始まらないオープニング

「アナザー天国」

そう呼ばれる町の住人に僕は気が付いたらなっていた。

 町は異形な姿の人で溢れ各々が意思を持ち、暮らしている。

町の空気や食物に触れる事で形を変えていくらしいが、何故だか僕にはそれが見られない。

 町を改めて歩いてみると、異形なモノ達は口を揃えて〝釈迦サマ〟という名を口にする。シュノボウにその名をきいたが濁すばかりで明確にはわからなかった。ただ一つ、釈迦サマというはこの町に無くてはならない存在で絶対的な権威だと教えてくれた。


特に僕にはその意が強いらしい‥。


「これから何処に向かうんだ?」

「商いのサカンな町の台所デス。」

「台所‥。」

「お前の食った魚もここのだぞ?」

 町の中のその場所は如何なる刻も大概賑わっているらしい。

「言われてみればさっきより人多いかも‥。」

そんな処で何をするのか、相変わらずシュノボウは教えてくれない。値段でも付けて売られたりして‥

「サテ、私達はココイラでお別れデス。サラバ!」

「え、ちょっ‥どういう事?」

「元々ここで、別の奴にお前を任せる事になってたんだ。‥ま、俺は買い物のついでに付いてきたんだけどな。」

「私は他の方の案内が御座いマスので、コレデ。」

「ちょっと待てって、こんな処で置いてけぼりってお前‥!」

「安心しろ、これからくる奴はあんなちゃらんぽらんより頼れる奴だ。」

「ほらこれ、腹減ったら摘むといい」

チョウヂョウは小さい藁の包をセイメイに差し出す。

「握り飯‥」

「中には同じ魚を入れといた。」

「じゃあな、そこを動くなよ?

見落とされちまうからよ!」

手を振り背を向け去っていく。

チョウヂョウ自身に深い思い入れは無いが、変わり映えの無い真っさらな握り飯は、セイメイの心をほっと温めた。温度の無い町の、一縷の恵みだ。

 チョウヂョウに言われた通り、セイメイはその場から動かず待ち続けた。人混みは更に増え、犇めく程となった。

「人が多すぎる‥人か?

本当に誰か此処に来るのか」

騙されたのではないか、最早信じる事が出来るのは握り飯の味だけだ。

商いの繁盛は止まず、セイメイは遂にその場にたつことすらままならなくなっていた。

「危ない‥!」このままでは膝をつく

そう危惧したそのとき、人と人の隙間から細い手が伸び、セイメイの躰を支える。

「大丈夫かい?

人が多くて大変だね此処」耳元で囁く

「うわっ‥!」

 喋る腕はぐいと躰を引っ張り、騒がしい人混みからセイメイを抜き取り、体勢を整える。

「ごめんね、少し遅れた。

ボクの名は沙楽、これから君のお供をするよ。」

「シャラク‥。」

背は少し低い、白髪の青年。町の人々と比べると極端に人に近い。

「この人も、あまり影響を受けていないのかな‥?」

 シャラクとセイメイが進んだ先は、縁日のような出店が連なる道だった。

さっきまで居た場所の商いは、店と客の敷居が無く、ただ道端で売り捌く様な形であったが、この辺りの商いはしっかりと店という形を施し、敷居を確保した商いが盛んにあった。

「何売ってんだろあの店‥」

猫の様な風貌の女が、怪しい筒を棚に並べている。

「あれはまたたび汁だね」

「マタタビ汁?」

「鍋に入れると美味いらしいけど、お薦めはしないかな。」

「あ、シャラクさーん!

マタタビ汁、どう?

それともワタシに喰われてみるぅ?」

「ね、言ったでしょ?」「ははは‥」

 シャラクの振る舞いには、緩やかな余裕が見られた。見慣れた光景なのか、何事も慌てずに、予想の範囲内といった具合に。何と言っても安堵を覚えたのは、やはりシャラクの見た目だった。異形なモノを視界に入れてきたセイメイの瞳は、異常の薄いシャラクの姿に癒しと呼ぶ程の保養を得ていた。

「さてあ、この辺りでいいかな?

