噂の真相

 僕は小春から詳しいことを聞き出そうとしたが、そこで時間切れとなってしまった。

「続きは、昼休みにでも」

「あ、でも、昼休みは遥香さんと…」

「知ってる。屋上でしょ」

 僕はどきりとする。まさか、小春は。

「ちょうどいいよ。遥香も入れて、話そう」


 そうして昼休み、僕らは屋上に集まった。遥香には僕が断っておいたので、いきなりもめごとになるのは避けられた。しかし、これは息の詰まる状態であった。

「で、私を蹴落とした小春が、いまさら何の用なの?」

 遥香は僕の後ろに隠れるようにして言う。二人のあいだには明らかな距離があった。もちろん、仲良く昼食を、なんてことにはならない。

「…まあ、遥香はそう思うよね。別に、許してくれとは言わないよ。でもさ、一つ誤解をしてる」

「なに?」

 遥香の声はいつになく尖っている。対して小春のほうは、なんだか吹っ切れたみたいに穏やかだった。僕はその間に挟まれて、神経をすり減らしていた。

「中学の頃のこと。私は、確かに遥香を妬んでた。私より才能のあるあなたが、羨ましくて仕方なかった。でも、私はあなたの小説をばらしたりなんかしてない」

「うそつき。じゃあ、なんであの時、しらを切ったの?」

「違うよ。…あんまり言いたくないけれど、もう、いいや。教えてあげる。犯人は、小川さんだよ」

「…え?」

 詩織?どういうことだ。なぜ、ここで彼女の名前が挙がる?詩織はたしかに、あっさりと遥香を見捨てたが、それだけじゃないのか?

「…どういうこと?」

「遥香は知らないかもしれないけれど、小川さんは、私たちと同じ中学の出身なの。クラスが別だったから、知らなくても無理ないか。私は、少しだけ話したことがあるから知ってた。それで、風のうわさに聞いたんだ。小川さんは、その、同性愛者で、私たちのクラスにいた、秋山さんと付き合ってるって」

 僕はさっぱり事情が解らず、遥香のほうを返り見た。遥香は青ざめていた。

「うそ、…だって、秋山さん、ちっともそんなこと…」

「ちょっとしたことで酷い目に遭うのは、よく知ってるでしょ?必死に隠してたんだろうね。で、小川さんは、とても嫉妬深いんだよ。それで、見事に勘違いした」

「じゃ、じゃあ、今回のことも…?」

「ええ、私は何もしてないよ。全部、小川さんのやったことなの。たしかに、私は大槻くんを取られてしまいそうで、焦ってた。でもね、そこまでは腐ってないよ。きっと、そういうふうに勘違いしたんでしょ?」

「あ、ああ…」

 遥香は僕に歩み寄ると、制服の裾をぎゅっと掴んできた。僕はその手を取ってやった。遥香はそのまま、力なく崩れ落ちた。

 小春は、静かに続けた。

「…うそだと思うなら、本人に訊いてみなよ。別に、私は名前を出されたって構わないと思ってる。…じゃあ、それだけだから」

 小春はそのまま、ゆっくりと立ち去った。僕は遥香に訊きたいことがあったが、まずは遥香を落ち着かせるのが先だろう。彼女の隣に座り込み、その細い肩を抱いた。死んだように、遥香は微動だにしなかった。

 しばらくすると、遥香はゆるゆると首を振って、僕に笑いかけた。どこにも力の入っていないような笑みである。

「ごめんね。ありがとう。もう大丈夫だから」

 僕は先に立ち上がり、遥香の手を引いた。遥香は僕のほうを見て、静かに話した。

「秋山さんって言うのはね、私の中学の同級生。ほら、言ったでしょう、私は、小春から離れて友達をつくろうとした。そのなかでも、一番よくしてくれたのが、秋山さんだった。やさしい子だったんだよ。私も、すっかり油断してた。まさか、こんなことになるなんて」

「…なるほどね。それで、小川さんは、遥香さんがその人に言い寄っていると勘違いした」

 いや、あるいはそんなことはどうでもよかったのかもしれない。遥香が秋山さんに近づいたのが、そもそもの間違いだったのだろう。そして、そもそも詩織は、遥香のことを初めから好いていなかったのかもしれない。


 僕は放課後、遥香と共に下校した。教室を出て、並んで歩いていくと、そこで、詩織に会った。と言うよりは、彼女は待ち構えるように玄関わきに立っていた。なぜこんな時に、と思ったが、それは訊くまでもなく詩織の口から語られた。

「あ、やっと来た。あんたら、付き合ってるんだってね。小春からいろいろ聞いたんでしょ?」

 詩織は薄気味の悪い笑みを貼り付けている。吊り上がった眼が、余計に威圧的にみえた。遥香が僕の半歩後ろへ下がる。

「いいよ、そんなに警戒しなくても。これ以上は何もしないからさ。それにしても、小春も薄情な奴だよねえ。あの子の為にもなると思ったのに、あっさり話しちゃって。まあ、どうでもいいんだけどね」

