ぇぜそれに、てめぇで云った事を今更変えんな法螺吹き蜥蜴が!」

『云っていやがれ鬼公がよぉ!!』

再び柱で氷に漬かるチョウヂョウ。声を発さず、宙を彩る華となる。

『なんだ?

結局口だけかよ、情け無ぇなぁ!』


『‥そうか、忘れていたぜ、尾は遣い物にならねぇんだったな…。』

先端から、二つに裂かれた青い龍尾。断面は赤い獣のいろが滲む。

『だったら仕方無ぇな‥。

丸ごと躰で潰してやるぜぇえ!!』

切り刻み、断面を造る事無く逆鱗が唸る。

『でけぇこと抜かしやがって!

二の脚踏んだだけじゃねぇかぁ!!

手前は俺様に、神には所詮勝てねぇんだぁよおぉおー!!』

氷の表面に、龍の形相が浮かぶ。顔の虚像は屈折し、傾く。初めは、光の反射によるものと想っていた。がしかし其れは〝氷柱の崩壊〟による、皹割れであった。

「お前ぇさっきから何云ってんだ?」

『何‥てめぇなんで…!!』

釈迦かみサマに、氷のりゅうの(くしゃみ)が効くとでも思ったのか?」

『鬼公ぉ…!!』

釈迦の牙は龍の翼をもぎ貫いた。

「蜥蜴の羽は生えるのか?」

『くそったれがぁ‥!』

翔ぶ力を削がれた龍は体躯を崩し落ちていく。元より翼を持たぬチョウヂョウは当然落下をするのだが、此の儘下へ落ち続ければ、落下の衝撃に加え、龍の体躯を一身に支える事となる。

「どうしたもんかね‥」頭を抱える。

『ヒヒィン!!』「麒麟か!?」

砕かれた分厚い氷片を足場とし、宙を跳び上がる麒麟の姿が其処にあった。

麒麟はすぐ様チョウヂョウの躰で攫い、安全な着地が出来るであろう箇所まで移動する。

「でかしたぜ麒麟、還ったら魚鱈腹恵んでやるからな!」

『ヒヒィン!』

しかしやはり獣、爪が少し甘かった。

「なぁおい、これちゃんと降りれんのか?」

『ヒヒィン‥』

明らかに床への距離が遠く、墜落する勢いが、あった。

「おい、なんだその声おい、おい!」

抗う術も見つからず、其の儘下へ真っ逆様に落ちていく。

「落ちるぞぉー!!」『ヒヒィン‥』

『ばしゃん!』「へ‥?」

地に打ちあたった事により、麒麟の躰は黒い墨と化し、チョウヂョウの体躯を薄く包む。


「いでっ!」

怪我こそしたものの大事には至らず、軽傷の尻餅を打った程度で済んだ。

「ったく、ひやひやしたぜ。

御苦労さん‥麒麟!」

事を終えた麒麟は再び懐に潜み、眠りに着く。

「それにしても疲れたぜ、神の力ってのを持ってしてもこれ程へばるもんなのか?」

二度も生身で嵐に飛び込めば、誰であれ疲弊を伴うに決まっている。

「まぁ翼へし折りゃ当分は動けやしねぇだろ。いざとなりゃ釈迦サマの恩恵だって‥」

無い、釈迦の恩恵が手元に無い。

「あれぇ、何処いったんだぁ?

