#003 ¶ 震え

 目が覚める。見知った天井がそこにある。

 あれから三日、安静にしていた。

 昨日抜糸し、漸く立てるまでに回復。

 そこへ、病室をノックする音が聞こえる。

 足音から察するに、あの魔女エルヴィグだろう。

「失礼するよ」

「……ティティは」

「今日は母親のお手伝いだそうだ」

「ふぅん」

 興味は有ったが、機敏に動ける訳ではないので大人しくする。

 魔女の手には、一枚の紙切れ。

「これはティティから預かったものだ。君にと」

 紙には、幾つかの名前と数字が並んでいた。

 数字には通貨単位が記されていたから、おそらく働き口のリスト。

「ありがとう、と伝えておいて」

 魔女に目を戻し、出て行けと眼差しを注ぐ。

「ああ、分かったよ。昼食から普通のだからしっかり食べなよ」

 そう言い残し病室を出て行く。

 そして、再び紙に視線を戻す。

 リストの中で一際目立つのが、日当100ƒのもの。

 さらに下に小さく「10日程度つきっきり」と書かれている。

 この「ƒ」は、世界でも広く使われている通貨だ。

 正式名称は「ファヴィルスFavils」で略して「ヴィル」と呼ばれており、

 1ƒが銅貨、10ƒが銀貨、100ƒが金貨となっている。

 100ƒあれば、普通に暮らして20日くらいの食費が賄える。

 しかしこんな働き口、どこで見つけてきたのだろうか。

 名前は「ベトリス・アルピニズム」と書かれている。

 これだけでは情報が少なすぎる、

 ティティが帰ってきてから詳しく聴いてみよう。

 一息吐き、紙を脇の机に置いてベッドから立ち上がる。

 抜糸後の痕は少し残っているが、酷く気になる程ではない。

 また、痛みもほぼ無い。庸医よういでは無かったのか。

 ……さて。どうしたものか。あまり時間をもてあそびたくはない。

 窓の外から街の喧噪が僅かに聞こえる。

 病室を出て、廊下に一歩。

 そう言えばここに来てから初めて病室を出た。

 辺りは閑散としており他の人が居る気配はしない。

 医師や看護師の姿も見当たらない。

 辺りを見回しながら、扉の開いている病室を隈無く見る。

 ベッドは奇麗に整えられており、埃がすこし被っている。

 自分の居た病室は一番端で、その反対側まで来た。

 誰も居ない。

 そう意識した途端、孤独感におそわれる。

 孤独や独りぼっちは慣れっこだが、この森閑しんかんとした病院の中で、

 ただ私のためだけにあるかのような病室だけが、日差しに曝されていた。

 痛み出した腹部をなだめ、廊下を移動する。

 もしかするとあの魔女は「ありがとう、と伝えておいて」という言葉を鵜呑みにしてティティに会いに行ったのではないだろうか。

 だとすれば愚行も良いところだ。

 病室に戻れば痛み止めがある。早く戻らねば。

 しかし、意に反し視界は斜行し、足が震える。

 手すりを摑み体勢の維持を試みるが、乱れた呼吸と腹部の痛みにより腕の力は損なわれ呆気なく床に倒れ込んだ。


 …。

 ……?

 ………足音が聞こえる

 …………声もする

 ………こっちに来る

 ……胸が痛い

 ……

 ……

 ……






 薄ぼんやりとした視界。

 朦朧とする意識。

 溷濁する呼吸。

 だめだ。

 だめじゃない。

 生きてる。

 まだ。



 …………

 ……



































 辺りに霧が立ち込める。

 ここは森の中だろうか。

 地面は泥濘でいねいしており滑りやすい。

 開けた場所を探すため歩き出す。

 草むらに付いた水滴を服が吸い重くなる。

 しばらく歩き、霧は益々濃くなってゆく。

 当ての無い道次みちすがら、遠くから声が聞こえる。

 歩みを止め、耳を澄まし、一刻。

 方向を確認し、へ歩み出す。


 進むにつれて、声は大きくなる。

 間違いなくだ。

 濃霧の向こうに明かりがあるのが分かった。

 駆け足で声の方向へ。

 人の姿を捉え安堵した瞬間だった。

 足下に地面はなく、割れた大地が口を開け、

 私が墜ちるのを待ちわびていたかのように、そこにはあった。































 ……

… 悪夢から覚めた。

 腹部は痛む。

呼吸は安定している。汗が凄い。

「あっ!起きた!良かったぁ」

 ティティが私に抱きついてくる。

 汗ばんでいるし臭いかもしれないから離れて欲しい。

 気持ちを落ち着かせ、自分の手を見る。

 少し震えているが、キズはない。

「酷い悪夢にうなされていたよ」

 魔女は真剣な眼差しでこちらを見詰める。

「リハビリテーションも無しに行き成り歩き回るなんて自殺行為だ。

 長い間横になっていたせいで血流はそれに慣れきってしまっている。

 それに傷口の回復も万全じゃない。薬だって飲んでない」

 それ以上説教を続けるなら口を縫うぞ、と言いたい。

 だが、心配するティティの顔は二度と見たくないものだ。

 酷く胸が苦しい。

「分かったら、今日一日病臥びょうがしておくんだな」

 魔女は病室から出ていく。

 私は深い溜め息を吐いた。

「もう、びっくりしたじゃないか…帰ってきたらたおれてるもんだから」

「本当にすまない、そしてありがとう」

「……でも、無事で良かった。エルヴィグも心配ないって」

「そうか……」

 ティティの目は充血している。酷く泣いたんだろう。

 視線を天井に戻す。

 今日は疲れた。また悪夢を見るかもしれないが、でも眠るしかない。

 明日は、ティティと笑顔で話せることを祈って。


 おやすみ。

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