第10話 兄と妹(5)
何とか山道の途中で避難用の山小屋であるロッジを見つけて、そこで一晩過ごすことになった。無人ロッジのようで、入る時に一定の金額を入れることで開く仕組みだった。
まず三人がしたのは料理の支度。ジーンは何日か旅を共にしていたので知っていたが、ラフィアは役に立たなかった。貴族であるため家事などしたことがなく、野菜の皮むきもできないほどだった。
ジーンは一人旅の時間が長かったため、本当に最低限のことだが料理ができた。美味しいとは断言できないが、不味くはならないレベル。
驚くことにエレスは料理ができる方だった。手際が良く、複数の工程を同時進行できるほどには。
「すごいな。料理は好きなのか?」
「はい。美味しいご飯を食べる時は幸せですから」
「誰かに教わったとかで?」
ラフィアの質問にエレスは影を落とす。しまったと思ってもすでに遅い。
「最初に拾ってくださった方の奥さんに少しだけ、本当に基礎だけ習いました。その後は……一緒にやってもらったわけじゃないんですけど、ある人に教えてもらって。その人がいたから平気だったんです」
「そっか。あとやることあるか?」
「お兄ちゃんはスープの中をよく混ぜてください。あと、ラフィアさんはお皿並べてくれますか?」
「はいよ」
「ええ」
ラフィアが移動する前にジーンはラフィアの横腹を引っ張る。「ヒグッ!」という声は漏れてしまったが原因はわかっていたので、それを受け止めた後小声で謝った。
「すみません」
「村を出てくる時にその人に挨拶しなかったってことはできねーような人だったってことだろ?少しは頭使え」
「……わかりました」
その後料理が終わり、テーブルにはクリームシチューにほうれん草とベーコンのソテー、魚のムニエルが並んでいた。ほとんどエレスが作った物だ。
「久しぶりです。こうして他の人がいてする食事は」
「それじゃあ、食べるか。いただきます」
「いただきます」
「いただきます。それと召し上がれ。……ふふっ。召し上がれなんて初めて言いました」
そうして食事は静かに進む。実際料理はどれも美味しかった。シーラスさんと遜色ないほどだ。
食事が終わると、次は風呂の番だ。女子二人は一緒に入る、もといロッジにおける風呂の使い方を教えるということでジーンは洗濯をすることにした。
服を預かり、洗濯機に放り込む。そして洗剤を入れて待つだけではあるが。乾燥機能もついているので、音が鳴り終わるまで神術の研究書を読んでいた。エレスに術を教えるためである。
洗濯機が鳴り終わる前に、二人は風呂から出てきていた。エレスは可愛らしいピンクのパジャマを着ながら、髪をタオルで拭いていた。ラフィアは何故かジャージ。本人曰く動きやすいためとか。
それでいいのか貴族、と思ったが口には出さない。
ジーンも風呂に入り、そんなに長いこと浸かるわけでもなく出て、黒いパジャマに着替えると二人は服をロッジの中で干していた。
さすがに下着だけは男女で分けて、女子分はどこか目に映らない場所に干したのだと推察した。
「そういえばお兄ちゃん。こうやって平然と過ごしてるけど、ここ外だよね?ロッジの外のことは警戒しなくていいの?」
「大丈夫だ。ここの管理人がよっぽど間抜けじゃなければこのロッジにはリンゴのコーティングがされてるはずだからな。場所によったらリンゴの木そのもので家を建てるらしいが、そんなのは本当の金持ちだけだ」
「リンゴ?何で高級な果物が?」
「そこからか。そこに高級な理由があるんだよ」
今日のお勉強タイムだ。一応紙とペンを用意する。
「リンゴには魔物を遠ざける力があるんだ。近寄らせない力、かもしれないが。この所以は諸説あるからパスな。だから、こういう外の建物にはリンゴをすりつぶした物をコーティングする。街や村にある壁にも、リンゴがコーティングされてるぞ」
「へぇ。だから壁とかこの家とかいい匂いするんだ」
「そういった力があるから、需要がすごくあるために高級なんだ。で、大体こういうロッジは三か月に一回コーティングしなくちゃいけねーから、実は宿泊料がすごく高い。しかも領収書が出ないから、経費で落とせない」
「じゃあ何で泊まったの?」
「村で一泊できれば洗濯とかできたんだけどな。そういうのが溜まってたから泊まっただけだ。急ぎだったし、やむなしだ」
村のコインランドリーで洗濯してから出るという選択もできただろうが、長居したくなかったために諦めた。
正直今日の出費はかなり多いが、まだまだ財布には余裕がある。
「街や村には結界があるだろ?つまりリンゴは疑似結界になりえるんだ。あとはアスナーシャ教会にとって神聖な果物だから高級になってる。ま、後付けなんだが」
「後から言い出したものなのですか?」
