2.memory

 透月さんが異動して一ヵ月が過ぎようとしていた、そんなある日。透月さんが、部長に注意を受けていた。真面目で仕事熱心ではあるものの、小さなミスが多く、疲れが溜まってきていたようだったので、二人で飲みに行くことにした。


 居酒屋「ぱわふる」。俺の行きつけだ。

「らっしゃい! おぉ、なんだなんだ!! 今日はえらいべっぴんさんがいるじゃねぇか。こりゃあサービスしねぇとなぁ!!」

大将が嬉々として準備を始める。奥のテーブル席に座り、注文を終えると、透月さんが店内を眺めているのに気が付く。

「……あ、すみません。居酒屋に来たの初めてで」

「そうなんだ。この辺は居酒屋が多いけど、もしかしてイタリアンとかの方が良かった?」

「いえ、こういう所もいいですね」

 

 そうして食事をしながら、仕事の話から世間話まで、いろいろ話していった。

「そう言えば、変わってるよな」

「何がです?」

「名前。透月さんの。初めて女性だって知った時はびっくりした」

「確かに昔から勘違いされたり、少しからかわれたりしてました。慣れましたし、大抵の方は、あだ名で呼んでくれてましたけど」

「へぇ、例えば?」

「まーちゃんとか、マーサとか」

思わずノドを詰まらせてしまい、透月さんが注いでくれた水を受け取る。

なんてこった。俺の犬と同じ名前じゃないか。これから名前を呼ぶたびに透月さんの顔が浮かんできそうだ。

「大丈夫ですか?」

「う、うん。水、ありがとう。……名前の由来、聞いてみたい」

「知らないんです。私の親、厳しくてほとんど話さなくて……。だから、昔の自分の写真やエピソードも全然」

わ、話題変えないと――。

「そっか……。じゃあ、透月さんの学生時代の思い出とかは?やっぱりモテた?」

「うーん、当時は恋愛とは程遠くって、そういうのはありませんでした。告白されたのも、こうやって男性に食事に誘われたのも、今までなくて。逆に、昔っからドジばっかりで、そこだけは変わっていませんね。特に、体育や家庭科ではよく怪我をしていました」

……簡単にイメージできてしまった。

「先輩の学生時代の思い出も聞きたいです」

「俺も、特に恋愛とかはしてなかったなぁ」

今してるけど。

「フツーにバイトして、友人と遊んで――。大きな変化と言えば、今の会社に就職する時に、こっちに引っ越して一人暮らし始めたことくらいかな」

「どこ出身なんですか?」

東京トーキョー。人や店の数とか、雰囲気が全然違うけど……こういうのを望んでた。いいよな。自然が豊かで、ゆったりしてて」

「わかります。私も、ここ、好きです」

 窓から見える海を二人で眺める。俺はいつものように、透月さんをチラリと覗く。いつもより距離が近いせいか、少しドキドキする。

風に当たりたくなって、窓を開けた。波音と共に海風が入ってきて、透月さんの髪をわずかになびかせる。――ふと、左耳に赤い石のシンプルなピアスが目に入る。

「あれ、そのピアス……」

社内での装飾品は目立たないものしか許されていないので、見たことが無かった。少し驚いた後、貼るタイプのピアスで、仕事終わりと休日につけているのだと、透月さんはいつもの笑顔で教えてくれた。



 それから、仕事終わりに二人で飲みに行くようになった。場所は、いつもの居酒屋。大将ともすっかり仲良くなった透月さんは、以前よりも明るくなり、笑っている。あと、俺もあの貼るピアスを休日につけるようになった(買うのは透月さんにお願いして、ちゃんと代金は返した)。色は一緒だが、俺は右耳につけている。初めは、女物おんなものは少し恥ずかしかったけれど、慣れてきた。何より、二人の秘密であり、お揃いであるのが嬉しい。

 そして、透月さんは努力のすえ、ミスも注意を受けることも減っていき、もうすっかり企画部の一員となっていた。俺も教育係の役目を終え、気付けば、七月も終わりを迎えようとしていた。

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