北の知恵頭 玄武

「けっこうとおくまで来たニャー。」

北を独りで闊歩し暫く経ち、道のりの長さを実感する。

「街がもうあんなにとおいのニャ、ここまで来てもスイショーは光らニャいし、ホコラのバショもわからんニャ」

野生の勘も働かない北の奥地では無作為に脚を前に出す以外の方法が無い。

「ん、なんの音ニャ?」

流動的な、涼しげな音が耳を伝う。

「水だニャ‥どこかに続いてるかニャあ。」

岩が連なり山を造り、頂上から隙間を伝い、水を流している。

「水はイヤだニャー、でもはホカに道がないニャ。」

マタオは渓流の岩山を見上げ、顔を顰めて云う。

「しかたニャいニャー、登ってやるとするニャあ!」

岩肌に手を掛け、ゆるりと上がる。

「フニャあ!

水がカオにかかるニャー!」

飛び散る飛沫に奥歯を噛み締め岩を掴み、登る。

「ニャんだ、直ぐに頂上ニャ。」

然程の高さを誇ら無い為容易に登頂に手が届いた。岩の頭に重心を乗せ、一気に山を登りきる。


「寒いニャ、ここ。」

山を登った先には、大きな滝が流れており、床一面を薄く水が浸していた。

「でっかい水ニャ!」

渓流を流れていた水の根源、太い水流が、上から下へ流れて落ちる。

「ニャ?」

滝の音に呼応するように、マタオの腹が輝きを発する。

「スイショーが、ハンノーしてるニャ…!」

水晶の光は間抜けに開いた猫の口から一閃放たれ、滝を貫く。光を受けると滝は二つに裂けた後、飛沫となって霧散する。


水源を失った床は乾き衰え、代わりに方角の在処を示した。

「何か出たニャ、ありゃニャンだ?」

理解が着かずも光の差す方向を辿る。

「イシのハコ‥中のこれは何ニャ?」

窪みに手を突っ込み、石道を取り上げ、じっくりと眺める。

「亀‥かニャあ?

よく出来たオキモノだニャ。」

石の箱が祠だとは、未だ気付いていない。

『がたっ…』「ニャ?」

鈍感が怒りに触れたのか石像が震え、肉球に振動を伝える。

『客か?

久しいのう‥。』

「イシが、喋ってるニャ!」

『一先ずその手を離せ客人…』

石像が輝きを帯び、猫の眼を眩ます。

「まぶしいニャあ!」

マタオの意識を光が奪い、包み込む。


「……痛ったいニャあ‥。」

水色の空間。滝は流れていないが、然程変わらない景色。

「イシのハコが無いニャ、でっかい水も落ちてニャい。」

「でも床は水浸しニャあ!」

以前より水嵩が増しており、足首に届かない程度まで満たされている。

「水は嫌いニャー」

猫特有の習性である。

『随分と騒がしい客じゃなぁ‥』

老獪且つ緩やかな声色が、水面を揺らす。

「誰かいるのか、ドコのダレだニャ」

『物騒なウエに礼儀を知らんのか、なっとらん餓鬼じゃあ』

大きくなった石像の形が、マタオを上から睨み視る。

「あ、さっきの亀だニャ!」

『ぬかせ、誰が亀じゃ。

‥わしは四つの方角北の神、知恵頭の玄武じゃあ…!』


「キタノ、チエガシラ‥ゲンブ?

どれが名前かわからんニャ。」

『なんじゃとぉ?』

咄を聞かない訳では無い、聞いてもわからないだけなのだが若い輩に蹴落された事に変わりは無い。

『わしが何モノじゃかわかっとるのかワレ?』

「わかってるもニャにもジブンで云ったのニャ、聞いてればわかるニャあ」

『ならばわしはなんじゃ!』

「でっかい亀ニャ。」『戯けが!』

問い掛けばかりをする亀に、負けじとマタオも仕返しを与える。

「ところでシジューはドコにいるのかニャあ?」

『四獣だと…?』「そうニャ。」

「スイショーをつかうとホコラが出てる来てシジューにアエルらしいのニャが、中々見つからないのニャー。」


「何かしらニャいかニャ?」

『正気か貴様…?』

北の神は驚愕し、一度はマタオを軽蔑視したものの、己の存在価値に下等な定説を貼られる事を畏れ、現在の状況、祠の存在、四獣と呼ばれるモノの在処を事細かに伝え刻んだ。方角の護神が町の化け猫に享受を与える異例など、玄武自らさえ予測に皆無の事態だろう。


「お、そうか!

