屋上のチャネラさん
平中なごん
Ⅰ ファーストコンタクト
その夜、わたしが屋上へ行ったのは、そこから飛び降りるためだった……。
わたしは、もうすぐ結婚という幸せの絶頂で、相手の男に裏切られて絶望のどん底へ突き落されたのだ。
……いや。ずいぶん前から浮気していたようだから、ずっと
挙句、結婚はめでたくおジャンとなったっわけなのだが……浮気が発覚したので、わたしの方から婚約解消したのではない。浮気相手の女が妊娠したからと、向こうから別れ話を切り出されたのである。
もう、会社には辞表を出し、職場のみんなも寿退社を祝ってくれていたというのに……しかも、その男というのは同じ会社に勤める同僚だというのに……。
裏切られたばかりか〝男をとられた女〟として好機の目にさらされ、その上、今さら「やっぱり退職しません」とも言えずに失業するという二重、三重の被害……だから、これからもあいつがのほほんと働き続けるであろうこの会社の社屋で、自殺してやろうと考えたのである。
終業後、
カン、カンとハイヒールの足音を淋しいオフィス街の夜空に響かせ、わたしは誰もいない本社ビルの屋上へと登る……。
そう……そこには誰もいないはずだったのだが……。
「――カーモンベイベ~未確認!
所々錆びが茶色く出ている白い非常階段を登り切り、肌寒い夜風の吹き抜ける広い屋上へ出てみると、そんな鼻歌のようなものが風に乗って聞えて来たのである。
「カーモンベイベ~未確認! 交信するビームっ! アブダクションケース!」
思わずその歌声に耳をそばだててみると、どこかで聞いたことのあるようなメロディではあるのだが、その歌詞はなんだかおかしなものになっている。
怪訝に思い、眉間を歪めたわたしは誰もいないはずの屋上をきょろきょろと見回す……。
すると、街の明かりにぼんやりと浮かび上がる薄暗い空間の端に、なんとも変な動きをしている人影があった。
引き締まったダンサーの肉体とは大きくかけ離れた、ずんぐりむっくりでポッコリお腹の一目でメタボだとわかる少々頭の薄くなったおじさんが、黒い海のような夜の闇とコンクリで出来た空中広場の境目で、その変な鼻歌を唄いながらピョンピョン片脚で跳ねているのだ。
目を合わせるとヤバそうな、明らかに近づくのをご遠慮したくなるような怪しい人であるが、そのひょうきんな顔とどうにも似合わないスーツ姿には見覚えがある……。
わたしだけでなく、この会社に勤める人間ならば誰しもが彼のことを知っていることだろう……ただし、ああ見えて実は会社の重役だとか、見た目とは裏腹に意外と仕事ができる男だとか、そういった類の良い意味からのものではない。
むしろ逆に仕事はできず、万年ヒラのうだつの上がらない、この歳になっても独身・彼女ナシの中年社員ではある上に、とんでもないオカルトマニアで常日頃からデンパなことばかり口にしている、ちょっと
「U、U、U、U! F! O! U、U、U、U! F! O!」
そのトンデモな守田さんが、なぜかこの終業後の夜の屋上で、変な歌を歌いながら妙なダンスを踊っている……。
そのふざけた歌詞もコミカルな動きも、今のわたしの暗く打ち沈んだ心とは真逆なものであり、こうして見ているだけでなんだかものすごくムカついてきた。
「あの~!」
その能天気ぶりが癇に障ったためだろうか? 意味もなく頭にきたわたしは、気づくと声を張り上げていた。
「U! F! O! ロズウェルに落ちた円盤~……U! F! O! ステルス機に真似した~」
だが、彼はわたしの声にまるで気づくことなく、なおもそのよくわからないダンスを熱心に踊り続けている。
「んもう! すー……あのぉぉぉ~っ! 守田さぁぁ~んっ!」
「U! F! O! FBI隠してた……ん? ああ、君は確か……ええと……」
ますますカチンときて、大きく息を吸い込んで最大限のヴォリュームで彼の名を叫ぶと、ようやくわたしの存在を認識した守田さんはそのダンスをやめ、片足を上げたままの奇妙な姿勢でドングリ
「
しかし、仕事上、何度も話しているというのにすぐ名前の出てこない彼に、語気を強めてわたしの方から名乗る。
「ああ、そうそう! 菅里さんだったね。どうしてこんなところに?」
すると、いかにも「ちゃんと憶えてましたよ」的な苦笑いを浮かべて誤魔化し、逆にこっちが訊きたいようなことをキョトンとした顔で尋ねてくる。
「それはこっちの台詞です! 守田さんこそ、こんなとこで何してるんですか? 忘新年会はまだまださきだhし……結婚式の出し物かなんかですか?」
わたしの中の常識からすると、そのくらいのことしか思いつかない……だが、さらにイライラしつつ尋ね返したわたしに守田さんが答えたのは、その常識をはるかに凌駕するトンデモないものだった。
「……ん? ああ、この交信のダンスのことかい? なーに、ただUFOを呼ぼうとしてただけさ」
「ゆ、UFO!? こんなとこで!?」
……いや、普通の人ならともかく、守田さんならまあ、ありえなくもないことかもしれないが、それにしたって、なにも会社の屋上で仕事終わりにしなくてもいいだろう?