「リンゴの有用性を説いた論文と、いつからリンゴをアスナーシャ教会が扱い始めたか比較すればいい。順序逆だからな。昔の論文だから年号があってるか怪しーけど」
そんな脱線話はおいておいて、結界の話をする。
「結界については?」
「詳しくは知らない」
「結界は文字通り魔物を入れさせないものなんだが、これについてはわからないことが多い。街の中にある祠からその力が出てるらしいが、この力が魔導のものなのか、神術のものなのかわかっていない。アスナーシャ教会によると神術のものらしーぜ?」
「アスナーシャ教会って悪い人たちなの?」
「色々あるだけです。ただ魔導研究会の権力よりアスナーシャ教会の方が力を持ち始めている、というのが大きいです。ずっとアスナーシャ教会の力が強くなっていったところにアース・ゼロが起こったので、決定的になってしまったのです」
ラフィアが説明に加わる。アスナーシャ教会の信徒は、この世界の人口の半数に至る。その他の宗教に入っている人間が一割、他の約四割は無宗教だ。その四割のほとんどは魔導士なのだが。
かくいうラフィアもアスナーシャ信徒である。だからこそ、反論したかったのだろう。
「リンゴや結界についてはこんなものか。他に知りたいことはあるか?ねーなら神術の名前を教えようと思うが」
「今のところはないかも。神術の名前、教えてください」
「はいよ」
そこから一時間ほど、どんな術が使えて詠唱を覚えられるか確認していった。詠唱についてはほとんど覚えられず、それは仕方がないことだと思った。
詠唱は間違えれば術は発動せず、下手したら暴発してしまうために無理に覚えさせなかった。暴発させるよりは、使わない方が良い。
術の種類と名前についてだけ教えていくと、途中で目をこすり始めた。時間を確認すると、もう夜の十時を回っていた。
「もう遅いか。寝よう」
「どこで寝ればいいですか……?」
「その奥の部屋にベッドがあるからそこで寝てくれ。朝になったら起こすから」
エレスの手を取り、ベッドまで連れていって寝かしつけてから部屋を出る。出た先にいたのはラフィアだ。
「随分と可愛がっているようで。任務に支障が出なければいいですけど」
「可愛いからな。誰かさんと違って」
「騎士である私に可愛いと言われても困ります。しかし、執着しすぎではないですか?」
皮肉めいた言葉。そこに嫌味で返されると予想していたが、その予想とは裏腹な言葉が返ってきた。
「そりゃあ執着するさ。世界に一人しかいないかもしれない神術士だからな」
「……どういうことですか?たしかに神術士としての実力は高いでしょうが、教会導師のルフド様よりは劣ると思いますが?」
「劣るとかじゃないんだよ。いいか?俺は今日、何度エレスに触れてた?」
「触れて……?なっ、エレスティは⁉」
ようやくラフィアは気付く。
最初の邂逅で抱き着かれ、手を繋いだり掴んだり、何度もしている。だというのにエレスティは一回も起きていなかった。それは有り得ないことだった。
「その特異性を知られてみろ。本当に研究材料として一生囚われるぞ?そうならないように、保護するしかない。力を制御させてな」
「あなたは彼女を、ただの妹として扱うと……?」
「できるならな。人間と思いこませるのが一番だが、神術士は神術士のことがわかる。魔導士も魔導士のことはわかるんだ。ま、能力が高いとお互いどっちでもわかるんだが。……隠せる限り、隠すしかないだろ。あとは自衛手段だな」
いつでもどこでもジーンが守れるとは限らない。ならば、最低限のことは教えなければならないのだ。
たしかにエレスティが起こらない、つまり神術を完璧に抑えることができるのであれば、ジーンの探知魔術には引っかからない。だから過去に見付けられなかったのだ。
今日教えられたものでは足りない。だから、もっと教えなければならない。
「さて、寝るか。お前どこの部屋使う?」
「上の部屋使います。おやすみなさい」
ラフィアは階段を上がり、上の部屋を使うことになった。このロッジにある部屋は二つ。つまりベッドで寝るのであれば、どちらかの部屋に行かなければならない。
ラフィアの部屋か、エレスの部屋。どちらかに行くのかジーンは迷わない。
もちろん下の部屋、エレスの部屋だ。そして中には一つのベッドのみ。ソファもあるが、そんなところで寝るわけがない。
静かな寝音を立てて小さく縮まりながらタオルケットをかけているエレス。そこへジーンは転がり込み、エレスに抱き着く。
「あー、ぬくい」
小さな温かみを得て、ジーンはすぐに眠りへ落ちていく。
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