あれがホコラだったのニャ!」

『漸くか、何故理解せん。』

一つ一つの咄から、徐々に把握を重ねていく。

「ホコラにシジューが眠ってて、それをオレが起こした。」

「シジューは〝ゲンソウ〟のせかいを持ってて、オレはそこに連れてこられた。」


「キタのシジューの名はゲンブ!」

知識と理解が合致した。

『そうだ』

「で、オマエはだれニャ?」『何?』

油断は禁物、言葉が又も喰い違う。

「お前のナマエはチエガシラだニャ、オレのさがしてるのはゲンブ。」


「全然ちがうヤツだニャ!」

『わしが玄武じゃ!!』

「ニャんだ、お前がゲンブか。‥ならチエガシラはどこニャ?」

『はぁ‥勝手にするがいい。』

玄武は遂に匙を投げた。

『今度はわしが問う、何故にお前は此処に来た‥?』

マタオの咄を聞いていては拉致があかない為、問い掛けを重ねる事によって強制的に終わらせる運びとした。

「頼まれたたのニャ!」

『頼まれた…何処の誰にじゃ‥?』


「シャカさまニャ!

上の町では一番偉いヒトらしいニャ」

『釈迦…!

そうか、お前天国からわし達を‥』

化け猫の意図を明確に理解した北の神玄武。逆ならば一瞬の出来事だ。

「はやくかえって来てほしいらしいニャあ、一緒にかえるニャ付いて来い」

マタオは玄武に帰還を促し、お粗末な肉球の張り付いた素っ頓狂な掌を差し出す。しかし玄武の応えは‥

『戯けが!

誰があんな礼儀知らずの小娘の元に還るか、恥を知るがいい!』

極限なる非であった。

「だめかニャあ、亀なんか飼った事ないからニャ、オレに育てられるかニャあ?」

釈迦元へ還る事を拒まれ、己が飼い主となる事で手を打とうとしているぶっ飛んだ化け猫。マタオは飼い主としての問いを玄武へ掛ける。


「何か好きなモノあるのかニャ?」

食い違った問い掛けは、更に食い違い玄武へ伝わる。

『それでも尚帰還を迫るか、ならばこのわしを下してみるがいい…!!』

足を振り上げ水面を揺らす。

「なんだかやる気ニャ、そうか!

カメは喧嘩が好きなんだニャ?」


「そうとわかれば簡単ニャー!」

猫の基本作法四作歩行で水を弾き、玄武の前脚を駆け上がる。

「フダンはヒトと同じ歩きかただニャ、喧嘩ニャらこっちがフツーだニャ!」

前脚を伝い跳躍し、背中へ乗り移る。

「いくニャー!!」

鉤爪を突き立て乱れ掻く。それはそれはもう乱れ掻く。

「ニャニャニャニャニャニャニャニャー!!」

『何をしている貴様!?』

其れが只の背中だと思いながら。

「固ったいニャ、歯が立たニャい…。

爪が折れそうニャ‥」

『当然じゃ!

甲羅に刃を立てるな、壊れる訳が無かろうに!』

猫の皆が愚者では無い。化け猫のコイツが、無茶な行いを好むだけだ。

「喧嘩したいって云ったのはオマエだニャあ!」

『いうておらぬわ!

貴様がお座なりな解釈を施してからに!』

「え、違うのかニャ?」


『いつそうだと云った?

わしは殺生は好まん。』

「セッショーって何だ?」

『あぁもう知らん!

兎に角喧嘩はしないのじゃ』

「そうニャのか。」『そうだ。』

神でさえ手を焼く無知な猫、知恵頭と謳われる博識者に扱えないとあらばある種敵無し、絶大な覇者と云えよう。


「ニャらニャにが好きなのニャ?」

『……』「何ニャ?」

流石の博識、不満を事柄を増やす度阿呆の疑問が増える事を理解している為にぐっと堪えて大概の事を誤魔化そうとしているが、どうしても言わざるを得ない事が一つだけ有った。


『はやく背中から降りろ、わしは先ず其れを好まん。』


「おおそうか、コウラに乗るのは嫌いニャんだな?」

「ニャら降りてやるニャ!」

言葉選びに成功し、無事猫を背中から降ろす事が出来た。


「で、何をすればイイのニャ?」

『わしは知恵頭じゃ』「で何ニャ?」

『これからお前には、わしと知恵比べをして貰う。』


「チエクラベ?