……って、同じシチュエーションで自殺しようとしてたわたしが言えた義理じゃないかもしれないけど……。
「そ。僕、チャネラー……つまり、宇宙人と交信してUFOを呼ぶことのできる人間を目指しててね。そんで、チャネリングするんなら、やっぱり高いとこの方がいいと思って。だけど、自由に出入りできる屋上って会社のビルぐらいしかないんだよねえ~」
わたしの心を読んだわけでもないだろうが、ダンスをして噴き出した額の汗を袖で拭いながら、どこか得意げな様子で守田さんはそう説明する。
なるほど……そのチャネラー云々いうデンパな情報は置いとくとして、ここを使っていたことに関しては案外、合理的で筋は通っている。
「男に復讐するため」なんていう陰湿な動機でここへ来たわたしなんかよりも、守田さんの方がむしろまっとうなのかもしれない……。
「それで、菅里さんはどうしてここに? あ、もしかして菅里さんもチャネリングを…」
「んなわけないでしょう!」
なんだか今の自分が本当に情けなく思えてきて、視界が歪む両の眼からは堪らず涙が溢れ出しそうになるわたしだったが、わたしまで同族だと誤解する彼に思わずツッコミを入れてしまう。
「てか、UFO呼ぼうとしてるのはわかりましたけど、その歌と踊りはなんなんです? それで本当に宇宙人と交信できるんですか?」
「さあ、どうかなあ? 初めて試すからね。宇宙人もやっぱり流行りの歌とかの方がウケはいいんじゃないかと思ってね」
シラけた目を向け、嫌味を込めてわたしは尋ねてみるが、またも守田さんは惚けたことを平然とした顔でぬかしてくれる。
「ウケがいいって……」
その歌と踊りが効果あるって評判だとか、誰か本物のチャネラー(いるかどうかも疑問だが…)に教わったとかじゃないのか……そんな短絡的な理由をもとにした自己流の方法でほんとにUFOを呼べると思ってるなんて、なんとおめでたい人なのだろうか……。
「さ、チャネリングの続きをしないと……そうだ、菅里さんも一緒にどうだい? なかなか楽しいよ?」
「ご遠慮させていただきます」
わたしが呆れているのにも気づかず、能天気にもふざけたお誘いをしてくる守田さんにわたしは謹んでお断りの言葉を述べる。
「そう? そりゃ残念。一人より二人の方がUFO来てくれそうなのになあ……」
「わたしにはそのダンスでUFO呼べるとはとても思えません! …ていうか、そもそもUFOや宇宙人なんてほんとにいるんですか? 証拠映像の動画とか見ても、みんな作り物のインチキにしか思えないんですけど」
何を言われても堪えないというか、他人の目などまるで気にしないというか、遠回しな嫌味などどこ吹く風の守田さんに、わたしはますます苛立ちを募らせながらオカルトマニア達が嫌がるであろう意地悪な質問をあえて口にする。
「まあ、確かに最近の動画にはオカルトビジネスで作られた偽物が多いのも事実だね。でも、UFOも宇宙人も確かに実在するよ。見たまえ! この広い宇宙を! これだけ幾万幾億という星があるんだ。我々地球人以外にも知的生命体がいたっておかしくないじゃないか!」
だが、守田さんはやはりその質問にも動揺することなく、むしろわたしの意見に賛同すうかのようなことを言って、大仰に両腕を開きながら頭上に広がる夜空を仰ぐ。
「………………」
その動きにつられ、わたしも無意識に顔を上げて空を見上げた。
幾億幾万の星…………ねえ……。
守田さんの言葉とは裏腹に、あいにくこの明るすぎる街の灯が邪魔をする大都会では、幾億幾万どころか星の瞬きがほとんど見られない……。
だが、ぼんやりと霞む大きな暗灰色のドームの向こう側に、どこまでも拡がる広大な宇宙のあることは感覚的になんとなく理解できた。
確かにこれだけ広ければ、どこかに宇宙人の一人や二人いてもおかしくはないかもしれない。
そういえば、何億光年も離れた距離を地球まで来る技術があるかどうかが問題なだけで、この広い宇宙に地球人以外の知的生命体がいないと考えることの方がナンセンスだと、まっとうな科学者が言っていたのを聞いたことあるような気がする……。
UFOで飛んで来ているかどうかはわからないけれど、この夜空の先の、ずっとずっと遠くのどこかの星に、わたし達が宇宙人と呼んでいるような存在が今、この瞬間にも現実に暮らしているんだあ……。
「U! F! O! 開発してたエリア~……U! F! O! アポロ計画流用した~」
それに、この守田さん……再びあのふざけてるとしか思えない歌とダンスを大真面目に始める彼を見ていたら、男のことなんかで死のうとしていた自分が急にバカらしくなった。
「ハァ……すみません。わたし、帰ります」
わたしは大きく一つ息を吐くとチャネリング中の彼に一応、断りを入れ、早々にその場を去ることにした。
「U! F! O! 彼らの中古の円盤……え、もう帰っちゃうの? 何かここに用があったんじゃ……」
すると、守田さんはまた片脚を上げたままの滑稽なスタイルで動きを止め、ちょっとだけ驚いたような顔で尋ねてくる。
「はい。あったけど、もうその用事もなくなりましたから」
そんな彼に苦笑いを浮かべて答えると、意味がわからずポカンとする彼をその場に残し、わたしは夜風に髪を靡かせながら、くるりと踵を返した――。
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