西の風脚 白虎

「う‥ん…。」

目を覚ますとシャラクは、広大な草原に横たわっていた。

「祠の前まで進んだ筈だが‥引き戻されたのか…?」

外傷を負った形跡も無い、広がるのは、見慣れた景色。

「水晶は‥!?」懐を探る。

「良かった、壊れていない」

盗られる事も無く、但し輝いてはいない。

「‥仕方無い、もう一度祠へ…」

『目覚めたか小童』

風が大きく靡き、声を運ぶ。

「この声、先にも祠の前で‥」

光の中で聞こえた、鋭い聲。

『祠に歩を進めた処で何も無い』

風が一層強くなる。

『何故なら我は此処に存在いるのだから‥』

草を揺らす風は渦を創りながら空へと吹き上がり、緑色の大地に白き獣の姿を現わす。

「貴方が白虎。」『如何にも‥。』

紅く灯る瞳、緩慢に蠢く虎の尾が、緊迫を煽る。

『貴様が我を目覚めさせたのだ』

穿つ牙の鋒が、シャラクを睨み付ける

「申し訳無かった、起こすつもりでは無かったのです。」

腰を下り跪いて誠義を示す。

『‥ならば如何様か?』

「私は釈迦様の命により、天より参降りし、使者‥。」


「白虎様、貴方をお迎えに参りました所存です。」

頭を垂れ、己の身の程を晒す。

『釈迦だと?』「左様で御座います」

揺れる尾が、ぴたりと静まる。

『あの我儘娘が我に還れと宣うか、無粋な事だ。』

「釈迦様は、貴方をお待ちにお出でです。貴方が天に居なければ、西の方角を護るモノがおらぬと‥。」


『知った事か、我は西の神。護る方角は己で定める。天でなくてはならぬという謂は無い!』

囚われの身では無い、座る台座は己で決める。其処がよりにもよって、地獄の西だとは、厄介にも程が有る。

「どうしても天に戻る意思は御座いませんか‥?」

『何遍も聞くな。』「そうですか‥」

「なら腕尽くで、云う他無いか‥。」

『貴様如きが、我に牙を剥くか

面白い、やってみるがいい!!』

大風が互いを包むと、草原が更に規模を拡げる。

『貴様と我のみの幻想空間だ、存分に毀れた牙で噛み付くがいい。』

「御丁寧に、有難う。」

『造作も無い、神の遊びだ。』

方角の神は、釈迦同様架空の空想を具現化する事が出来る。しかし釈迦程万能な代物では無く、四獣のそれは〝空間の創造〟に留められいる。己が浮かべた空間を、創造し具現化する。それが方角の神として与えられた力だ。


「……。」

(障害物は無しか、自ら動き易い地形を敢えて残したみたいだね‥。)

『長考か、咎めはしまいが日が暮れてしまうぞ?』

「‥幻想空間に日没があるのか、やけに粋な計らいだね。」

『拝んでみろ、其れまでに眼を開ける気力があればな!』

猛進し、左の爪を突き立てる。シャラクは前脚ごと受け止めなんとか其れを支え抑える。

『ほう、素手で我が爪を止めるか。

武器すら持たずに刃向かうとは‥愚か者甚だしいな。』

「神サマにはつまらないかな?