何だソリャ?」『問い掛けに応じろ』

『其れだけでいい‥。』

「簡単ニャー、其れだけていいのか」

『では、いくぞ…!!』

天と地の知力が静かに相見える。


「ちいっと派手に遣り過ぎちまったかもなぁ!」

岩に深く腰を下ろし躰を延ばしながら云う。

「山が倍に増えちまった。」

六体の鬼の山に、更に複数の鬼が重なり、平地だった土道に、赤い三角が映え聳えている。

「何だか鬼を狩るのも飽きてきたな‥そろそろ行くかぁ、祠とやらに」

腕慣らしを終え、神との対峙を試みる。

「おっと、これ一振り頂いてくぜ?

獣退治には丁度良さそうだ。」

チョウヂョウは分厚い鉄の金棒を、倒れる鬼の手元から一つ、頂戴する。

「さぁて、東の神サンは何処にいるんだぁ?」

金棒を、振り廻し肩に掛けながら祠を探る。

「ん?」

距離は遠いが明らかに土道とは雰囲気の異なる道がある。

「森か‥?

木が多く並んでる、先に道が続いている様には見えねぇが…。」

何処へ続く道ともわからないが、この男にとって様子見などという時間は無駄に過ぎない。何の様子を見るべきなのか、判断が付かないからだ。

「行ってみりゃ判るだろ、立ち停まってるべきでは無ぇよなぁ!」

土道を荒らし散らし、明らかに通る事の出来ないであろう木々の隙間に躰を圧し込む。

「俺の邪魔しようってかぁ?

木偶如きが良い度胸だなぁ!」

太い幹に膝を打ち端折り、無理矢理に隙間を設ける。後は腕力でしならせるなり、砕くなりして道を造り、粗暴ながらもぐいぐいと奥へ進む。

「悪りぃな木偶の棒ども、手荒な真似をして、だが俺は止まれねぇんだ。いや〝止められねぇ〟んだ。」

暴力を正当化させるべくの戯言だ、地獄でこそ云える。

「道こそ開いたが、此処には何も無ぇな、行き止まりか?」

暴威に目がくらみ、粗相の無い木偶達に、破壊衝動をぶつけた後の収穫無しでは、飛んだ荒くれ者の罪人だ。

「やっぱり道なんか元々無かったのか…ん?」

チョウヂョウの胸元から白い光が。

「水晶が光ってやがる、てこたぁ此処が獣の巣穴って訳か‥。」

実際は、少し前から輝き続けていたのだが、森林を伐採している最中では、気付く筈も無い。


「さて、御対面といこうか。」

光の線が真直に延び、祠への道を示す。其処を辿っていく事で、チョウヂョウの躰に異変が生じる。

「‥水か…?

…いや、これは‥」確かに其処に有る

何も無い訳ではない。現象が、広く景色を隠していたのだ。

「霧で祠を隠すたぁ周到なこったな。神の膝元ってのは皆こうなのか?」


『誰が神の膝元だ?』「なんだぁ?」

禍々しい聲に臆する事無く、素早く反応し、耳を預ける。

『手前、云い廻しから察するに釈迦の使いだな、俺様に何の様だ?』

霧を払う青い翼、長く見下ろす首、一口で神の其れだと判った。

「へぇ‥お前が東の護神(まもりがみ)か、思ったよりでかいんだな。」

『俺様がでかい‥?