人が多いとやり難くてさ。」

商店街を抜け、大きな木と冷たい色の岩が並ぶのみの簡素な道に出た。

「これからもう少し移動するけど、疲れていないかな、少し休む?」

充分に疲弊しているが、何故だか道に転がる大岩に、座るべきでは無いと判断し、無理をした。

「いえ、大丈夫です‥。」

「そうか、なら先に進もうか‥」

『ニャアーン!!』言葉を遮る獣の叫

「セイメイ君!」

「なっ、ね‥猫!?」

獣はセイメイを抱え野を駆ける。

『今夜の晩飯お前ニャーン!』

「おい、離せ。離せって!!」

「痛っ!」『ニャーン!』

抜け出そうと獣の腕を叩いたところで硬い毛が刺さるのみ、セイメイに為す術は無かった。

『鍋にぶち込んでやるからニャー。』

「やめろ、離せよ!」

叫ぶ他に方法が見つからず、声を上げてみるも相手は獣、聞き入る筈も無い。

「駄目か‥。」諦めかけたその瞬間。

猫に背後、首回りにしなる紐状の鞭が二本空に舞うのが目に留まる。

「ん‥?」『ニャッ‥!!』

しなる二本の鞭は絡み付き猫の首を絞め上げる。

「離してあげなよ、困ってるんだからさ‥。」

「シャラク‥さん?」「大丈夫?」

猫の首を縛り上げていたのは鞭では無くシャラクの腕だった。

『ニャガッ…。』

 猫は泡を吹き気を失い、その場に倒れ込む。

「ふぅ、危なかったね。偶に居るんだよ、こういう物騒な奴がさ。」

しなる程伸びきってきたシャラクの腕はみるみる縮み、元の長さに戻っていった。

「あぁ‥どうも、有難う…。」

「礼には及ばない。さ、行こうか」

‥やはりこの町は異形だ。いや、ああなれない自身がおかしいのだ、そう思う事にした。

「これから何処に?」

敢えてこれからの事を聞いた。

「決まっているよ〝釈迦様〟の処さ」

「釈迦様‥!」散々聞いた名だ。

此処に来てからというものその名を口にしないモノは居なかった。

「行く前に、心の準備は出来ているかい?」

心の準備も何も、備えるには情報が少なすぎる。

「何者なんですか、釈迦サマって‥」

「釈迦様は偉大な御方だ、説明するのも烏滸がましい。」

怖れて謙遜している素振りは無い、心からの忠誠の礼節だ。

「時間が余り無い、気の短い方だからね、今すぐ飛ぶよ?」

何も無い土に掌で円を画き両手を合わせ合掌する。すると描かれた円は大きく広がり、紋章の刻まれた陣へと変わる。

「さぁ、この上に乗って。」

「すごいな‥。」

確かに人混みでは出来ぬ所業だ。

円陣は二人を光で包みながら釈迦の元へと運ぶ。

『ヒヒン!』「お、どうした麒麟?」

4足の獣、麒麟がチョウヂョウの倉へ再び脚を運んでいた。

『ヒヒィン!』

「そうか、無事釈迦サマの処へ。」

町の住人に頼まれた事は最後までやり通す。意図や真意はわからないが、忠実に従うのだ。

『ヒヒィン…』「ん、なんだ?」

チョウヂョウの顔色を伺うように、低く小さい声で鳴く。

「‥わかったよ、魚が喰いたいんだな?」

『ヒ‥ヒヒィン!!』「ほらよ!」

『ヒヒィン!』

ビチビチと跳ねる魚に歓喜の雄叫びを上げ喰らいつく。麒麟はそのまま魚に歯を立てばしゃりと液体化し倉から消えた。

「喰らっておさらばか、自由だな。」

麒麟の残像を眺めながら、穏やかな笑みを浮かべ、畳に寝そべりチョウヂョウは瞳を閉じた。


「うおっ‥。」

「思ったより遠かったね。」

陣から解放され、何処かに辿り着くセイメイ。

「大丈夫かい?

少し手荒だったね、悪い。」

「此処は‥?」「釈迦様の神殿だよ」

真白な場所。部屋というよりは一つの空間が点在しているようなもの。町とはまるで別世界だが、円陣を介して入る事が可能ならば、繋がっているのだろう。

「神殿といっても、釈迦様しかいないけどね。」


「この階段を登れば、釈迦様は待っているよ。」

「これ、登るのか‥?」

 夥しい程長く続く階段、至難を強いるのは見た上で既に判るが、釈迦サマとやらは無理にでも其れを登らせたいらしい。

「そこまでして会うべき相手なのか?」

「大丈夫、最中で慣れるから。」

途中は困難だと明確に判明した。しかし判ったところで拒否という選択肢は最早無い。セイメイは渋々階段に脚を乗せた。

「行くよ?」「‥はい。」

無心で階段を登った。疲弊や、困難を無視し、只々上を目指した。シャラクは顔色を変えること無く、疲弊もしていない。慣れているという経験以上に元々の気質の強さだろうか、内側の厚さが伺える。

「もうすぐだ、あそこの台座に釈迦様は居る。」

「やっとか‥」息を上げ応える。

それからもう暫く階段を登り、やがて釈迦様が居ると云われる台座の前に辿り着く。

「はぁ‥はぁ…。

長過ぎる、これ‥」

「釈迦様!