天国で争いは滅多に起こらないから武器を持たないのは珍しい事ではないよ、みんな素手で暮らしてる。」


「但し私の腕は、人より少し長いけどね!」

跳んで後ろに一歩下がり、前方に腕を長く延ばす。伸ばした腕を下に逸らし、腹部近くに両の拳を忍ばせ、天に突き上げる事で白虎の腹に強烈な打撃を与える。

『がっ‥!』「痛いだろ?」

『餓鬼風情がっ‥!』

「おっと逃がさないよ。」

空中で体制を立てる白虎の躰に腕を絡め、僅かな長さを残し縮め戻す。そうする事で、物理的な距離が大幅に近付き、先手を打てる。

シャラクは腕の伸縮を利用し背後に廻り、白虎を縛り羽交い締めの状態にする。

『小賢しい真似を‥!』

「大人しくしていて貰いますよ?」

『人如きが我に指図するな!!』

憤りに呼応するように、強風が吹き荒れる。風は徐々に拡大しやがて竜巻となり、二体の影を覆う。

「竜巻に、呑まれた‥!」

回転する風の衝撃は、白虎への拘束を緩め、剥がしていく。

『風は我が支配下、貴様の小細工など到底及ばぬわ!』

シャラクの腕は完全に緩み、白虎の躰を解放する。

『忌々しい縛りが解けたか、晴れやかな気分だ。‥覚悟はいいな小童?』

距離を取ろうにも風に圧され身動きが取れず、抵抗の余地が無い。

『我の風脚、受け《くろう》てみよ』

「まずい‥!」

竜巻の中で躰を捻り、渾身の後ろ脚を振るう。抵抗儘ならぬシャラクは其れを完全に腹で受け、苦悶の表情を浮かべる。蹴りの衝撃は凄まじく、竜巻を突き破り、シャラクを外へ飛ばす程。

『他愛も無い、所詮は人よ。』

白虎を覆う竜巻が立ち消え久々の空が顔を出す。

『さて、祠に還るとするか‥』

『ん‥?』躰が思うように動かない。

「貴方が還るのは‥上でしょう?」

地に落ちるすんでの場所から、シャラクの腕が伸び、右の前脚に絡み付いていた。

『未だ息があったか、童』

「回し蹴りくらいじゃあ死なないさ、相当効いたけどね‥。」

『気丈なやつだ。いや、強情と云った方が適切か?』

「‥なんでもいいんだけどさ、其れ程高い処からじゃあ云っても届かないと思うよ?」

「それっ‥!」『ぐおっ!』

白虎を繋げた腕をぐいと下げ、急下降させる。拘束され、急速な落下を強いられている事で体制を大きく崩している故、躰の自由が効かない。簡易的ではあるが、竜巻の風圧を受け抵抗を失う事に、似通った状況下が発生している。

『我から離れろ‥!』

頑なに腕はしがみ付く。

「御免ね。本当は私が其方へ行くべきなのだが、疲弊していてね。」


「手間が掛かるが、君が此方へ来てくれないか?」

腕を引き寄せ縮ませる。関節の位置が戻ると共に、白き獣が近付いて来る。

『ぬうっ‥!』「また逢いましたね」

「恩を仇で返すけど、悪く思わないでくれるかな?」

虎の牙を撃つ右の鉄槌、矮小な人の愚鈍な一撃。白き獣は青に跳び込み、緑

に映える。

「痛っ、衝撃が拳に響いてる。やはり武器は持ってくるべきだったね‥。」

物理的な打撃では、蓄積が大きい。常に諸刃の剣を振るう事になり兼ねる。

「気を失っているのか?

今の内にどうにかしたいものだけど、此処から出る方法が判らないとな。」

招かれた幻想空間、人の頭の鍵は持っていない。

「仕方無い、少し原っぱと遊ぼうか」

傷む右の手を押さえつつ、腰を下ろし草を弄る。

「それにしてもどうやって出ればいいのだろう?」

『‥がさんぞ。』「何…?」

鋭く響く禍々しい聲、さっきまで聞いていた声だ。心なしか、先程よりも圧を増している気がする。

『貴様は、生きて還さん‥何処へも逃さんぞ…!!』

空間は大きく地形を変え、高い樹木の多く並ぶ森へと変貌する。

「嘘だろ…。」

きしきしと響いていた右の痛みがぴたりと止んだ。シャラクの焦燥は、痛みを越えたのだ。

「釈迦様、流石に私も文句を云いたい所存です…。」


十字路・北

「ニャ?

門があるニャあ、アレをくぐると外に出るのかニャア?」

自らの役割を知らず、方角も恐らく把握していない。そもそも神や冥土の概念の無いコイツを一人で歩かせたら、それは只の野良猫の散歩だ。

「門を抜けたニャ。

‥ハンノウしニャいニャあ、ミチをしめすって云ってたのにニャ。」

肉球の上の水晶の欠片に傾いた猫の阿保面が反射して映る。

「それにしてもジャマだニャこのイシ、持って歩くニャでか過ぎるしニャア。」

唯一の道標を道端の石ころ程度に捉えている、此処が地獄だと未だに理解していない。危機的感覚が絶望的に皆無なのだ。そもそも北を目指し歩みを進めたのも〝真っ直ぐ行けば辿り着く〟とセイラに聞いたからだ。