其れは手前が小さい証拠だ。』

「何ぃ?」顔を合わせて間も無く険悪

『小さい奴程でかさの噺をしたがる、其れは手前が相手より…弱い《ちぃせぇ》事を知ってるからだ!!』

歯向かう男を弱者と蔑み、翼で嗤う。

只の弱者で有れば落胆し塞ぎ込むだろうが、天から降りた暴威の化身には寧ろ美味なる糧となる。

「言うじゃねぇか爬虫類‥!」

『良い教訓おしえになったか?』

「咄の後で悪りぃけどよ、でけぇ口開けて喋るてめぇの様は、虚勢張ってるみてぇで偉く弱々しく視えてるぜ?」


『手前、小せぇ上に馬鹿だなぁ‥!』

「何とでも云えよデカ蜥蜴!」

犬猿の喧嘩、犬でも猿でも無いが‥。

『釈迦の使い、名は何だ?』

「チョウヂョウだ、てめぇは?」

『青龍‥東の神だ…!』

青龍は躰を縮め、人同然の姿と成る。

「俺を同等と認めたのか?」

『勘違いするな、雑魚でも喧嘩し易いように力の標準を合わせてやったんだよ!』

チョウヂョウに負けず劣らずの体躯、顔の色素や背中の羽など、名残は多少有るものの力の範囲を人の段階に調整した東の化身。力量を幾ら抑えようと神は神、迸る圧が充分に漏れ伝わる。

『まどろっこしいのは好きじゃねぇ、いくぞ鬼公‥!』

「望む処だ馬鹿蜥蜴ぇ!!」

暴力と暴力の叩き合い、何も生まない餓鬼の喧嘩が血飛沫を飛ばす。


事象は其処で起きている。処変われば別の争い、力があれば知恵も有る。


「全っ然わからんニャあ!」

『咄を良く聞け、集中が足らん!』

「つまらんハナシなんか聞けないニャ!」

知恵頭の難解な問い掛けに頭を悩ませる無知な野良猫。解けるか否かの以前に、咄を聞く度量が欠けている様だ。

「あぁもうやめニャやめニャ、判る訳無いニャこんなモノ。」

『そんな筈は無い、もう一度云うぞ?』

天国へ続く二つの門。

一つは天国へ続く道、相対する門は地獄への入り口。

『お前はその二つの門のどちらかに一度だけ、言葉を問う事ができる。』

しかし門の返答は、一つは真実、もう一つは嘘のみを云う。

『一体何方が天国への扉なのか?』

「どっちでもいいニャ。」

『頭を行使せぬか馬鹿者!』

知恵を絞れと幾ら云われようとマタオは頑なに其れをしない。

「うるさいニャ!

そもそもお前は変な奴ニャ!」

『何が変な事があるか!』

「扉が勝手にハナス訳ないニャ!」

『何をいっておる貴様‥?』

「はなしたとしてもアテにニャらんわトビラの声ニャンて!」

単なる屁理屈、だが何故か納得してしまう猫の言動。間抜けな顔が助けているのか?

『怠けて頭を遣わんだけじゃつまらん、全く最近の若いもんは!』

ここから流れるように、老獪なモノ云いが始まる。

『元気が無ければ覇気も無い!

おまけに根気も皆無じゃ、まるで努力をしようとせん!』

『ならば此方が寄り添ってやろうと問い掛けをしても大事な事を何も喋らん、一切心を開かんのじゃ!』

「ニャー?」『黙れ戯けが!』

「タワケ。」

『そうじゃ、お前ら若者は皆戯けじゃ馬鹿者!』

一度に二度の暴言を吐かれるこの化け猫が、既存の若者に該当するか否かは難儀な処だが、云いたい事はあるようで。

「オレはタワケじゃなくてマタオだニャ!」

『五月蝿いわ!』

「一つ聞いていいか?」『なんだ!』

「お前の言うココロってニャあ、フタでも、ついてるのかニャ?」

『‥何を云っている?』

「付いているニャらとじとくべきニャ!」

〝心を開く〟文字通りの意味と心得る。誠の戯け、此処に有り。

「開けっパナシじゃ中身が溢れてしまうからニャー、閉じニャいとニャあ」

『それがいかんと云っておるのじゃ!

包み隠さず分け与える事こそが真の幸福じゃろうが!』


「そうかニャ?

でも町の姐さんはいってたニャ。大事なモノは奥にシマッて家の戸に鍵をかけろってニャ。」

『何が云いたい?』

悉く意見の食い違う二人、戯けは気に留めず言葉を紡ぎ続けるが。

「盗られたくないモノを隠しておくのは当たり前の事ニャ、オレだってドロボーが来たら家に鍵かけるニャ。」


「それをオカシイと云ってるお前は変な奴ニャ、オレがタワケなのニャら、お前はたわしニャ!」

『たわしじゃとぉ…?』

腹を立てにくい侮辱、いまいち気の持ちようが定まらない。

『わしをこけにしおってぇ‥!!

野良猫風情がしてくれおるのう…!』

おっと、しっかり刺さっていた様だ。

『もう知った事か‥!

