遥香と小春

 私とね、小春は、中学の同級生なんだよ。小春と初めて会ったのは中学の入学式でね、私達は偶然、同じクラスになった。私はいまと違って無愛想で、ほとんど話さない子だった。あ、疑ってるでしょう。本当だからね。

 そんな具合だったから、四月が終わって、五月に入っても、私は一向に友達をつくることができなかった。クラスでも、ほとんど独りでいた。時々、話しかけてくれる人はいたんだけど、私はうまく話せなくて、そのうち、そんな子達もいなくなって、私はいよいよ追い詰められた。でも、正直に言うと、そんなに焦ってもいなかったの。だって、そもそも、人と一緒にいたいと思わなかったんだから。なにその顔、ちょっと腹立つんだけど。え?ああ、寂しいとは、ぜんぜん思わなかったよ。いつも一人でいるのが当たり前になってたから。そう。私のこれは、その時になって始まったことじゃないの。昔から、そんな性格だったんだ。

 そんなとき、話しかけてきたのが小春だった。小春も、私のように引っ込み思案で、いつも独りでいることが多かった。でも多分、彼女は焦ってたんでしょうね。そうでなければ、あの小春が、わざわざ人に話しかけるとは思えないもの。あなたも知ってるでしょ?小春は静かな子だ。それも、当時は今以上にそんな感じだった。

 まあ、私なら話しかけても問題ないと思ったんでしょうね。いつも一人でいる者どうし、仲良くできるかもしれない。うん、私が小春でも、そう思うかもしれない。とにかく、小春は私の机のところに来て、突然だよ?こう言ったの。『本とか読みませんか?』

 不器用というか、なんというか。普通に友達になろうって言えばいいのに、小春はわざわざそんなことを言ってきた。もともと、本は嫌いじゃなかったけど、その頃は読んでなくて、私は、あんまり読まないって答えたっけ。そしたらあの子、すっかり困っちゃってさ。私のほうが、なんか悪いことしちゃったみたいで、それで、何の話をしたかは憶えてないんだけど、とにかく、頑張っていろいろ話した。

 初めは、そんなふうにぎこちなかったんだけど、話してみると意外と気があってさ。私もあの子も性格が似てるからだろうね。それで、私達は友達になった。

 私は、本を読むようになった。小説をね。初めは、少女向けのきらきらした感じのやつを読んでたんだけど、そのうちどんどん入り込むようになって、文豪の書いた名作なんかも読むようになった。そうして、小春とはさらに仲良くなった。私達は、よく図書館でおしゃべりした。もちろん、いっつも本の話ばかりしてた。

 それで、一年くらい経った頃かな。小春が、小説を書いてみたいって言い始めたの。私はあまり賛成できなかった。上手くいく気がしなかったから。それでも、まあ、誰に迷惑をかけるわけでもないし、私も、小春につきあって書いてみた。それが、いけなかったのかもしれない。

 書くのはね、意外と面白かった。私自身の心の中にあるものを、お話に仕立てあげて、人に読んでもらう。それは、悪くなかった。まあ、もちろん読者なんて限られてたけどね。初めは、小春と私で読みあいをしてた。そのうち、それじゃ足らなくなってきて、私達はインターネットで作品を公開するようになったの。大して反応が得られなくても、それでよかった。私達は、作家ごっこをしてるだけで満足だった。

 それが、悪い方に転んでしまったのが、中二の夏。私は、ちいさな小説のコンテストに応募して、賞を貰った。いや、本当に大したことないやつだよ?それこそ、一発屋で終わってしまうような。

 でも、小春はそれを、へんに気にしちゃってね。私は、いままで通りの関係でいきたかったのに、小春は意地になって、いろんなコンテストに応募し始めた。でも、どれも評価されなかった。ある時、小春は私にも応募するように言ってきた。私は気が進まなかったけど、とりあえず言われた通りにした。

 あ、そうそう。なんとなく判るよね。そうなんだ。私のほうが受賞してしまって、小春はまったく駄目だった。そう思えば、昔から負けず嫌いだったんだろうね、あの子は。静かな感じなのに、内側はすごく情熱的なのかもしれない。

 それが、なんだろう、トドメ、になったみたいで。小春は、小説を書くのをすっかり止めてしまった。それきり、私にも冷たくなった。不貞腐れてしまったんだね。私は小春のことを気に入っていたし、友達と一緒にいることの楽しさも覚えてしまっていたから、小春から離れたくなかった。でも、小春があんまりにもしつこいから、私もさすがに付き合いきれなくなって、それで、ケンカしちゃって。小春は最後まで譲らなかった。だから私も、もう諦めようと思った。

 それで、私達は疎遠になった。で、私は、他に友達をつくろうと思った。少しずつみんなに寄っていって、それで、上手くいくと思ってた。

 実際に、しばらくの間は上手くいってた。でも、私が居場所を見つけかけた頃、突然、周囲が冷たくなった。そのうち、口もきいてくれなくなった。

 うん、なんとなく想像つくでしょ?そう、今とまったく同じ。私の小説が、みんなに知られてしまったんだね。それも、今よりひどい方法だった。ある朝、私が教室へ行くと、黒板に印刷されたのが貼られてたんだよ。もちろん私は抵抗したけど、もう手遅れ。ひどい話だった。特に、中学生だったからさ、今よりもっと、みんなが軽率だった。その空気はすぐにイジメに発展した。全然関わりのなかったクラスメイトからも嫌がらせを受けて、それで、私は、とうとう人が大嫌いになった。

 なかでも、小春は許せなかった。だって、確かに私はネットでも活動してたけど、それを知ってたのは小春だけなんだよ?あの子が言いふらしたに決まってる。それで、私はあの子を問い詰めたの。