「どうするかニャー。」

しかしこの獣もどきには、絶望感という感情すら有りはしない。故に常に平常心なのだ。


物事に理解が薄く、危機感を持たず、それにすら絶望を感じず常に心が揺るがない。


これらを一括りに世界では【馬鹿】と呼ぶ。

生も死も変わらない。馬鹿は死んでも治らない、当然だ。死して気質が変化する訳では無いからだ。


「あ、良い事考えたニャん!」

しかし未知の領域では、蔑まれ、罵られる〝馬鹿〟は刻として〝希望〟と成る。

「あーん‥。

ごくっ‥げっふ…よし、これで安心ニャ。」

そう、希望と成る。〝刻として〟!!


『そんなものか、童ぁ!』

「疾い‥流石は神か。」

赫い瞳の残像を背景に残し、薄暗い森を駆け跳ぶ西の神白虎。

シャラクは動きに撹乱されつつ、樹木から樹木へと移り変え、身を隠し続けていた。

『ちょこまかと身を潜めおって、野鼠が‥』

「瞬間移動、まるで忍だ。物理的な速度だけであのはやさだ、地形まで有利に変えられたらやり様が無い。」

力略に知略、二つの高過ぎる性能がシャラクを追い詰める。

(此処の木もそうは持たない、見つかるのも時間の問題だ。)

生い立つ木々の中から独自の判断で選んだ樹木へ跳び移る。距離、太さ、様々な基準が存在するが、共通し最大の基準点は生き残れるかどうか。

(動きは相変わらず読めないが、一点を狙って確実に仕留めてくる筈だ。)

不規則な移動速度に対応する事は確実に不可能、だが動向の傾向は把握できた。


「単発は駄目だ、複数に紛れないと‥」

シャラクは今居る場所から見える範囲で、周囲の植物や木々に、出来るだけ重なった樹木を見極めた。

「あった、だけど少し距離があるな。腕を伸ばして地面を介せばなんとかいけるか‥?」

問題が幾つか数えられるが、他に目ぼしい箇所は見当たらない。多少の危険を顧みず、腹を罹る以外に道は無い。

(奴が向こうへ行ってからだ)

薄闇を赫く灯し、辺りを視線で斬りつけながら森を踏みしめる白虎の眼差しが今まさに、此方に向いている。

奴が通り過ぎある程度の距離をとる瞬間を見計い、木の陰で息を殺す。

(あと三本進んだ距離感で‥)


『童、どこへ消えた?』

(壱‥)

『くだらん隠れん坊だ。』

(弍…。)

指折り数え機会を待つ、こどもの遊びにも折り合いを付ける頃だ。

「参…」

(今だっ‥!)

仮初めの黒に腕をしならせ、枝を捕らえる。

『そこかぁ!』白の鉤爪が木を抉る。

間一髪其れを避け、土を蹴り上げ闇に消ゆる。

『どこへ消えた、野鼠ぃ‥!』

優位な幻想に脚を掬われ己の眼を眩ませるに至った。強大過ぎる力が仇となり敵に廻る自力。

「ふう、なんとか上手くいった‥。

次は、どうするべきかな?」

思惑は成立するものの白虎を倒す決定打が未だ手元に見られない。抗う為には長考が余りにも不可欠にあった。

(遣り様は同じだが、此処で時間を稼ぐとするか‥。)

枝の隙間から、神の様子を伺う。人の視界では景色は鮮明に映らず、遠くに二対の赫がぼんやり輝くのみだ。

「こっちを視てるのか?」

『……』何も云わず、動かない。

(向かって来る様も見られないな)

