第9話 兄と妹(4)
馬車が止まり、御者台に置いておいたトンファーを手に取ってジーンは降りる。ラフィアもすぐ降りてきて、戦闘態勢に入る。
そんな二人の様子を見て、エレスはオロオロしていた。
「エレス。じっとしていてくれ。すぐ終わらせてくるから」
「わ、わたしは……」
「いいよ。待っててくれるだけで」
ジーンは魔物が来る方向へ魔導を起こそうとして陣を出す。ラフィアは剣を抜き、方向を見て構えている。
「混沌より出でよ、炎の渦、災禍となりて敵を包め。紅く、朱く、黑く、鮮明に刻め、悪の破道。境界の彼方から湧き出よ。フレアベイン!」
ジーンたちの視界に熊の魔物三匹が目に入った途端に、地面から黒い炎が湧き出る。高さ三十ヤードにもなる分厚い壁のように湧き出て、二体がそこに巻き込まれていた。
三詠唱の魔導。
魔導には基本的に火・水・風・地・雷・闇の六種類に分類される。これらをいくつか混ぜる複合魔導は使える人間が少なく、知っている人間がそもそも少ない。だが、知識量だけではなく実力もあるジーンには造作もない。
フレアベインに当たった二体も起き上がり、三匹はまだ向かってくる。ラフィアが突っ込み、ジーンは無詠唱で簡単な雷や風によって切り裂いていく。
「援護まだいるか?騎士様」
「っ!お願いします!」
型に則った剣舞で熊の魔物を斬る。切り払い、突き、兜割り。どれも型に従っているがために、当たっても傷が浅い。
応用ができていないのだ。実戦にも全て型通り。それでは生き残れないだろう。
「お兄ちゃん。もう少し手伝ってあげないんですか?」
「手伝ってもいいけど、これぐらいはなあ」
「これぐらいって、三対一だよ?」
「二体は手負いだし、何とかなるだろ。というか、何とかしないと騎士としてまずいぞ?」
「……わたしが、お手伝いするのは?」
「ん、いいぞ。できるなら、だけど」
エレスは戸惑いながらも、陣を出した。陣に現れる文字や、陣を構成する色、陣の大きさなどによって大体どんな術であるかは理解できる。
エレスが出しているのは防壁。それを自分の周り以外に出せるなら、優秀な神術士ということになる。
もっとも、無詠唱で治癒術を使える時点で実力はわかりきっているのだが。
「っ⁉防壁⁉」
三方向から同時に熊の魔物の蹄を喰らいそうになったラフィアだったが、エレスの防壁によって二つは防げていて、もう一つは剣の腹で受け止めていた。
「無詠唱か」
「無詠唱?」
「あー、そっか。習う人がいなくて、本能的に使ってたら詠唱なんて知らねーのか」
驚きの事実、発覚。
有り得ない話ではないが、全ての術の詠唱なんて知らずに使ってきたのだ。それが常識になってしまえば、そのまま使い続ければ能力が向上していくのも無理はない推論だ。
一番発動が難しく、効果も期待できない方法で数をこなしてきたのであれば、それがそのまま、一般の神術士とは異なる成長をしてもおかしくはない。そもそも、同じ方法を実践するには才能が必要だが。
「シャドウ」
影を操る一詠唱。足元から影が現れ、それが鋭角な形を生じ胸を貫く。それによって手負いの熊の魔物を一匹倒す。
「これが一詠唱。使う術の名前と、陣だけを用いた魔導だ。ここら辺は神術でも変わらない」
「術の名前?」
「……名前、知らないのか?さっきの防壁の術も、治癒の術も」
「うん。頭の中で、こうしたいって思ってるだけだけど……?」
さすがに術を使っているのだから、術の名前くらいは知っていると思っていた。誰かに教わって、それを用いているのだと思い込んでいたのだが、ここまで常識が通じないのは魔導研究員になって八年にもなるジーンからしても初めてのことだった。
「言霊、というものがある。名前には霊が宿るから、言葉は大事という考えだな。全てのものには名前があり、それこそがそのものである何よりの証拠だから、名前は重要視される。名は体を表すって言葉があるほどだ」
「うんうん」
「つまり、名前を知ることはそのものの本質を知り、理解する第一歩になる。これは魔導と神術の術も同じで、名前を知ることでしっかりとした、本当の術を使えるということだな」
「なるほど。じゃあわたしはもっとべんきょうをしないといけないってことだよね?」
「そういうことだ。それに、無詠唱と一詠唱でも随分違う。継続時間とか効果は色々だが、とっさの場合や面倒な時以外はきちんと詠唱をした方が良い」