さっきまで持ってた筈なんだがなぁ」

落下の際のごたごたで腕からすっぽり抜け出た様だ。

「ったく、手間が一個増えたぜ…。」

あろうことか神の恩恵をなくすという限りない愚行をやってのける。天の使者なのに。

「痛って、起き上がるのも苦労かけんのか。麒麟の奴を攻める意味も無ぇが」

予想以上に落下時の軽傷が尾を引いている様だ。

「仕方無ぇ痛みが引く迄、暫く腰を据えておくか。」

戦の名残を休息で癒す。癒えた頃合いを見て手間を省く。試みてはみるものの、易々と傷みが消えぬのが喧嘩の難点。脅かすモノが居るのもまた然り。


『御休みか、緑の鬼よ?』

「ん、あぁ、少しだけな!」

『捜し物が有るんじゃないのか…?』

「あるが尻が痛てぇんだ。」

『何を捜している?』

「‥なんでもいいだろ、しつけぇ奴だな。」

『なんでも良い‥訳が無ぇだろ?』

「‥てめぇ!」

見上げればそこに青い人型の龍が立つ

『捜し物はこれか?』

手元には釈迦の腕が変化した長剣が握られる。

「お前、翼は…?」『‥何の事だ?』

落とした筈の翼は生え揃い、躰中に有った無数の傷も消えている。

「なんで傷が無ぇ、どういう事だ!?」

『傷の無い理由なんざ一つだろ?

元々何もされて無ぇんだ。』

「何を云ってんだ…?」

『視せてやるよ、ほら!』

青龍は周囲に霧を発生させ、それを集めて適度に操る。霧は徐々に形状を変化させ、やがて青龍其の物に酷似した形に成る。

『手前は俺様の幻影を殴り続け切り刻み、勝った気でいやがったんだよ!』

「そんな事、有りかおい‥。」

手応えはあった。霧の幻影は張りぼてでは無く青龍の質感、温度、力量迄も捉えて写していた。

『無駄な力遣ったな手前‥。』

「小細工は嫌いだって云ったよな?」

『だから小細工じゃねぇ、戦闘手段だ。此れを聞いたのは二度目か?

だが俺様が云うのは〝一度目〟だ…』

チョウヂョウが聞いた一度目は、嘘なのか、誠なのか。どちらにしても偽物だ。

『拾ったからこれ返すぜ、神の恩恵だったか?』

神の恩恵を神が持つ、これが本来の正しい像(かたち)なのだろうか?

『俺には必要無ぇから‥よっ!』

「ぐぉあっ!」神の刃を腹へと穿つ。

『どうした、尻が傷むのかぁ!?』

「尻‥じゃあ…ねぇよ!」

ぐりぐりと抉る様に食い込ませ、刃を立てる。

『ヒヒィン!!』「麒麟‥!」

『おーおぉ‥犬っころ迄鳴いてやがるぞ、刃先が尖って痛ぇとよ!!』

「くっ、てめぇそれでも神か‥!」

『ヒヒィン‥。』

黒い液体が、力無く蠢いている。

『俺様が神か?

今更聞くな、紛う事なき神様だぁ!』

『ヒヒィン!!』『五月蝿ぇ!!』

『二匹纏めて串刺しだあぁあ!!』

『ヒヒィン‥』「止めろ蜥蜴ぇ…!」


『…なんだ?』「‥?……。」

刃が奥へ刺さらない。何かが刃先を堰き止め、拒絶する。

『全く‥手荒な真似をする輩も居たものだな。』

『誰だ!

誰が俺様に語り掛ける!?』

「腹の中から‥声が…?」

『よく眠っていたのだが、妨げられてしまったようだ…。』

食い込む剣の刀身が、徐々に腹部から抜き外され、音を立て床へ転がり落ちる。

『まぁ致し方無いだろう、良い加減よく眠った方だ‥。』

声は大きな光の球に成り、懐から外に飛び出して光を放つ。

『今こそ、目覚めの刻が来た。』

光は大きく拡大し、辺り一面を輝き照らす。暫くその場を照らし続け、光を晴らすと、其処に居たのは、球でも無く、光でも無く、角を生やした禍々しき四脚を持つ大きな獣。方角の神程の溢れ漏れる気迫を有し、釈迦や閻魔に近い威厳を備えていた。

『此処は…地獄か、其れも‥仮初めの。』

辺りを見渡し何かを捜す、獣は脚元に転がる剣を見ると納得した様子で前へ向き直る。

『‥そうか。釈迦の気にあてられたのだな、成程道理で‥』


『お主は、青龍か?』

眼前で口をあんぐり開ける人に問う。

『だ、誰だ手前‥!!