『面倒だな‥遊びは…』「‥何…?」

言葉を発した事は判った。だが咄の続きは、他の音に搔き消え遮られ。

『雑に…を‥‥たく……がな…。』

「なん、言葉が全く、届かない」

闇に、獣に気を取られ音の在処に気付かなかった。いや、地形が変化してからというものシャラクは常に、敵の数を見誤って争いに耽っていた。

「森が、揺れている‥。」

草木を乱し、躍動する。

「遂に愛想が尽きたか、西の神よ!」

風柱が森を脅かす。樹木を抉り土を削り、己の幻想を粉々に砕き糧とする。


「白虎様、貴方は地獄に身を置き過ぎたようですね。」

森を喰らった風の渦は黒々とよこしまな鎧を纏い、シャラクを睨んだ。釈迦の白い面影は最早無い。

「このままでは呑まれてしまう、かといって逃げ道は無しか‥。」

溜めていた息を吐き、前方の左右を確認する。シャラクは確認した位置に点在する樹木に腕を延ばし、木を掴みながら下がる事のできる限界にまで躰を後退させる。

「抜け道が無ければ、向かうしかないのかな‥?」

木がしなり、腕の伸長が限界に達する。

「私は、釈迦様の御役に立てただろうか?」

最後まで、釈迦に対する貢献への疑念を吐露する忠実の過ぎた天の使者シャラク。

「私が幾ら頭で考察を測ろうと、お決めになるのは釈迦様だ。‥それに地獄に来たのは私一人では無いからな。」


「‥セイメイ君、後は頼むよ。」

筆頭に全てを託し、黒き災いに身を投じる。地形を巻き込む風柱の回転は拍車がかかり、触れるのみで肉を裂く程になっていた。

(風で人が斬れるのか、何故私はこれ程の脅威を敵に廻しているのか‥。)

「こんな化け物を膝で可愛がるのか、釈迦様は…」

服が避け、肉を裂き、血を糧とする。

(何か手は無いか‥。こんな刻でも、私は生に執着している。)

「もう、死んでいるというのにな…」

(邪悪なモノを取り払う、何かがあればいいのだろうか‥。)

黒き風柱を邪と捉え、聖で圧する。

(聖なる光は邪なモノを取り払うと聴いた事がある。)

これ程に強大な闇を払う光を放つ者などシャラクの頭で浮かぶのは唯一人。

「釈迦様の恩恵があれば‥。」

「‥待てよ、あるじゃないか」

シャラクは思い出す、己の担う役割を、釈迦に受けた恩恵を。

「釈迦様、力をお借りします!」

懐から水晶を取り出し、風に晒す。斬られる腕から流れる赤い血が、釈迦の恵みを濡らす。

「これは‥!」

聖なる白は人の赤を加え、光り輝き闇を照らす。

「釈迦様、申し訳御座いません」

水晶の欠片は、邪の黒を取り除く代償を受け、粉々に崩れ形を滅した。


「標を砕いてしまったか、還り道は困難になるな‥。」

『それは残念だ』「‥白虎っ…!」

風の残滓に乗り、白き獣が瞳を灯す。

『存分に迷い彷徨うがいい』

シャラクの眼前で躰を捻り風を操る。

(風脚か‥!)

『神に逆らった罰だ‥ふんっ‥!』

神の後脚は、人の下腹部を直撃する。

「がぁ…!」

樹木を突き抜け幻想の土へと叩きつけられる。

「う‥ぐおぉ…。」

(やはり効くね、神の一撃は。…でもおかしい‥)

「衝撃が、確実に弱い。」

状況は同じ。空中で抵抗ができず、逃げ場は無い。にも関わらず大きく隔たっていた。

「向かって来るまでは、草原と同じ。‥だが直前に、打撃がよわまった。」

シャラクは蹴りの衝撃を受けた下腹部に触れる。

「なんだこれは‥!?」

蹴りを受けた辺りの箇所から、液体が漏れ、衣服を濡らしている。

「血…では無さそうだ、打撃ではこれ程の出血はしない。ならばなんだ?」

衣服に触れ掌に付着したそれを、おそるおそる鼻腔へと運ぶ。

「これは…!」馴染みを覚える風味。

「いや、しかしまさかそんな事は‥」

己の中の可能性を疑問視していると、木々で溢れていた地形が独りでに姿を変え、元の草原へと戻っていく。


「地形が‥戻った?」『ぐふっ‥』

長らく空に浮かんでいた白虎が、悶えた様子で音を立て緑へ落下する。

「白虎が、衰弱している…?」

頰を赤らめ、陶酔した様に舌を出し息を切らしている。

『貴様‥我に何をした…!?』

白虎の躰に良く目をやると、液体が付着し、表面が薄く濡れ湿っている様に見えた。

「そうか、まさかこれが‥こんな処で…。」

西を討つ決定打が、漸く手元へ宿る。

「白虎様、改めて申し上げます。貴方を、天国へ御迎え致します。」

『調子に乗りおって、釈迦の使い走り

が…!』


『云った筈だ!