例の者を連れて参りました!」

息を整える間も無く幕の垂れ下がった台座に腰を下ろし丁寧に報告する。

「釈迦サマ‥本当にいるの?」

 幕を介した内側に、人影をはっきりと確認できるがそれが釈迦様だという断定は出来ない。

しかしこの世界での疑問はいつも、向こうから解明されるものばかりである。

「シャラクか、御苦労じゃった。

‥これが新たに落ちて来た小僧か?」

「間違い、無いかと‥。」

幕越しでも判る、釈迦様は、こちらの顔を吟味している。しばしの沈黙が生じ次いで釈迦様が言葉を紡いだ。


「なんじゃ、思っていたより貧相じゃのう。町の弊害を受けていないからか?」

「どちらにしても貧弱な餓鬼じゃ!」

 小馬鹿にし、腹を抱えて笑い転げる偶に視る普通が滑稽に映るのだろう。

「如何様に?」「構わん、下がれ」

「はい、判りました。」

釈迦の指示を受け一歩後ろへ。

「おい糞餓鬼、入ってこい。」

幕から手首のみを表に出し手招きしセイメイを中へ呼び込む。

「‥入っていいのか?」「ああ…。」

「通常は入る事など断じて許されないが、君は特別みたいだ。」

「……」釈迦に不満はあった。

横暴な態度、人を揶揄うような振る舞い。しかしそれよりも未知の怖れ、初めて出逢う者、何を仕出かすか判らない脅威への服従心がより強く有った。

「‥行くか。」

出した手首の分開いた幕の隙間から、台座の内側へぬるりと進入する。

「沙楽は其処で待っていろ、還り道は必要じゃからの。」

「はい、お待ちしております‥。」

台座の内側、釈迦様の素性を知る者は極端に少ない。シャラクですらも、それを知り得てはいない。


釈迦の台座 内側

 幕の向こう側は奥行きがあり、しっかりと部屋と呼べる造りとなっていたその部屋の一番奥に、人の形を成したモノが背を向け寝そべり寛いでいる。

「あれが、釈迦サマ…?」

「適当に腰を掛けろ、椅子の類は何も無いがな」

背中から生える無数の腕をかたかたと揺らし、外と同じ口調で指示を煽る。

「義手‥本物の腕?」

人離れした箇所を凝視しつつ、平らな床に腰を下ろす。

「何も、無いな‥」

白い部屋、椅子も机も何一つ無い。居るのは釈迦と思しき多手のモノ、後は寛ぐ寝床だけだ。

「落ち着いてるねぇ、ちったぁ声を出したらどうじゃ。」

「国を統べる神が、目の前に在るのじゃぞ?」

 神‥。現実から遥か離れ、計り知れない程の領域の概念だと理解は有るものの、そういったものに出会った経験が無い故に、驚嘆の仕方を知らない。その上バケモノの類には、町である程度の免疫を付けた為既に動じる対象では余り無い。慣れという感覚か、セイメイが釈迦と初めて合間見えた際の振る舞いは、酷く簡素で、尚且つ冷静な態度だった。


「統べる神、という事は貴方が釈迦サマか‥。」


「初めまして、釈迦サマ。

僕はセイメイと、云うらしいです。」

「………ぷっ。」


「あははははははは!!

傑作じゃ、無礼を通り越して馬鹿者じゃ!」

 脚をばたつかせ豪快に笑い転げる国の神釈迦。彼の言動が大いに壺に嵌った様子だ。

「知らん訳無かろう!

ワシが名前を付けたんじゃ、今更聞くまでもないわ!!」

「は、はぁ‥。」

(随分ご機嫌だな)


「気に入った、ワシが見込んだだけはある。心置きなくモノを頼めるのう」

 床に伏していた神が背中の腕で躰を上げ起き上がる。勢いに乗せ、会ったばかりのセイメイに、釈迦は己の素顔を晒し見せる。

「‥えっ…」「なんじゃ?」

釈迦の素顔を眼に映し、神と出逢う感覚を直前で把握した。セイメイは驚嘆したのだ。


「女?」「そうじゃ、ワシは女じゃ」

若い女

艶やかな短髪の黒色を、白い部屋がより際立たせている。

「男じゃと思うたか?