なんで、俺様の名を…?」

獣は静かに応える。

『はて、逢った事は無かったか。‥して、お主は何者だろう?』

今度は逆を振り返り、チョウヂョウを視る。

「お前、あり得無ぇだろうが、もしや‥麒麟か…?」

恐る恐る問い掛けると、獣はゆるりと口を開け、言葉を綴る。

『ほう、某の名を存じているのか。…少し、失礼する‥。』

麒麟は頭を降ろし、大きな角の先を緑の額へそっと添える。

『そうか、君が某を此処へ‥。』

角を額から離しながら云い呟く。

「俺の記憶を、読んだのか‥?」

感覚で解る。角を当てがう事で内部の咄を聞く。干渉する感覚が、見られた当人には何となく伝わるのだ。

『チョウヂョウ君と云ったか、粗暴な想い散々被った様だが、どうかな?』


『東の敵視を某に任せてみては如何かな?』

「……。」

随分とかたちは変わったが、彼にとっては違わず麒麟のままだった。

「奴は相当強いぜ?」『心得ている』

『俺様と闘ろうってか、身の程知らずが!』

再び青き龍の姿へ。

「おい!」『如何なさったのかな?』

四獣と同様、もしくは其れ以上、釈迦や閻魔に近い代物だという確信はあったが、チョウヂョウは敢えて一番簡素で愚直な表現を遣った。


『あの野郎をぶっ潰すしちまえ、麒麟!』

『君の言霊で返事をしよう。』


『〝ヒッヒーン〟だ。』


「ぴくん‥ん!?」

閻魔の勘に大きく触る気配。

「釈迦に近い気迫‥いや、まさかな。奴が地獄にいる筈も無い。」

只の気のせい、として処理を施した。


『くぅらぁあぁ!!』

「遅い、何処を見ている?」

真の形態である青龍が、赤子の如く遊ばれている。

「こんなものか‥東の神は。」

青龍に複数の雷柱が降り注ぐ。

『ぐあぁぁ…!!』「痛いか青龍?」

「あまり痛め付けるのは好ましくない、丁重に天国へと還すべきなのだが‥。」

チョウヂョウの記憶を介した事で、一味の目的を把握している。故に助力に成ろうとするのだが、己の納得のいく運びとなかなかいかないのだろう。

「白虎、玄武、青龍と、残すは朱雀のみとなる訳か‥。」

『ごちゃごちゃ云ってんじゃねぇ!』

力に任せた猛突をゆるりと躱し考えに耽る。

「ふむ、中々難はあるようだな。」

『てめぇ、何処の神だ?』

「神、某がか?」『他に誰がいる!』

惚けて戯けてみせた麒麟の親分。一体何者なのだろう。

「神だなどと大層な事柄では決して無い。」


「釈迦や他の者供に〝霊獣〟と揶揄された覚えはあるがな‥。」


『霊獣だと‥』「なんだ、そりゃ?」

霊獣

世に蔓延る生物の長と呼ばれる伝説の存在。神や護り神とは異なり、崇められ奉る存在では無いものの、世を統べる、冥土の理だ。

『だが麒麟は真の天国に居る存在筈だ、何故仮初めの世界に身を置きやがる?』


「訳は単純、落ちたからだ。仮の天国へ‥。」

起源は皆、違わず同じ。大物も小物も、神も愚者も、全員等しく落ちたから。アナザーの世界線な単位は逝った

では無く落ちたが正しい。天も地も、所詮はどちらも偽物だ、区別する意味が無い。

「落ちてから今のいま直前までは、するりと記憶が抜け落ちていた。角のお陰で記憶を起こす事ができたが、無ければどうなっていた事か…。」


『自画自賛か、霊獣サンよ?』

「いいや、神の其れには敵わないさ」

『其れが自賛だっ云ってんだ!!』

高く飛翔し、大翼で躰を包む。尻尾を後ろから頭の先へ廻し先端を尖がらせ回天を加える。

「空でまわってやがる‥」

『あれは落ちてくるな…。』

青龍はそらで大きな槍となり、麒麟を貫かんとする。

「青い龍槍りゅうそうといった処か‥。厄介なはなしだ。」


「どうすんだよ、あんなもん止め様あるのか?」

冷静に向かってくる脅威に視線で相対する麒麟に、策はあるのかと必死をこいて尋ねるチョウヂョウ。麒麟は雰囲気其の儘に、その場の思い付きであろう対抗案を口に浮かべる。