護る方角は我が決めるとな…!』

力任せに飛び掛かり、爪を穿つ。

「疾さを失おうと、力は余るか‥」

痛々しく抉れた草地が其れを物語る。

『隔たりが生まれようと神は神、人如きでは相手は取れん!』

両の爪による暴我の猛撃、草を掘り土が起き上がる。

『私はその神から頼まれたのだけどね!』

腕を前方に伸長する。

『又も腕を延ばすか、芸の無い奴めが!』

「何せ、武器を持って来なかったものでね‥」

延びる腕は白虎の二の腕を各自捕え、しなりを加えながら躰を引く。負けじと白虎も力を込めて後退し、耐久を測る。

「そろそろか‥。」

単純な力比べでは確実に劣るものの、腕を縛られ、後ろ側に力を行使した白虎には大きな隙が見られた。シャラクは強く後ろへ引かれる反発を利用し、白いがら空きの腹部に目掛けて跳び蹴りをかます。

『ぐうおぉ…!』深い唸りを上げる神

吹き飛ぶ躰を土に刺した爪で擦り、衝撃を殺す。

『‥おのれがぁ…!』「……」

酷い錯乱状態にある様だ。先程までならこの程度の思惑など、容易に把握できた筈。

「余程効いたのか?」

『甘ったれるな童ぁ!』

地に爪を入れ、土を飛ばす。白虎が赫い眼光を向けると、肥大し形を変え、岩石と成る。

「なんでも有りか‥!」

『食らうがいい』

六つの大きな岩石が、シャラク目掛けて飛び落ちる。

理不尽な脅威に狼狽しつつ、僅かな隙を縫って岩を回避する。

「半分避けた、しかし無茶苦茶だ。規模も範囲も強大過ぎる。」

地形が広大な草原という事が味方して、隙は確保出来てはいるが余りにも弾数が多く有り過ぎる。

「どうしたものか‥待てよ、落下している?」

迫り来る岩の進行方向に着目し、考を映わせる。

「ならば、酒瓶と変わらずか‥!」

前述に酒盛りに耽っていた赤鬼とのいざこざを思い出す。

「少し無理を強いるやもだが…!」

シャラクは足元に転がる岩片をにぎり、架け橋の如く躰を反る。草地から脚を離すと同時に腕を極限まで伸ばし、身を放り出す様に高く跳躍する。

岩石は壱、弐と落下し砕け、砂利と化す。

「おっと‥いい処に障害物が有った、ちょいと踏み台に借りていいかな?」

最後の落ちる大岩の丸い頭を踏み上がり、更に高らかな飛躍を遂げる。

『潰れろ、そらの愚者よ!』

最後の岩が崩れ落ちる。しかし其処にシャラクの姿は無い。

『何処へ消えた‥小童ぁ!』

「悪い、勝手に持ち出してしまった」

『何…?』「これ、今君に返すよ。」

岩片を頭上目掛け投げ飛ばす。見事額に打ち当たり、白虎は卒倒し、何度目だろうか緑に馴染み同化する。

「ふうっ‥。」

地に降り着いたシャラクはまじまじと白虎の顔を確認し、溜息を吐く。


「やはり少しばかり的を外すね‥。」

己の投擲感覚の非凡を戒め、腰を下ろす。

「すみませんね白虎様、少し手荒が過ぎました。」

額からは血が滲み、赤く腫れ上がっている。

「私も疲れたな。今度こそ、草との戯れといこう…。」

シャラクは暫し、眠りに着いた。


「今の俺は‥自由だー!!」

天に拳を突き上げ、歓喜の雄叫びを響すは東の道を進んだ使者チョウヂョウ。

「平和な街とは一旦オサラバ、単独行動で、周りは敵だらけ‥。」

「最高の祀りだ!!」

地獄に来た者達は、釈迦に忠誠を誓うもの、威厳から、行かざるを得なかった者。殆どが自らの意思では無く義務的な冷ややかな感覚での同行だがこの男は違う。

平和な日常まいにちに退屈を感じ、持て余した力を盛大に奮いたいが為の暴威を発散させるべく地獄へ降り立ったのだ。

「さぁ敵はどこだぁ?