知恵比べなぞ終わりじゃあ!!』

水色の景色に滝が戻る。水嵩は減り、足先を冷やす。

「なんニャ?」『ぐぬぬぬぅ…!!』

唸りと共に甲羅は広く、躰は大きく肥大していく。知力を全て、動力へと変え、意思を捨てた殺生を行う所存だ。


『がぅははは…!

どうだ天の野良猫よ、わしを憤怒(いか)らせた報いだ!』

衝撃波の如き轟音が、マタオを圧する。

『この姿は其の儘わしの沸点の振れ幅!

これだけ躰の膨れる程に、貴様はわしを怒らせたのじゃ!』

「……」『どうした聲も出せぬか?』

大亀と化した北の神をじっくり見上げながら、マタオは珍しく疑問では無く、理解の言葉を口にした。

「お前もそれできるのか、オレだけだと思ってたニャ。」

『何…?』冷静且つ飄々とした口調。

いつものおちゃらけた間抜けな声色で無く、心からの納得と理解が乗った音。


「オレもやってるニャ!」

全身に力を込める。毛が逆立ち、足元の水が波紋を浮かべ微震する。

「ニャッ!」

玄武同様躰が膨らみ拡張する。

『何故貴様の躰まで…?』

「わからニャいけど、生まれつきできたニャ!」

憤れる神と同格の大きさ、勿論物理的な体格差の咄だが。幻想世界を解き、地獄邸内での巨大化は、当然人の目に付く事になる。


「どうした、腕が止まってるぜ?」

『‥やりやがったな、あの亀公。隣は手前の知り合いか?』

「あぁ?

お前ぇ一体何云って…」

青龍の指先を辿り驚嘆する。

「おい、あの馬鹿猫‥正気かぁ!?」

阿呆の猫面が、空一面を覆っている。

「おいネコ助!

お前何やってんだよぉ!」

「あれ、お前チョウヂョウか?

