第8話 取引

森妖精エルフ。彼らは人間ノルドに良く似た外見の、ひときわ優雅で麗しき容姿を持つ種族であり、森に住んでいる。彼らの種族は明るく友好的で夢見がち、好奇心旺盛でいたずら好きな性格をしているものが多い。その反面、何か一つのことにこだわったり、元気余って精神的に不安定になる側面もある。また、人間ノルドよりも背が高い反面、大変やせており、人間ノルドから見るとか弱そうに見える。だが彼らは弓を使うことを好む腕利きの戦士であることが多く、魔法の腕も相当なものである。彼らの寿命は大変長く──一説には不老不死であると言う噂もあるが──老いを知らない。東部森林、通称『魔女の大森林』に住む彼らを中立なる森妖精エルフ、彼らは神々の天秤が善と悪、秩序と自由のどちらにも傾くことを好まず、なにごともほどほどに、中庸ちゅうようとする存在だといわれている。


 ~ファルド帝国風土記より東部森林地方における記述より抜粋~


 ◇


 風に緑の針葉樹がざわめき、地べたでは枯れ葉や小枝を踏みしめる音が続いている。

 獣道を歩く。

 エリアスとミーナの前を、イングラスが先行する。

 そこは踏み固められ、はっきりと道のていしていた。


「イングラスさんも"帝国"の都に向かう途中だったの?」

「遠い土地の産物は"帝都ファルドアリア"で高く売れますから」


 イングラウスの背中は大きい。


「イングラスさんは行商人だったのですか?」

「その通りです」とミーナに微笑み、

「でも良かった、私たち、知らない土地だし、道はわからないし、とても不安だったんです。ありがとうございます、イングラスさん」

「いや、こちらこそ助かりました。蜥蜴人リザードマンの連中から荷を取り戻してくれそうな人に出会えて、私はとても幸運です」


 彼らがイングラスと交わした取引。

 それは行商人のイングラスが蜥蜴人リザードマンに奪われた荷を取り戻すことと引き換えに、森から抜けるまでの道中を道案内よろしく付き合ってくれる、というものだ。

 エリアスは思う。

 焼き払われた村を出てからというもの、ミーナを除いて誰とも話していなかった。自分の父や母、それにミーナの父母や兄弟、それにその他、村人の顔の一人一人を思い出しては消えてゆく。エリアスにとって、みな大事な人たちだった。

 エリアスはイングラスの逞しい背中を見て思う。自分は少し人寂しくあったのかも知れないな、と。


 ◇


 雪を載せた森はいつしか開け、目の前に広大な沼地が広がる。

 白い雪は薄氷の上にあり、一歩先がどこへ向かうのか探ることは容易ではない。


「足元に気をつけてください」


 それは立ち止まったイングラスの声だった。

 エリアスは足をそろりと踏み出す。


「おっと」


 ツルッと滑る。イングラスに手を掴まれてなんとか踏ん張る。


「ミーナ、注意しろ、滑るぞ」


 と、エリアスは自分が滑ったことを棚に上げてミーナに注意を促す。


「よっと。あ、滑る」


 ミーナは自分の力と技だけで踏みとどまる。


「へへん。上手でしょ、エリアス?」

「ああ、負けたよミーナ」

「えへへ」


 自慢げにミーナは顔を綻ばせる。エリアスは素直に自分の失敗を認めた。


「ところでイングラスさん」

「なんだい?」


 エリアスは問う。


「俺達は氷原で蜥蜴人リザードマンと戦ったんだ。氷原の蜥蜴人リザードマンより森……と言うより、この沼地の蜥蜴人リザードマンのほうが強いのかな?」

「それはどうでしょうか。ただ、私はかなり苦戦しました」とイングラスはエリアスを向き、

「なにせ、私の得意な呪文は氷の精霊魔法エレメンタリズムですから。寒い場所にも平気で住む彼らです。そんな所に一人で来たのがそもそもの間違いかもしれません」


 快晴の空を見上げてイングラス。


「それでエリアスさん。雪原ではどのようにして蜥蜴人リザードマンを倒したのですか?」と尋ねる。


 エリアスは腰の剣を叩いて、


「こいつでなんとか凌いだんだ。今度もこいつを使いこなして見せる」と、エリアスは遠くに見える高床式の建物、木製の小屋の集まり──おそらくあれが蜥蜴人リザードマンの集落なのだろう──を見つめた。

 それに英雄ヴァルトの力。エリアスが英雄ヴァルトを心から信じて受け入れるなら、彼はさらに強く成長を遂げるだろう。


 エリアスは自分を凝視するイングラスの視線に気付く。


「その剣は……」


 いい淀むイングラス。イングラスの視線はエリアスの剣に注がれていた。


「どうしたのイングラスさん」

「いや、なんでもありません」


 イングラスは視線を逸らす。

 エリアスは不思議に思いながらも、蜥蜴人リザードマンがいるであろう集落に視線を移す。


「イングラスさん、何か良い作戦はある?」

「昼の間に勝負をかけるとよいと思います。彼らは多くの場合、夜行性ですから」

「夜行性?」


 ミーナは首を傾げる。


「ああ、ミーナさん」と問われたイングラスはミーナに応じ、

「夜行性というのは昼間よりも夜に動くことを得意とする動物のことです。ちなみにあなた方、二人の人間ノルドや私、森妖精エルフの多くは昼間のほうが得意ですよね?」と優しく答える。

「じゃあイングラスさん、このまま突入する?」


 と、エリアスとミーナが何の考えも無しに集落へ向けて足元に気をつけながら突入しようとするが、


「待ってください!」と、イングラスが声を掛けた。


 雄叫びを上げようとしていた二人は出鼻をくじかれ、「え?」「あっ」っと足を絡ませ二人とも、半分溶けた雪交じりの沼地に顔から滑り込んでいた。


 ◇


 顔や体に付いた泥を草で拭いつつ、エリアスとミーナの二人はイングラスの『作戦』を聞く。

 とは言っても、その作戦とやらは酷く簡単なものであったが。


「まず、三人で村の裏手へこっそり回ります」

「「うんうん!」」


 老練な師を二人の幼い弟子が見上げている。そんな光景だ。


「そこで私が戦士階級の蜥蜴人リザードマンに矢を放ちますから、それがたおれるのを見計らって、君たち二人がときの声をあげて欲しいのです。十分に雌や子供が逃げ出したのを確認してから、君たちは集落に突入してください。私は後ろで弓を使って援護しますから」

「イングラスさん! 私が集落を火球ファイヤーボールの呪文で焼き払ったほうが早いと思います!」


 ミーナが元気良くイングラスの声を遮る。

 イングラスはその秀麗な眉を顰めつつ、火を使うことの無意味さを説く。

 肝心の荷物が燃えてしまう、と言われたミーナは、


「そっか、そうですよね。すみませんイングラスさん」と恥ずかしそうに俯いた。

「ともかく、二人には大声を出して集落中を走り回って欲しいのです。敵を混乱させるのです」

「「はい!」」

「私はその隙に荷物を彼らから取り上げて引き上げることにします」


「んー、でも……」


 エリアスは首をひねる。


「イングラスさんが引き上げた後、俺達はどうすると良いんだ?」

「派手な氷の呪文を戦士階級の蜥蜴人リザードマンに放つことにしますから、それを合図に撤退してください」

「「はい!」」


 イングラスの指揮のもと、エリアスとミーナ、二人の声が唱和する。


「それでは、作戦を始めましょう」

「「はい!」」


 そして今度こそ、集落への隠密行が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る