四獣と張り合うにゃあ未だ早すぎるぜ、腕っ節の強え奴どっかにいねぇか!?」

緑の巨躯に角を生やした鬼の如き風貌故街では上手く溶け込んでしまい相手にされる事は無かったが、一歩外へ飛び出せば、館の悪い輩はごまんと居る。目立つ事をすれば幾らでも湧いて出るごろつき共は、非常に厄介だ。できる事なら関わりたくはない連中だ。


「おい、てめぇ!」「ん、なんだ?」

ならば奴らにとっての目立つ行動とは一体何なのか、例えるなら‥天に拳を突き上げ、雄叫びを上げる事、だろうか。

「オレ達の縄張りで何してんだ!」

「何してるか、教えてやろうか…?」

暴威が羽を広げ、嗤い転げる。


『……く‥。』「あ、目覚ましたね」

久々の陽の光に虹彩を惑わせながら、白虎は瞼を静かに開く。

「さぁ白虎様、還りますよ?」

『なっ‥貴様、何をする、離せ!』

シャラクの左腕が全身にぐるりと巻き付き、完全に躰を捕らえている。

『貴様、神を愚弄する気か!』

「していませんよ、警戒しているからこそ捕らえて居るんです。」

かつて童と下に見た男に、身を拘束され、尾一つも動かせずにいる現状は、西の神と名乗るモノにとっては耐え難い屈辱となっていた。

『いいだろう、貴様が離さんと云うのなら、我が粉々に噛み砕いてやろう!』

「おっと、そうはさせませんよ?」

『ぐっ…!』

喉に岩片を突っ込まれる。白虎は顎の開閉が出来ず、あんぐりと口を開けたまま閉じる事が出来ない。

「仕方有りませんね、あれを使いましょう。」

釈迦は懐に深く手を入れ、黒い一本の筒を手に取り蓋を開け、怪しげな液体を開いた口の隙間から舌先へ数滴のみ垂らし流す。

『貴はま‥あにを盛っへいふ…!?』

「そろそろかな‥?」『ゔっ‥!!』

白虎の頰が赤らみ、とろりと火照る。

「やっぱりそうだ。この液体、酒の酔いの様な心地良い作用を与えるんだね。」

『貴はまぁ…!

我に何をしたぁ!!』

「そんな事云って欲しくてたまらない癖に、ほら。」

口の中に再度、液体を垂らし投げる。

『ぐ‥ほんな事…あるかぁ‥!

我に…我に何を盛ったぁ‥!?』

「これはまたたび汁、鍋に入れると美味いらしいけど‥」


「余り、おすすめはしないかな。」

『まははび‥。』

天国あっちじゃ博識な方だと自信では思うのですが、一つ単純な事がずっと判りません。」

『…‥?…。』

「猫と虎、何がどうちがうのでしょう?」

舌先に筒を傾けて、残りの全てを流し込む。

『‥がっ……。』ばたりと意識を失う

「向こうへ行けば、いくらでも手に入りますよ、白虎様…?」

シャラクはゆるりと拘束を解いた。


「咄になんねぇぜ!」

巨躯の赤鬼を放り投げ、ぐるぐると肩を回しながら足しにもならぬと首の骨を鳴らす。道端の暴力のみでは欲を満たすには不十分の様だ。

「酒か‥。

縄張りがどうとか云ってたが、こんな処で宴まで開くのか?」

火の消えた焚き火の後に、串刺しの焦げた魚、それを囲うように人数分の酒が輪を造り並んでいる。

「一つ、貰っていくとするか…。」

輪の内の瓢箪を一つ、戦利品として盗っていくチョウヂョウ。遣り口はさながら盗賊の如しだが、相手は街外れのごろつき、元々大した出処の酒では無いだろう。

「がふ‥辛っれぇ!

良くこんな酒飲めんな此処の連中はよ!」

瓢箪には大きく黒々と〝地獄〟の文字。天の人の口に合う筈も無い。

「祠に行くには未だ惜しい、もうひとしきりウロついて鬼を探すか?

