第146話きっと始まりが間違っていた5


 未だセカンドアース。


 日は完全に沈んでおり、街灯が、街を闇から救っている。


 かかっている橋から、偉大なるセーヌ川を眺めながら、


「たまには贅沢もいいでしょ?」


 秋子と二人だけの時間を、僕は堪能していた。


「私、雉ちゃんに頼ってばかりだね」


 こっちのセリフだ。


 男女が、セーヌ川を眺めながら、話す内容でもないと思うけど。


「雉ちゃん」


「なに?」


「私を抱いて?」


「無理」


「好きだよ」


「そう」


「愛してる」


「へえ」


 返答まで、コンマ単位。


 橋の手すりに、体重を預けて、月を見上げながら、僕は言った。


 月を見上げたのは、秋子と視線を合わせたくなかったからだ。


「それはやっぱり……」


 と、そこまで言って、一息。






「私が男だから?」






 秋子は、決定的な一言を、放った。


 僕は、視線の先を、月から秋子に変えた。


 秋子は、ドレスのスカートを、クシャッ、と、握りしめて、俯いていた。


 言ってしまった。


 取り返しのつかないことを。


 僕の答えは、一つしかない。






「ごめん」






 ただ……それだけ。


 秋子の出生は、少しややこしい。


 現在では、デザイナーチルドレンという技術が、発達している。


 頭脳明晰な子ども。


 運動快適な子ども。


 容姿端麗な子ども。


 我が子を優秀にしようと、親が躍起になる時代だ。


 そして、紺青さん家では、第一子を生む際に、男女産み分け施術を、執り行った。


 ――男女産み分け施術。


 生まれてくる子供の性別を選べる技術だ。


 別段、珍しくもない。


 デザイナーチルドレンとは、少し毛色が違うけど、一応の範疇には入るだろう。


 成功率は、九分九厘。


 つまり、ニアリーイコール百パーセント。


 紺青さん家のご両親は、女の子の誕生を願って、男女産み分け施術を行った。


 結果、九分九厘成功する施術で、残り一厘の可能性を、秋子はツモった。


 ほぼ百パーセント……女の子が生まれるはずの予定だったところに、男として生まれたのである。


 元から、男が生まれる可能性を除外していた両親は、女の子の名前……即ち『秋子』しか用意しておらず、男でありながら秋子と名付けられた、望まれざる男の子だった。


 肉体こそ男ではあったものの、女性脳を持って生まれた秋子は、性同一性障害(とは少し違うのだけど)に苦しみ、


「男の癖に、女の恰好をするなんて」


「男の癖に、男が好きだなんて」


 と、虐めっ子たちに、囃し立てられた。


 庇うのは、いつも僕の役目。


 幼馴染の縁で、同情していたのもある。


 けど、それ以上に、何となく、


「慰めなきゃなぁ」


 なんて思って、秋子に優しい言葉を、かけ続けた。


 結果として、懐かれてしまったわけだけど。


 で、秋子は、性転換手術をして、女性の体を手に入れた。


 そりゃ巨乳にもなる。


 体弄り放題なんだから。


 けど、その時にはもう、僕にとって、秋子は、友達以上のものではなくなっていた。


 現在の性転換技術は、高高度のソレだ。


 例え元々が男であっても、子どもも産める様になるし、母乳をあげられるようにもなる。


 完全な性転換が可能ではあるのだ。


 今の秋子は、立派な女の子。


 そんなことはわかっている。


 それでも僕にとって秋子は、


「いつもメソメソ泣いている可哀想な男の娘」


 以上のものじゃない。


「だから……ごめん」


 セーヌ川を眺めながら、他に言い様がなかった。


「好きぃ……! 好きだよ雉ちゃん……! 愛してる……!」


「うん。知ってる」


 十全にね。


「私が悪いの? 男に生まれたから悪いの? 私の存在が――」


「――違うよ」


 それ以上聞いてられず、僕は秋子の呪詛を、封殺した。


「秋子が自分を呪わなくていいんだ。秋子が呪いを向けるべき相手は僕でしょ?」


「嫌だよ……! 雉ちゃんを嫌いになんてなりたくない……!」


「なっていいんだ。僕が悪者で秋子が正義なんだから」


 大義名分は、秋子にこそある。


 少なくとも、器の小さい僕の姑息さこそ、罪過の対象だ。


 ギロチン刑でも、おかしくない。


 かと言って、


「ならどうするのがベストだったのか?」


 と問われても、僕にはわからなかった。


 秋子を、虐めから、かばわなければ良かったのだろうか?


 秋子の性転換を、止めればよかったのだろうか?


 女の子になった秋子に、惚れてしまえばよかったのだろうか?


 どれも不可能事だったため、こんな結末になったのだけど。


 僕は片腕で、秋子の頭部を囲うと、秋子を抱き寄せた。


「ごめん……ね」


「うえええ……うえええええええええええええ」


 やっぱり、僕は悪者だ。


 こんなに可愛い子を、泣かせたんだから。

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