古臭い言葉がいつまでも抜けんのじゃ。」

「それより、顔見せていいのか?」

「‥あぁ〝誰も視る事は許されん〟って言伝か?

気にするな、下の者が創り出した勝手な戯言じゃ。」

 当人は周囲の囁きを気に留める事柄では無いと奔放な具合を見せる。神の余裕か、元来雑把な態度を取るのか。町に蔓延る曖昧は、統べる者の性質を投影した結果らしい。

「そんな事はどうだってええのじゃ。ワシはお前に用がある」

「僕にですか‥。」「そうじゃ」

常に逃げ場の無い選択肢を迫られる。仮に質問をされれば〝はい〟と応える他無いのだ。

「何の御用ですか?」「潔いな小僧」

「実はとある厄介者と喧嘩してな、仲違いが生じたのだ。」

「それで?」「磔磔潔いな、小僧!」

「ワシの大事な飼い犬供を一匹残らず盗られてしまっての。」

 痴話喧嘩で飼い犬を盗まれた、其れだけの事を神が町人に話すだろうか。セイメイは釈迦の云う喧嘩相手を怖る怖る問いただした。

「仲違いした相手って‥?」

「ん、エンマじゃ!」「え…?」

「閻魔大王じゃ、聞いたことないか?」

「‥閻魔って、地獄の?」

「そうじゃ、正しくは仮初め地獄のハリボテエンマじゃがの。」

やはり神だ、国を統べるだけはある。地獄の王との痴話喧嘩、たかが町人に抑えられる訳が無い。

「盗られた飼い犬というのは‥」

「おぉ、名は何といったか…ちょいと待ってくれるかの‥はて?」

変わらず神の領域での噺であれば、セイメイの範疇とは大いに異なるモノに成り得る。


「おお思い出した!

青龍・白虎・朱雀・玄武、全部で四匹じゃ!」

「嘘でしょ…!?」

やはり神の領域は恐ろしい。

「奴があの犬供を連れ出すからに、町の均衡が崩れ始めとる‥全く厄介な奴じゃ。」

四つの方角を司る四神達を小屋から逃げ出すケダモノ程度に捉えている。

「四神が、居なくなったんですか?」

「四神?

生意気な呼び名だ、犬如きが神を名乗るとは‥。あの様なケダモノ、良くも四獣といったところじゃ。」

 四つの獣、何処へ行こうと釈迦にとって四神達は、膝下で愛でる程度の犬なのだ。

「それで、僕は具体的に何をすれば‥?」

「なんじゃ、問い掛けばかりじゃな。まぁいい、お前には閻魔の偽地獄に向かって貰い、四獣を取り返してほしいのじゃ。」

「地獄で四獣を、僕にですか!?」

重篤も過ぎる所業を仏頂面で言ってのける。毛程も恵は見当たらないが…。

「案ずるな、町の影響を微塵も受けんお前の躰じゃ、地獄など庭同然よ。」

地獄じゃない。要素としては重々脅威だが、危惧すべきは味方の獣、神の飼い犬だ。

「心が細ければ独りでとは言わん、好きなモノを連れて行け。」


「遣い物に成ればの咄じゃがの‥。」

「断るという‥選択肢は…?」

知った上で〝いいえ〟を問い掛けた。

「有る訳が無かろうが。お前は命を閉じたんじゃ、時点でワシの所有物じゃ。」

生きる意味は無い、有ろうとも既に手元には無い。

「‥助力を集めてもう一度此処に来い、地獄への手配くらいはしておいてやる。」

「……」

だけど死ぬ理由は、少し理解出来た。

「‥お願いします。」

一言残し、釈迦の部屋を後にした。

「‥ふん。」

幕を潜り、外へ出るとシャラクが立っていた。

「終わったのか?」「終わったよ。」

「‥一旦、戻るぞ。」「……」

シャラクは何も言わず、還りを先導した。

「ちょっと待った!」「…?‥。」

 セイメイは懐から藁の包を取り出し握り飯を頬張った。そうする事で、人として町へ還る事が出来るような気がした。

「一つ、くれるか?」

二つある内の一握りをシャラクと分け、セイメイは町へと静かに下りた。







































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る