‥いや、此処で来るのを待つか。」

一先ず目に付いた岩に腰を掛け、辺りを見渡す。

「本当に、何も無ぇな。

只の道なら仕方ねぇ事だが‥」

空虚な景色を眺めながら、ふと物思いに耽る。

天国あっちの町外れは何があったっけなぁ‥そもそも道なんかあったか?」

四獣を奪われ均衡を崩し、町の向こうの印象は酷く薄れ消えていた。地獄の無駄といえる程豊富な道は、天国の規模を吸収して出来上がったもの。元々は天国に点在する筈の地形なのだ。地獄の元の規模は、釈迦の統べる天国とは、比べ物にならぬ程小さいのだ。


罪人が誤って落ちる場所、裁く力を持たぬ仮初めの地。

それがエンマのアナザー地獄だ。

「まぁ還る頃には判るだろう、こんなつまらねぇ道じゃなきゃあいいがな」

口に出して云いながら、背中の恩恵を、引き抜く。

「なぁ釈迦サマよ!」

力無く手を振り、動き傾く。

「時期が経てば武器になるなんて云ってたが、変わらず腕のまんまだぜ。」

来るべきときでは無い、といった処だろう。

平和に刻をきざんでいるが此処は地獄、ゆるりと寛ぐ憩いは無い。

「おい、緑の大男!

足元のそれ、酒か?」

白髪の赤鬼が、瓢箪を指差し云う。

「あぁ、これは酒だ。飲むか?

俺の口にはどうも合わなくてよ!」

「いいのか?

へへ、悪いな‥。」

「兄貴ぃ〜!」

左の方から甲高い鬼の声、呼び方から察するに白髪の子分か何かだろう。

「どうしたイカリ?」「仲間がぁ!」

「一人残らず白目向いてますよ!?」

「何ぃ‥?」

山の如く積まれ伸びる鬼の束。

「さっきのごろつき共の事か?」

「あぁ〜!!」「今度は何だ!」

「あいつの持ってる瓢箪の酒、おい等達が飲もうって集めた髑髏ですよぉ!?」

「しゃれこうべぇ?

色気の無ぇ名だなぁ、道理で辛ぇ訳だ」

「てめぇどう云う事だ…?」

血走る眼でチョウヂョウを穿つ。

「おっかねぇ顔だな、見ての通りだ。俺が全員叩き潰したんだ」

「てめぇやってくれたなぁ〜!?」

「地獄で鬼を憤怒らせたな…?」

鉄の塊を肩に掛け、言葉通り鬼の形相を浮かべる。

「お、金棒か!

物騒なもん持ってんだなぁ」

岩から腰をあげ拳を鳴らす。

「二人か、ちいっと数は少ねぇが仕方無ぇ、相手してやるよ!」

「二人?

何を云ってんだてめぇは…」

「何ってお前らたったの二人しか‥」

白髪の陰から三、四…六と以前の倍の数の赤鬼が、金棒を携え此方を睨み、待ち構えいた。

「オレ達が、鈍ったてめぇの肩を幾らでも鳴らし壊してやるよ!」

「意味も文字も違ぇよ鬼猿。‥まぁでも、肩慣らしになるんなら有り難ぇ噺じゃねぇか?」

地獄の銘酒ガシャドクロを投げ当てる。水が飛沫し鬼の粘膜を襲う。


「ぐあぁ〜目がぁ!!」

「沁みるだろ?

良い酒は道を惑わせるもんだ‥ぜ!」

瓢箪を蹴り上げ打撃と変え、腹に当てる。目を潰された白髪の鬼は受け身をとれず、腹を押さえて悶え縮む。

「兄貴ぃ!

てめぇよくも兄貴を!」

「やっちまえぇ!」

鬼の残党が狂い迫る、金棒を掲げた脅威となりて襲い来る。しかしチョウヂョウにとってこの状況は、耐え難い悦びだった。待ちにまった暴威の祀り、抑えた力が衝動が疼き蠢く。

「簡単にくたばんじゃねぇぞてめぇら‥しっかり愉しませろぉ!!」

平和は刻に、別れを告げた。




































































































































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