「そうだな、ならば記憶の中で聳え映えていた自然の塔でも建ててみるとするか‥。」

麒麟の角から強風が吹き上がり、渦をつくる。

「なっ竜巻!?」「まだまだだ。」

槍の先端が渦に掛かり始めた程の辺りで廻転に沿って水流を発車。水流は飛沫と化し、冷気を帯びる。

「人の力が遣えんのか!」「少しな」

会得した近影の記憶であれば、断片程度は映し出す事が出来る。青龍の其れは正に再映するに丁度良い過去の記憶であった故、麒麟は槍を凍り漬けにする算段に試みた。

『これは…俺様の‥!!』

「悪いな、借りさせて貰った。」

まさか己に脚を掬われる事になるとも知らない青龍は、絶大な脅威を振るう事も無く、槍を模した鮮やかな氷の彫刻に成り得た。

「滅茶苦茶やるな‥!」

『はて、此処から何をすれば良かったのやら‥。』

麒麟は未来を得るべく過去の記憶を辿り観る。

『おおそうだ、崩して漸く完成か。数奇な芸術だな‥しかし本人の意向なら仕方無い』

しかし氷を砕く巨躯も無ければ武器も無い。

「どうするつもりだ?」

『ふむ、迷いものだ。某は芸が無いのでな。少々手荒だが、これで赦してくれるか?』

氷の彫刻に、けたたましい稲妻が炸裂する。塔は焼け焦げ、青は真黒に、砕き咲かせるという戦慄を度外視した独自の作品を創り上げた。

『なかなか良い出来栄えだな‥!』

「大駄作だよ…。」

佳作にすらも選出は難しいだろう。まさか霊獣ともあろうモノの芸術点が此処まで低いとは、どんな者でもぽっかりと穴は開いているもなのだと確信した。

『世話になったな、チョウヂョウ君とやら。』

「んな事ねぇよ、麒麟!」

『名を呼ばれたのは久々だ、有り難く礼を云わせて頂こう。』

「こんな律儀な奴だったかぁ?」

お粗末な獣の姿と打って変わり神々しいすがたをした麒麟の外面は慣れを得さえしまえば違和を感じなくなるものだが、内面の変化は未だ尾を引く可能性がありそうだ。

『済まんが某は行く宛が有る、此の場を任せても宜しいか…?』

青龍を降した後の宛、おそらく朱雀の方角で間違いは無いだろう。得体は当然知れないが神との対峙と聞けば、穏やかでは済まないと誰しもが解る事。理の標、チョウヂョウは町での無様麒麟の姿を重ね、助力を与えた。


「麒麟、此れを持ってけ!」

釈迦の剣を投げ渡す。

『…辱い‥ばしゃん!』

廻り動く剣の柄を口で咥え、墨と成り消滅する。

「‥其処は同じなのかよ…。」

間抜けな一面を垣間見たが、なんだか少し安堵を覚えた。


地獄南方面・草木の茂る街外れ。

此処では少し、いや激しく道に難を示し、迷い耽っている模様。

「ちょっと赤顔ちゃん!

本当に道こっちであってるの!?」

「マチガイはないハズなノデスー!

‥水晶はコチラをシメしているノニ。」

「同じ処ぐるぐる回ってると思うよ?」

「ナンデストー!

もう一度サンサクするデス!」

「またぁ…?」

地獄の道は一苦労だ。


『く‥躰が痛てぇ、くそっ‥!』

「よう、目ぇ覚めたか?」

身も心もずたずたの青龍にとって、チョウヂョウの気遣いは同情に感じた。しかし怒りよりも傷みが勝り、とても声を張る程の力は無かった。

「残念だがよ、お前はあいつに負けたんだ。」

『嘘云うな、俺様は負けてねぇ、仮に負けたとしても手前じゃねぇ!』


「あぁ俺じゃねぇ、だからまた闘って決着つけようぜ?」

「しっかり天国あっちでよぅ!」

『…はんっ!』「なんだよ!?」


『手加減しねぇからなぁ、チョウヂョウ‥!』

「望む処だ、セイリュウ!」

標準を下げたのか、はたまた…。








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