Ⅱ セカンドコンタクト

 その後、わたしは事情を上司や同僚に相談して辞表を取り下げ、今まで通り会社で働くことにした。


 恥を忍んでの辞表撤回……なかなか勇気のいる行動だったが、その決断は予想に反して良い副作用を生んだ。


 わたしは〝男をとられた女〟として好機の目にさらされるどころか反対に皆から同情され、逆に裏切った男の方は女子社員全員から総スカンを食い、仕事がまったく回らなくなって海外の名も知れぬ国の支社に転勤となったのである。


 結婚が破談になった不幸な現実には変わりはないが、世の中、そこまで悲観するようなものでもなかったということだ。


 一時の感情に任せて飛び降りなどせずに本当によかったと、今では自分の弱いメンタルを心底、反省している。


 ……でも、あの時、もしも屋上で守田さんに出会っていなかったら……そんなもう一つの未来を想像すると、ゾクっ…と背中に冷たいものが走る。


 結果論ではあるが、わたしは守田さんに救われたのかもしれない…………なんか、ものすごく癪だけど。


 ともかくも、そうこうして日常を取り戻していったわたしだが、今日また一つ、ほんと死んでしまいたくなるような、ものすごく落ち込むことがあった。


 仕事で大きなミスを犯し、会社に多大な損失を与えてしまったのだ。


 わたしが怒られるだけならばまだいい。だが、上司も関係各位に頭を下げて回らなければいけなくなり、また、そのミスをカバーするために同僚達も奔走するはめになってしまったのだ。


 虫のいい話にも、辞表を撤回したわたしなんかにみんな優しくしてくれたというのに、そんな大恩ある人々にこんな多大な迷惑をかけて……本当に自分が惨めで情けなくて、またもや飛び降りでもして消えて無くなってしまいたいというネガティブな感情に支配されてしまう。


「…………守田さん、今夜もチャネリングしてるのかな?」


 ふと、守田さんに会いたくなった……いや、正確に言うと、屋上で変なダンスを踊っている守田さんの姿が見たくなったのだ。


 とりあえず問題が解決していろいろと落ち着いた後、気づけば屋上へとわたしの足は向いていた。


 とうに終業時間を過ぎ、夜の闇に白く浮かび上がった非常階段を、カン、カンと甲高い足音を響かせながら、どこか逸る気持ちを抑えて小走りに昇る……。


「――カーモンベイベ~未確認! 隠していたペンタゴンがっ!」


 いた!


 すると、屋上に出た瞬間、あの変な歌詞の歌が夜風に乗って聞こえてくるとともに、どう見てもダンス向きじゃない体型で踊る守田さんのひょうきんな姿が視界の隅に飛び込んできた。


「スー……今日もご精が出ますねぇぇ~っ!」


 少し冷たくなった夜の空気を大きく吸い込み、わたしは口元に両手を当てて思いっきり声を張り上げる。


「カーモンベイベ~未確認! 加速するとオレンジ色に~……ん? ああ、菅里さん、こんばんは」


 今度は最初から大声だったので、チャネリングに熱中している守田さんも一発で気づいてこちらを振り返る。ただし、やはり片脚を上げた奇妙な格好でだ。


 そんな守田さんを見ると、ついさっきまで暗く打ち沈んでいたわたしの心も徐々にその闇が晴れていくような気がした。


「どうしたの今夜は? この前の用事の続き?」


「いえ、それはもういいんです。あの……わたし、仕事ですごいミスしちゃって……それで、上司や同僚にも迷惑かけちゃって……」


 事情も知らず、暢気に尋ねてくる守田さんにわたしは正直にここへ来た理由を語る。


 なぜだろう? 彼には見栄を張って格好つけることなく、恥ずかしい自分の失敗も包み隠さず素直に話すことができる。


「ふーん。そうなんだ。ま、気にすることないよ。僕なんかミスしない日の方が少ないくらいだからね。おかげで最近じゃ、みんな僕に仕事回してくれなくなってきてるんだよねえ、ハハハハハ…」


 だが、わたしの真剣な悩みの告白にも、守田さんは同情するでも慰めるでもなく、まるで大したことではないかのようにそう言って、あっけらかんと高笑いをしてみせる。


 いや、それは笑い事じゃないように思うんだが……でも、そういう彼の態度を前にすると、自分の犯したミス

などほんと些末なことのように思えてきてしまう。


「それよりも、なかなかUFOが来てくれないことの方が僕にとっては重要な問題だね。こんなに毎日一生懸命呼んでるってのに、いったい何がいけないんだろう?」


「まだ一度も成功してないんですか?」


 そして、仕事のことなどどうでもいいというような問題発言をする守田さんに、わたしも感化されてきたのか?ろくに気に留めることもなく話を合わせて尋ねる。


「そうなんだよ。やっぱり女性アイドルグループの曲の方が宇宙人ウケもいいのかなあ……」


「いや、もっと根本的なところから間違ってるように思うんですが……一度、誰か有名なチャネラーさんとかにやり方教わった方がいいんじゃないんですか?」


 本日も平常運転で、相も変わらずピントのズレた妄言を吐いている守田さんに、わたしは苦笑いを浮かべながら呟くように小声でツッコむと、そんな当然の提案をしてみる。


「やっぱそうするべきなのかなあ……でも、こんなに宇宙は広いんだ。どんなやり方でも僕の強い想いを受信して、やって来てくれるUFOの一つや二つあってもいいと思うんだけどなあ」


 だが、彼はわたしのまっとうな意見(※本物のチャネラーがいること前提)にもどこか納得がいかない様子で、ぶつくさ言いながら頭上に広がる天を仰ぐ。


 それにつられ、わたしも守田さんのとなりでゆっくりと首を上げて夜空を見上げる。


 無駄に明るい街の灯に邪魔されて、今夜も都会の夜空は星の見えない無機質な暗灰色のドームだ。


「あっ!」

「あっ!」


 と、その時、夜のとばりの上で不意にキラっと輝いたオレンジ色の光に、わたしと守田さんは思わず同時に声を上げた。


                        (屋上のチャネラさん 了)

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屋上のチャネラさん 平中なごん @HiranakaNagon

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