 でも、あの子は決して認めなかった。知らないって、それを繰り返すばっかりで、こっちの話も全然聞いていないみたいだった。それで私は確信した。結局、小春は認めなくて、自業自得だ、って捨て台詞を吐いて立ち去った。

 それから、私はイジメに耐え続けて、中学を卒業した。それで、全てが終わると思った。もう、人なんてこりごりだったけど、私は気持を入れ替えて、高校では上手くやろうと決心した。浮いているから、あんなふうに簡単にやられるんだと思って、友達も、ある程度つくるようにした。無理にでも笑って、もともと得意じゃないからよく解らなかったけど、それでも、人に好かれようと努力した。

 でも、二年のクラス替えで、小春が同じクラスになった。私は愕然とした。小春がこの高校にいることは何となく知ってたけど、クラスも違うし、まったく安心してた。

 それで、私は荒れはじめた。いや、多分それはもともとなんだろうけどね。でも、こうやって、せっかくまともになったのに、また壊されてしまうかもしれないと思うと、怖かった。私はいっとき、ほとんど狂ったみたいになって、よく保健室へ行った。そこで、先生に会った。そう、あの、屋上を許してくれた先生だよ。

 それで、すこしは救われた。屋上にいれば、私は私のままでいられる。それを、できたら大声で叫んでみたくて、でも勿論、そんなことはできないから、お酒を飲んだりして、なんか、まあ、自分を納得させてたわけだね。それで、あなたに出会った。


「…と、いうことでした。めでたしめでたし」

 遥香はおどけて、小さく拍手してみせた。僕は麦茶を飲み干して、遥香の顔色を窺った。どうやら、特に深刻な様子はなく、それで僕も安心する。

 つまり、遥香と小春は、元は友人だったわけである。しかも、けっこう良い関係でいたらしい。それが、互いの好きなものが原因で、拗れてしまった。遥香は心に傷を負った。

 正直、小春のしたことは許せない。しかし、この話を聞いて、思うところがあった。それは、まるで絵空事だ。童話のような、上澄みに似たなにかである。しかし、僕はどうしても、彼女たちのためと言うよりは、僕自身のためにやりたいことができた。

「あれ?なんか難しい顔してるね。どうしたの?」

「あ、その、小春と、どう付き合っていくかを考えてたんだ」

「なるほどね」

 遥香は、なんだか複雑な表情をみせた。決して怒ってはいなかった。ただ、曖昧に哀しそうであった。

「私のことは、もう気にしなくていいからね。現に、恐れていた事態は起こってしまったわけだし。こうなったら、私もある意味で清々したよ。もちろん、すこし悔しいけれどね。もう、諦めてる」

 僕は頷いた。遥香がそう言ってくれると心強い。実のところ、僕にはよい策が浮かばなかったのである。一つだけ、そう、直截ことばを伝えるという手段のみしか、僕にはないように思われた。もはや、小春は信用ならないし、遥香の味方である僕にすれば、敵に近い存在である。

 だが、だからといって傷つけようとは思わない。むしろ。

「明日、藤野さんと話してみるよ。解りあえるとは思っていないけれど、でも、それがいいと思うんだ」

「…そっか。うん。頑張ってね」


 そして翌日。僕は遥香と共に登校すると、すぐに小春のもとへ向かった。いつもならにこやかに挨拶してくれる小春だが、今日は目もあわせてくれなかった。

「藤野さん。ちょっと来て欲しい」

 一限が始まるまでには、まだ時間がある。僕は小春を廊下の隅へ連れ出した。小春は明らかに不機嫌な態度をとりつつも、素直についてきてくれた。

「昨日は、ごめん。僕が無神経だったから、傷つけてしまったみたいで」

 僕は頭を下げた。

「いいよ別に。…で、それだけ?」

 頭を上げると、小春と目があった。冷たい態度だが、昨日よりは話が通じそうであった。僕は思い切って告げる。

「それで、あの、僕、沢谷さんに聞いたんだ。藤野さんとのこと。それで、お願いなんだけど、もう、沢谷さんを傷つけないで欲しい。君を馬鹿にしているつもりは、まったくない。これは、僕の心からのお願いだ」

 小春は明らかに表情を歪めて、僕を見つめた。哀しげであった。

「そう。やっぱり、遥香には敵わないのね。…解った。でも、何もしないよ。さすがに、そこまで諦めは悪くない。…ごめんね、昨日、あんな態度で。でもあの、自分勝手だけど、わかって欲しくて…ごめんなさい」

 小春はほとんど泣きそうだった。僕は彼女の眼を真直ぐに見据えたまま応える。

「いいんだ。でも、こんなことを僕が言うのはきっと可笑しくて、独りよがりの過ぎることだと思うんだけれど。でも、できたら、遥香、さんと、仲直りして欲しい。お願いだ。中学の頃は、かなり仲良しだったみたいじゃないか。確かに、遥香さんは、ひどく裏切られたみたいだけど…」

 僕は、遥香に、きちんと立ち直ってもらいたかったのだ。過去を克服しろとは言わないし、諦めるのも良いと思うのだが、けれど、ああ、これはなんと誤魔化そうとも、僕のエゴだ。僕のへんな正義感と、のっぴきならない事情に依って、僕は二人の和解を望んでいる。

 しかし小春は、予想外の反応をみせた。彼女は明らかに戸惑っていた。

「…ちょっと待って。裏切られた?」

「え、だって、遥香さんの小説を、みんなにばらしたって…」

 小春はかぶりを振った。

「それは、違う」

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