第13話 兄と妹(8)


「次に詠唱だ。エレス、紙とペン貸して」

「はい」


 ジーンは二つを受け取ると、そこに「生者亡者問わず呪いあれ」と書き込んでいた。紙はすぐに返す。


「これがカースドの基本詠唱だ。これを使うと二詠唱として正しい威力が出るというか、平均的な術式が発動するものだな」

「ふんふん」

「で、さっきみたいに罵倒してみるぞ。あのアホンダラに報いあれ。カースド」


 すると一詠唱の際に「このロクデナシ」と詠唱した時よりも太く射程の伸びた黒いビームが出た。ラフィアはもう、諦観していた。


「ただこれはかなり特殊な例だ。そもそも色んな術式の詠唱も名前も、ましてや魔法陣すら昔から研究されている。最適解を求めて、現状のベストが公表されている。それを無視できるのはアスナーシャとプルート・ヴェルバーくらいだ。人間が使う分には、基礎を抑えるのが一番良い」

「変なことはお兄ちゃんくらいの実力になってからってことだね?」

「そうだな。本来なら無詠唱もあまりオススメしないんだが、エレスに至っては大丈夫だろ。無詠唱だと一番の影響は威力の低下。一詠唱の方が術式がより完成しているんだ。できれば全部きちんと詠唱して二詠唱で使った方が良いんだが、まあ戦闘の時とか有事の際は仕方がない」


 術式を発動するスピードという意味では無詠唱が一番だ。魔法陣さえ出してしまえばすぐに放たれる。だが、正式な術式としては半端も良いところ。様々な術が魔導にも神術にもあるが、術としての完成度では無詠唱なんて塵芥も同然である。

 無詠唱なんて戦闘と緊急時以外に役に立たない。そもそも無詠唱ができる術者の方が少ない。ジーンも使ってはいるが、研究者としては推奨したくない。詠唱も名称も、欠けている物などないのだから。


「じゃあ詠唱を間違えたらどうなるか。そもそもどうしたら間違いになるのか。これは術式によってまちまちだな。こういう単語を挟むと術式が発動しないとか、どう変化するとかは正直膨大すぎる量だ。全ては覚えられないと思うし、神術に至ってはさっぱりだ。だから教える際には基本を抑えさせる。そうすれば間違いは起きないからな」

「治癒術でも暴走とかしちゃうのかな?」

「すると思うぞ?そういう事故もあったらしいからな。補足として、適当な詠唱と愛称で術を発動させられる人間もいる。神術士の中で、『大好きよ、○○』って言った女性が治癒術を発動させたらしい。それは一詠唱としては規模がおかしいほどのもので、重傷だった人間の命を取り留めたそうだ」


 という文献を見たことがあるだけである。真偽はわからない。同じことを魔導でやったら何も発動しないどころか暴発しそうだ。


「ま、これは歴代の導師がやったそうだから教会のプロパガンダな気もする。もう一つ可能性があるが、推測の域を出ないため保留する」

「お兄ちゃんでもわからないの?」

「というより導師、だからなあ」


 ジーンは頭の後ろを掻く。導師はアスナーシャに最も近い存在である。だからアスナーシャと同等の力も使えておかしくはないのだが、そうではないとジーンは考える。

 その内容は今回の講義とは関係ないので割愛。


「エレスがやることとしては名称を覚えることだから、そういうのは後にしよう。一応有名な例だけ言っておくと、『痛いの痛いの飛んで行けー』だな。そう言って治癒術の名称を言って発動すると治癒が早くなる。だから今もお呪いとか気休めでこの言葉が使われるんだな。――じゃあ、続いて詠唱省略について。無詠唱も似たようなものだが、それとも一応違うから説明するぞ」

「うん」


 無詠唱は詠唱そのものの破棄である。それとは別で詠唱はするのだが、正規の物より省略するのが詠唱省略。


「三詠唱から省略するのが常なんだが、できるのは五詠唱までのものだ。六詠唱から八詠唱のものはそれで完成させられていて、それ以上削ることも増やすこともできない。増やすと威力が増すものもあるが、それは後日」


 エレスのペンの動きを見つつ、ジーンは説明を続けていく。


「削れるのは二詠唱分。文で言うと二つ分だな。それ以上は誰も削ることができない。俺も五詠唱のものを二詠唱で唱えようとしたんだが、まー失敗した」

「お兄ちゃんでもできなかったんだ?」

「ああ。研究室半壊させた。削る文章も法則があって、三詠唱から二詠唱だったら頭でもお尻でもいいんだが、四詠唱から三詠唱にするなら真ん中の文を削らなければならない。他の文を削ると、これも失敗する。暴発させるか、何も起きないかだ」


 三詠唱の魔導、「スパイラルフレア」の詠唱文を書いていく。全てを抉りし炎魔の小指、餓鬼道の果て。開くは灰燼の焔、撃ち抜け。これで全文だ。


「これならどっちを省略してもいい。ただ実力がない奴がやっても発動しないな。そこは魔導に関する理解力の問題だ」

「省略できる人間がすごいのですか?」

「というより、理解ができているから省略ができる。マナの扱いを理解しているからこそ、一工程無視してしまっても使えるのが正しい。魔導研究員として功績を残してる奴の多くは省略できるし、教会の連中で何度も神術を使っていれば省略できる奴もいるだろうな」


 ラフィアの疑問ももっともだったために答える。よく間違えられやすいのだが、一般人が思う凄い人は魔導や神術の扱いが上手い人間だ、という認識は間違っている。

 何度も何度も理解するために使い続け、研究を続けた結果扱いが上手くなるのであって、戦場も経験せず、まともに研究もしていない人間はそこまで魔導や神術の扱いは上手くない。

 アース・ゼロの影響で強い魔導や神術を身に宿してしまった人間は増えたが、力や貯蔵できるマナの量が増えただけで、術の扱いが上手くなった人間などいない。

 むしろ力が強くなってしまい扱いに困る人間が増えてしまっただけだ。


「完成されている詠唱文を省略したり改変するなんて、本来は術式に対する冒瀆だ。だが、術式が認めた改変だけが許される。それを知らずに適当に省略したり改変したりして怪我するバカが多い。それはラフィアならわかるだろ?」

「まあ、そういう事件に出くわしたことは何度もありますから……」

「そういうのをなくすために俺たちが研究してるのにな。特に子どもは大人がいない所で勝手にやらかすから始末におえない」


 ジーンたち研究会は毎年出版物も出して、子どもへの教育用の本までも出しているのだが、そういった事件は減らない。

 一筋縄ではいかないのは万物共通だ。


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