「…小川さん。中学の頃のことは、まあ、なんとなく解った。でも、なんで今更、こんなことを?」

 彼女は笑みをいっそう大きくしたかと思うと、それを声に出した。僕は両足に力を込めて、遥香の前に出た。

「なんで、なんで、ねえ。そりゃあ、ムカつくからに決まってるでしょ。なんか、みんな気づいてないみたいだけど、遥香って白々しいんだよね。好かれたくて必死っていうかさあ…まあ、そりゃ、最初は単に興味があった。どんなやつなのかってね。でも、あんたはそうやって、ぼんやりしてるだけで人に囲まれて、ずいぶん幸せそうだった。それで、むかついたから、もう一回おなじ目に遭わせてやろうと思った。それだけ」

 自然と全身に力が篭っているのを感じた。なんと性質たちの悪い人間であろうか。もはや、自分に何らの危害を加えてこない相手をも、平然と傷つけることができるのだ。僕は吐き気にも似た嫌悪を覚える。この少女ばかりは、どうにも解れそうにない。僕は感情的になっていた。

「ふざけるな。遥香さんが、どんな思いでこれまで過ごしてきたのか、知りもしないで、そんなこと言うなよ。君は、ひどく傲慢だ。ちっともまともに向かい合おうとしない」

 うしろで遥香が息を呑むのが判った。詩織は特に表情を変えず、真直ぐに僕を見据えている。

「よかったじゃん、カノジョの前で恰好つけられて。付き合ってるってのは本当らしいねえ。でもまあ、あんたの説教に興味ないからさ。せいぜいお幸せに。あ、でも、その前に」

 詩織は僕の隣を通り過ぎて、遥香に歩み寄った。そして遥香の肩を軽くつついて、

「私、まだ、あの子と付き合ってるからさ。それだけは邪魔しないでね。下手なことしたら、私、その時はほんとに何するか判らないよ?」

 そう言い残して立ち去った。遥香はただ黙っていた。僕は彼女の手をとる。

「行こう」

「あ、うん…」

 僕らは靴を履き替えると、すぐに校舎を後にした。校門を抜けるころ、僕はようやく遥香の手を離した。そもそも繋いでいたことを忘れていた。

「あ、その、ごめんなさい。こんなことに巻き込んでしまって」

 遥香は俯いたままで言った。二人の影法師が、桜並木のそれへと途切れていく。桜の葉がさわさわと揺れる。

「大丈夫だよ。僕は、遥香さんの味方だからね」

「…ねえ、手、繋いでいい?」

 僕は返事の代わりに、右手を差し出した。遥香も黙ってそれをとった。僕らはいつも以上にゆったりと歩いた。日はまだ高い。通り過ぎていく生徒たちから好奇の目を向けられるが、それでも、僕らはそんなふうにして歩いた。

 やがて駅に着いて、偶然そこにいた電車に乗り込んだ。隣り合わせで座っていると、電車は緩やかに加速し始める。

「今日、あんなふうに言ってくれたの、嬉しかった。あなたが、あんなふうに怒るなんて」

 言われてみれば異例なことであった。言い出したらキリがない。遥香と出会ってからの僕は、きっと異例だらけだから。それほどに、僕は遥香を譲れないのだろう。

「どういたしまして。たまには良いところ見せとかないとね」

 僕は遥香に笑いかけて、わざとおどけて言った。とにかく、僕は遥香を怖がらせたくないのである。この善良な少女が、これ以上の不幸を背負うことのないように、ただ、そればかりを祈っている。それは、僕の精一杯の誠意でもあった。

「…あなたは、ほんとに、なんでそんなに」

 遥香はそこで言葉をきって、僕のほうを見た。ようやく、遥香も笑ってくれた。それでいい。僕は、それだけで幸せになれる。

「で、あの、できるだけ、あなたに迷惑かけないようにしたいんだけど…、さっそく、お願いがあるの」

「僕にできることなら」

 遥香はすこし躊躇っていた。何を言うのか、なんとなく判っていた。

「小春と仲直りしたいんだ。確かに私たちは喧嘩してたけど、その理由の大きいところは、私の勘違いだった。このままじゃ、やっぱり、なんか駄目な気がしてさ」

 僕はうなずく。それは僕の望みでもあった。それに、詩織と違って、小春は基本的に悪人でない。僕が思っていたような人間ではなかったものの、話して解らぬような相手ではない。

「それで、晃くんにも付き合ってもらいたいんだ。なんか、一人じゃ不安でさ」

 僕は考える。それは、誠実であろうかと。

「いいよ、そんなことなら。でも、僕は何もしないよ?やっぱり、遥香さんが素直な言葉を伝えなきゃいけないと思うから」

 遥香は頷いた。

「大丈夫、解ってる」

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