ニャにしてんだそんなトコで」

「こっちが聞きてぇっ云うんだよ!」

『余所見すんな!』「おおう‥!」

喧嘩の続きで会話が途切れる。ゆるりと咄をする暇は無さそうだ。

「あれ、チョウヂョウがきえたニャ。

まぁいいニャ、居る事はわかったからニャ。」

近くに人がいなければ、世界に存在しない者と判断する割り切った性分、いや、チョウヂョウの云う通り馬鹿猫なのかもしれない。


『わしの真似事をしたとてなんだと云うのだ、誇る力の隔たりは幾ら真似ても埋まらんぞ!!』

力任せに腕を肩に掛け、体重を乗せる。

「ニャおぉっ!」巨躯に圧され埋まる

『恥を知れ馬鹿者』

言葉の過ぎる老獪に、猫の沸点も湧き上がり、燃え始める。

「馬鹿バカと、ニャんかい云えば気がスムのニャ!」

真実ほんとの事を云っているまでじゃ』

マタオの沸点は完全に煮え立つ。

「ニャら教えてやるニャ、喧嘩はバカなのニャ、チエガシラニャんて‥敵じゃニャーい!!」

盛り上がった両の二の腕に爪を立て、握り掴む。

『わしと力比べをしようと云うのかぁ…!!』

「五月蝿いニャあ!』

体重を掛ける玄武とは逆に、腕を持ち上げ天へ掲げる。

「ふぎぎぎ…ぎニャあ!」

腕の視点が逆立ちし、玄武を視る。

『ぐぅおぉ!』

脚が床から離れたことにより、マタオの負荷が軽減し、玄武の腕に爪が食い込む。

『うあ‥貴様ぁ!』

血の滲む腕で圧を掛けるも穿つ爪が力量を鈍らせる。

「ふニャあー!!」

マタオの力は止まらず、遂に玄武は天の晒し者となった。羽の生えた亀だ。

「ソロソロ決めるニャー!」

『やめろ貴様、何をする気じゃあ!』

霰もなく喚き散らし酷く狼狽する、神の威厳など最早無い。年老いた亀だ。

「ニャッニャニャーん♪」

左腕を腰に回し、右腕を甲羅の袖へ当てがいながら鼻歌混じりに己の体勢を捻り曲げる、其れは明らかに手に持っているものを投げる姿勢に入る様であった。

『くうぅ‥離せ、離せぃー!!』

玄武はすぐさま予感した、未来の動きに知恵が追い付いた形だ。しかし彼は見誤っていた。マタオの力を、そして喧嘩の順列を‥。


喧嘩は馬鹿がやるもの、頭の良い物知りが、情報外の軌跡を測れる訳が無い。


「ブッ飛べニャあー!!」

地獄の庭に、大亀を撃ち投げる。幻想では無く誠の空に、歪に浮かぶ満月が、鬼瓢箪の肴と成りて、宴の唄を、賑やかす。月にもいつか終わりが来たり、浮かべた次は沈む命。

『……。』

「またか、もうへばったのか?」

『場所を変えるぞ、身を隠せ‥』

「あん?

今度は何だってん‥だぁ!?」

月が好んだ沈みのいろは、青のち緑、東の木偶の向こう側。

「あんの阿呆猫、覚えてやがれ!!」

木々も祠も甲羅が総て、砕き壊して塵と化す。北の玄武は東の床に身を延ばし、甲羅を傷め地獄の土を抉る。

事態に東の喧嘩屋達は、只々被害を被るばかり、甚だ不快な想いを強いる。


「痛ってて‥こりゃ亀か?

こんなもん落としやがって、ちいっと遅かったら潰されてたぜ!」

間一髪木々の山に飛び込み難を逃れたが、連なる木々は跡形も無く吹き飛ばされ、分厚い砂の布団に寝かされたチョウヂョウは、多いに埃に塗れ躰を汚していた。

「でっけぇ亀だ、良い鍋が炊けそうだな。」

『西の玄武だ、出来もしねぇのに力比べでもしたんだろ。』

口に絡まる砂利を吐き落とし、甲羅の陰から姿を現わす。

「生きてやがったか」『当たり前だ』

「いいのか、住処潰されたぜ?」

『構うか』「さて、続きと行こうぜ」

『まぁ待て、邪魔物の処理が先だ。』

変化を解き文字通りの青龍と成る。

「何をする気だ?」『黙って見てろ』

青龍は翼を広げると、噴き出た風を玄武へ送り、亀の巨躯を宙へ浮かべる。


『他所のもんに迄手出しするな老いぼれが!』

長い尾を振り甲羅に打ち当て元居た北の方角へ飛ばし直す。

『さて、続きをやるぞ』

「切り替えが速ぇなお前!」

目で月を送り視線を返す頃には姿を人型に戻し喧嘩の体勢に入っていた。

「ま、咄の短い奴は楽でいいからな」

『理解が出来無ぇからか?』

「へっ、何とでも云え青蜥蜴!」

『云って中身が判んのかぁ!?』

脚があれば、何処でも喧嘩場だ。


北の祠

「ニャー、疲れたニャあ‥。アレを遣ると酷く肩が凝るのニャ、出来ればやりたくニャいんだけどニャー。」

すっかり肌が水に慣れ、尻をつけ脚を伸ばしきって寛ぐ程仲良くなった化け猫マタオ。巨大化の副作用なのか躰を痛め、今は休息に耽っている。


「それにしても良い天気だニャ‥。

ジゴクは酷いトコだってシャラクが云ってたきがするニャ、町とあんまり変わらニャい気がするニャあ。」

人の住処で地獄の良さを語る、天国の猫。

「鬼のイロが緑だったらチョウヂョウの奴も一緒に…ニャ?」

陽の光を隠し、陰を生み出す謎の丸。

丸はマタオの頭上丁度真上で、音を立てて降下する。


「もしかして‥帰ってきたニャー!」

空を覆う丸は地上近くで収縮し、元の大きさに変化する。

「それにしたってでっかいニャー!」

水面をはしり、落ちるすんでのぎりぎりの処で何とかその場を乗り切った。

「はぁ‥はぁ…危なかったニャ…。もう動けニャい。ちょっと、コウラ借りるニャ…。」

水に浮かんだ甲羅を枕代わりにし、本域の休息を迎える。起きる頃に、未だ陽は彼を照らしていてくれるだろうか‥。


「うぃ〜っとぉ‥どうも外が騒がしいのぉ、童子がへまでもやらかしおったか?」

相も変わらず呑んだくれる真赤の獄神閻魔の大王、方角の争いや巨大獣の乱闘を未だ眼に入れてはいない様だ。

「んまぁ奴はくだらん糞酒狂いじゃ、へべれけで暴れ廻ってもなんらおかしな噺じゃないのぉ。」


「閻魔様、御報告が御座います!」

「なんじゃ貴様…?」

「も、申し訳ございませんワタシの名は‥!」

「名乗らんでいい、要件はなんじゃ」

「は、あ、有難う御座います!!

