せかいのはじまり

アリス

第1話せかいのはじまり




気が付くと、路地の隅にいきなり毎年現れる見慣れた花があふれていた。

ああ、また今年も夏が始まった――――――。







暑い暑い夏の夜。

いつもは人通りの少ない商店街。

だけど、一年に一度だけこの商店街が賑わう日が来る。

夏祭りの始まり。



「焼きそば食べたくなってきた」

「さっきフランクフルト食べたばかりじゃん」


「一等当たらねえんだけど!」

「ぎゃはははは!!どんだけクジに金使ってんだよ!」


「お母さん、あれほしい」

「去年死なせちゃったでしょう。だぁめ」

「え~やぁだ~!」




たくさんの人が行きかう道をただただ見つめる。

狭い狭い水たまりから。

プラスチックの箱の中、今日も泳ぐ。

たくさんの人に覗き込まれては、逃げ回る。





「お願い、やらせて!」




さっきの小さな女の子が指をさす。

女の子に根負けをした女の人は店のおじさんにお金を渡した。

店番のおじさんはニコニコとスコップを渡す。


「お嬢ちゃんにはこのスコップね。2匹までだからね」


乱暴にそれは水たまりの中へ。

そんなに強くしないで。

もっと優しくすくって。

暴れて、逃げて、もがいた。




スコップの一部が身体に触れる。

痛い。

触れたところがズキズキと痛む。

苦しい。


「とれた!」


気が付くと。その子は嬉しそうに笑っている。

そう、すくってもらえたんだね。

私じゃない誰かが。


痛い思いはしたくない。

だけど、外の世界をみてみたい。

矛盾した思いを抱えながら、かつてここで一緒においでいた仲間の遠ざかる姿を見つめた。



「ちょっと時間までこれやっていかね?」

「やってどうすんよ」

「そりゃ大切に育てるよ」


また、誰かがやってきた。

今度はスコップじゃなくて網。

その人はそれを水たまりの中へ押し込む。


さっきの子よりはましだけれど、水たまりをぐるぐるかき回す。

上手に泳げないし、ぐるぐるかき混ぜるから網の一部が身体に触れて痛い。

これ以上痛くしないで。

傷つけないで。


そして網の柔らかい部分が私の体に触れて浮いた。

あ、すくってもらえた。

そう思った瞬間。






ぱしゃん。







水たまりの中へと叩きつけられた。

痛い。


何度この痛みを経験すればいいんだろう。

誰もすくってはくれない。

そんな期待はもう忘れてしまった。



すくってはたたきつけられ。

すくってはたたきつけられ。




何も感じない。

ただただ私は泳ぐだけ。

何も変わらない。





この水たまりに入ってどのくらいの時間がたっただろう。

さっきまでオレンジ色だった空が、真っ暗な黒になっている。

黒に染まるにつれて人もたくさん増えた。

叩きつけられる回数も増えた。





だけど、そんなある時。

私の目の前にあなたは現れた。



「一回いくら?」

「300円だよ」

「じゃあ一回分」


おじさんから網をもらったあなた。

プラスチックの箱の前、あなたはしゃがんで少しの間箱の中身を眺める。


じっと私たちを見つめてる。

その目から逃れたくて、だけど見つけてもほしくて。

何度も同じ場所を往復をする。



「期待しないほうがいいよ」

「どうせすくってなんてくれないんだから」



周りの友人はそう呟く。

私はただただ泳ぐ。



水たまりに網を入れないあなたに私は泳ぐのをやめた。

どうしてこの人はそれをこの中に入れないんだろう。



しばらくすると、あなたはゆっくりとした動作で、静かにやさしく網を水たまりの中に沈めた。




やさしい手つき。

乱暴にしないしぐるぐる水たまりもかき混ぜない。

こんな経験初めて。


気が付くとふわりと身体が浮いていた。

そこからはほんとうにあっという間。

いつの間にか私は、透明な小さな袋の中にいた。





そう。

すくってくれたのね。

あなたがその網で私をすくってくれたんだね。

偶然でもいいと思った。

すくってくれたことがとてもうれしかった。



思わず跳ねた。

ぱしゃん、と狭い水たまりが揺れた。




ゆらりゆら。

あなたが運ぶ小さな透明な袋から見える世界はとても新鮮。


あのふわふわした白いものはなんだろう。

ビヨンビヨン伸びるあのまるいものはなんだろう。

知らないものがたくさんあってワクワクする。

広い広い世界が次々見える。

プラスチックの箱の中とは違って、ここの世界はカラフルだ。



「おじさん、ヨーヨー一回いくら?」

「400円だよ」

「じゃあそれ一回」

「あいよ」


このビヨンビヨンしたものは「よーよー」っていうんだ。

あ、今子供たちがよーよーを片手に走っていった。

あなたもあんなふうにびよんびよんさせるの。

あんなふうに笑って。


「いいなぁ」


あなたはまた優しい手つきでよーよーを手にする。

しゃがんでいるからあなたの顔がよく見える。

真っ黒な髪の毛からのぞく目はとてもやさしい。


たまに私のことをみつめて話しかけてくる。


「名前はなにがいいかな。考えておかなきゃ」


名前は何でもいい。

あなたが呼んでくれるのなら、なんでも。


藍色の浴衣。

あなたの色。

私とは反対だね。

少しくすぐったくてまた水たまりの中をはねた。



「楽しい」




そう思ったとき、黒い空を一瞬にして大きな花が空を染めた。

いろいろな色や形が空に咲く。

満開な花がとてもきれいで、うっとり見とれてしまった。


「綺麗だ」


本当。

本当に、綺麗。

こんな綺麗なものがみれたのはあなたのおかげ。


初めてのことばかりで、興奮してしまう。

プラスチックの箱の中にいた時はこんな世界想像していなかった。

期待なんてこれっぽっちも。

楽しいなんてそんな感情生まれてくるなんて知らなかった。

楽しい。楽しい。楽しい。







ゆらりゆら。

本当はこの透明な小さい袋の中で泳ぎ続けるのは苦しい。

だけど、隣にあなたがいてくれるからそんな苦しさ気にならない。



ねえ、知ってた?

あの水たまりから出てしまうと、長くは生きられない。

残された時間はとても短くて、それはどうすることもできないけど。

短い命でもこの世界を見れてよかった。

あなたと一緒にいれてうれしい。




今とても倖せだよ。





もう少しだけ、このカラフルな景色とたくさんの音にあふれた広く綺麗な世界を眺めていたい。

あなたと一緒に。





どうしてかな。

網の一部が身体に触れているわけでも、網が破れて水たまりに叩きつけられてもいないのに。

痛い。

どうしてかな。

わからない。




狭い狭い水たまりの中が私の全てだった。

だけど、あなたは私の目の前に現れてそしてすくってくれた。

この意味、解っているのかな。

わからなくてもいい。

わからなくてもいいから、今はあなたの側で泳いでいたい。





(了)



















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