第15話 千尋の想い
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香穂と弥生の姿を追い求めて、千尋は雨の中を当てもなく走りまわっていた。
高橋が『敵』だと知った時、では他の二人も患者ではないかという考えは、少しはあった。でも、まさかそれが弥生だとは、かけらも思わなかった。驚きは、しばし放心するほどだった。
弥生の場合、千尋が一番心配していたのは、自死を選択してしまうことだった。
自殺願望は攻撃衝動であり、それは内と外、どちらにも向かう可能性を秘めている。弥生はレイプ犯たちを殺したいほど憎んでいて、それができないから、死を願うようになったのだと千尋は診断した。だから攻撃衝動の自然な発散を、弥生に促すようにしていた。
カウンセリングでは、外科みたいに患部をごっそり取り去ることはできない。常に患者に半歩遅れながらついていく、という姿勢が必要だ。千尋はレイプの話題はできるだけ避けつつ(かといって完全に蓋をすると爆発するから、加減が大事だが)、たとえば弥生が男全般に対する報復を願う発言をすると、「そうね、やっちゃいなさいよ」と肯定してあげた。初めて診察した時に比べると最近は笑顔も増え、症状は好転しつつあると、千尋は手応えを感じていた。
それが、どうしてこうなったのだろう。
考えられるのは、レイプに関することだ。弥生が殺人を決意したとなると、理由はそれしかない。おそらく香穂が強姦を手引きしたとか、そういった類の嘘を吹きこまれたのではないだろうか。
だったら、あの子は死ぬ気だと千尋は確信した。父親を規範とする弥生は人を殺して、平気でいられる子ではない。香穂を殺したら、あの子はきっと自殺するだろう。千尋の頭には、すでに折り重なる二人の死体の映像が浮かび上がっていた。
仮にそうならなかった場合、その時は香穂が弥生を殺すかもしれないと千尋は思った。彼女はすでに高橋を殺している。娘を救うためなら、犠牲を払うことはもう厭わないだろう。目の前に浮かぶ別の映像は、弥生の死体を見下ろす香穂の姿だった。
どちらの展開も、最悪だ。
千尋は、なんとかして二人とも救いたかった。金が目的だった高橋に翻意を促しても無駄でしかなかったが、弥生ならまだ説得できる望みがあった。自分なら、弥生を思いとどまらせることができる。時間をかけて話せば、あの子はわかってくれる。そう考えていた。
なんとしても、破局を回避しなければ。
焦りながら、千尋は建物の間を縫って駆けてゆく。心の中で、彼女は二人に呼びかけた。
お願い、弥生さん。遠藤さんを殺さないで。
お願い、遠藤さん。弥生さんを殺さないで。
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