報告です、穴から参った咎人が、四神様の祠の辺りを廻っております!」

名前を覚えた訳では無い、所詮誰でも関心が無いのだ。

「四神の祠ぁ?

そんな処を廻ってどうするんじゃ」

「判りません‥ですが、監視などの警戒を置いた方が…」

「放っておけ。ただの街人が、祠を辿る事はできん、仮に出来たとしても獣共には歯が立たん。」


「ですが見張り程度の警戒をした方がよろしいかと‥」

「要らんと云ってるわ!

其奴らが獣と相対す程の実力者だったなら警備など蟻の子同然、塵の糞じゃ!」

男の言葉を悉く非とする。名前すら覚えていない癖に。

「報告は以上です。」

「とっとと還れ下衆が!!」

「奴の所為で酔いが覚めたわ、再び酒盛りといくかのぉ‥。」

酒を鱈腹搔っ食らうばかり、怠けていると思われがちかもしれないがそうでは無い、遣る事が無いのだ。


「うらあぁあ!」『ぐお‥だらぁ!』

両者譲らぬ撃ち合い。殴っては避け殴っては避け、当たっても返し当たっても返し‥。何処から血を流し何処に傷が出来ているのか把握の無い程夢中な喧嘩を繰り広げている。

『人の割にはなかなかやるな手前!』

「お前が俺より劣るんじゃねぇのか?」

『へ、だから‥標準合わせてやってんだ馬鹿が!!』

左の龍の拳を一つ避け、後方へ跳び転がる金棒を握る。

「素手ばっかりじゃねぇんだぜ!?」

両手で掴み顔目掛け叩き付ける。がしかし東の神の右の手が拒み、粉砕する。

「掌の方が硬ぇのか、大したもんだ」

『赤鬼の脇差が神に効くと思ったか?』

「神もごろつきも関係あるかよ!?」

『ぼぁっ…!』渾身の左が腹を抉る。

「まだまだぁ!!」

がら空きの背中に握った両の拳を振り降ろす。

『させるかよ‥!』

青い躰を起こし腕を払い緑の胸に蹴りを炸裂させる。チョウヂョウは衝撃を受け後ろへ吹き飛び砂埃を散らしながら膝を落とす。

『生身じゃキツイか、鬼公?』

「何処を見てんだ神の癖によ、こんなにピンピンしてんじゃねぇか!」

『‥俺様を天国うえに還すって云ってたな?』

「あぁ、釈迦サマの命令だからな。」

『そんなに釈迦が大事か、あんなつまらねぇ街がよ。此処の方が合ってるだろ、手前にはよ』

「たしかに此処は愉しいぜ、規制は無ぇし腕の立つ連中がわんさかいやがる。‥けどよ、あの町から此処に来てるからそう思えんだ。」

『云ってる事が良く判らねぇが…。』

「平和なもんが手元にあるから危険が恋しくなる、元から危険じゃ目もくれねぇや」


「俺は平和な処で危険の赦される場所を望んでる。確かに上のあの町は嫌に平和だが、お前ら方角の獣が還ってくれりゃあちったあ変わるだろ?」

『やっぱりお前ぇは馬鹿だな!』

「こんな連中腐る程上に居るぞ?」

美化の過ぎない平和な世界、適度な毒と下品な噺、それを止めない寛容な住人。地獄で其れを実現するには、酷く荒み過ぎている。

『だったら俺様をぶっ倒してみろ!!』

「云われなくてもそうするつもりだ!」

『ヒヒィン‥』


『‥む、此処は…わしの家か。』

地獄旅行を経て、城へと帰還した北の老獪知恵頭玄武。乱闘、乱闘後の記憶は気を失っていた為、粗方ぼうっと浮かぶ程度にしか残っておらず、節々の痛みの原因も判らない。唯一つ覚えていたのは、傍らで寝そべる野良猫と、一悶着あったという事だ。

『戯けた餓鬼じゃが、憎まぬ顔をしておるの‥』

屈託の無いマタオの寝顔に、ある種の情が芽生えつつあった。


































































































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