伝えるべきことを伝えようとしたが、エレスの頭からは湯気が出ていた。いきなり詰め込みすぎて、ショート寸前なのだろう。
「悪い悪い。後で紙に書いて教えるから。俺にわかる範囲なら、術の名前も教えてやる」
「わかりました」
「本当にわかったのか?」
「はい。ジンお兄ちゃんが苗字をつけてくれたことで本当のわたしになれたって。だから、この名前は大事にしないといけないんだなって」
「さすが俺の妹だ」
そう言ってジーンが御者台に近付くと、御者台からエレスが降りてきて頭をこちらに向けてきた。何故やろうとしたことがわかるのかわからないが、ジーンは精一杯丁寧に頭を撫でてやる。
そうすると口を開けて満足そうに笑顔を浮かべたエレスは、誰が見ても可愛い少女だった。この笑顔があれば何もいらないと思う程に。
「夫婦漫才やってないで助けていただけませんか⁉」
ラフィアの方を見ると、手負いの魔物は倒していたようだが、もう一匹の魔物は健在だった。何大刀かは入れているようだが、倒せるほどではないのだろう。
「がんばれー。怪我してもエレスが治してくれるぞー」
「ふ、夫婦だなんて……!」
適当な応援をしたジーンと、顔を真っ赤にして頬を抑えているエレス。
もう戦う気のないダメ兄と、ちょっとした言葉に照れている幼い妹を見て、加勢はしてくれないと悟ったラフィアはその憤りを熊の魔物へと向けていた。
「戦えるのだから、もう少し手伝ってくれてもいいでしょうにー!」
懐に入り込み、腕目掛けて斬り上げることで右腕を落とす。これで
そこからすぐ立ち上がって剣に振動を纏わせて切れ味を増し、馬鹿正直に真正面から突っ込んでいく。
それをわかりきっていた熊の魔物は残っている左腕で掴もうとする。そのまま噛み殺そうと考えていたのだろう。
そこへラフィアは突きをする。腕を出していた熊は悲鳴を挙げながら腕が貫かれる。ラフィアは剣を引き抜くと、胴体を真っ二つに切り裂く。それで今度こそ魔物は絶命し、脅威は全て去った。
振動を消し、剣に着いた血を拭き取ってから納刀した。
そしてすぐ、身体を反転させて馬車へと走って近寄った。
「助けてくれたっていいじゃないですか~!」
「お、無傷じゃん。お前の実力見誤ってたわ。すまん」
「たしかに私が護衛で、あなたは護衛対象ですけど!力があるのだから貸していただきたい!夜になると戦闘しづらいのは知っているでしょう?」
「知ってっけど、無駄な力を使いたくねー」
その辟易とした言葉に反応するラフィア。ある事柄が頭に浮かび、そのことについて尋ねる。
「もしかして、マナが限界だったとか?先程の一撃、素晴らしい火力でしたからね」
「んなわけあるか、たわけ。あの程度ならあと五十は使える」
「そうですか……」
ジーンが魔導を使いたくないわけがわからなかったが、とりあえず考えていた理由と異なったので安心する。
もしマナが限界であれば、本当に一人で戦わなければならないからだ。
「お兄ちゃん、マナって何?」
「マナっていうのは生き物の中にあるエネルギーのことだ。それがなくなると死ぬ。魔導や神術に用いてて、治癒術なんてこのマナを分け与えているのと同義なんだぞ?」
「へー」
「魔導や神術を限界まで使って酷使すると、寿命が縮むんだ。で、このマナっていうのも種類があって、睡眠や食事で補充されるマナと、本当の意味で寿命に直結するレイズマナというのがある。エレスの限界がどこかわからないが、むやみやたらに術を使うなよ?」
「う、うん?」
またエレスの頭がショート寸前になりかけていた。そこまでエレスは頭が良くないのかもしれない。まともな教育を受けていないだろうから、それも仕方ないのかもしれない。
実はジーンもまともな教育など受けてはいないが、それは意味なきはなし。
「ま、身体に違和感があったら術を使うのをやめろってことだ。頭痛とか、胸の痛みとか。そういう症状が出始めたら限界ってことだからな?」
「わかった」
「じゃあ後の話は移動しながらで。できれば今日はロッジまで行くぞ」
三人は馬車に乗り込み、西へ進路を取る。途中、陽が沈み切る様子を見ていたエレスが幻想的と呟いていたことが印象的だった。
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