第8話 取引
~ファルド帝国風土記より東部森林地方における記述より抜粋~
◇
風に緑の針葉樹がざわめき、地べたでは枯れ葉や小枝を踏みしめる音が続いている。
獣道を歩く。
エリアスとミーナの前を、イングラスが先行する。
そこは踏み固められ、はっきりと道の
「イングラスさんも"帝国"の都に向かう途中だったの?」
「遠い土地の産物は"
イングラウスの背中は大きい。
「イングラスさんは行商人だったのですか?」
「その通りです」とミーナに微笑み、
「でも良かった、私たち、知らない土地だし、道はわからないし、とても不安だったんです。ありがとうございます、イングラスさん」
「いや、こちらこそ助かりました。
彼らがイングラスと交わした取引。
それは行商人のイングラスが
エリアスは思う。
焼き払われた村を出てからというもの、ミーナを除いて誰とも話していなかった。自分の父や母、それにミーナの父母や兄弟、それにその他、村人の顔の一人一人を思い出しては消えてゆく。エリアスにとって、みな大事な人たちだった。
エリアスはイングラスの逞しい背中を見て思う。自分は少し人寂しくあったのかも知れないな、と。
◇
雪を載せた森はいつしか開け、目の前に広大な沼地が広がる。
白い雪は薄氷の上にあり、一歩先がどこへ向かうのか探ることは容易ではない。
「足元に気をつけてください」
それは立ち止まったイングラスの声だった。
エリアスは足をそろりと踏み出す。
「おっと」
ツルッと滑る。イングラスに手を掴まれてなんとか踏ん張る。
「ミーナ、注意しろ、滑るぞ」
と、エリアスは自分が滑ったことを棚に上げてミーナに注意を促す。
「よっと。あ、滑る」
ミーナは自分の力と技だけで踏みとどまる。
「へへん。上手でしょ、エリアス?」
「ああ、負けたよミーナ」
「えへへ」
自慢げにミーナは顔を綻ばせる。エリアスは素直に自分の失敗を認めた。
「ところでイングラスさん」
「なんだい?」
エリアスは問う。
「俺達は氷原で
「それはどうでしょうか。ただ、私はかなり苦戦しました」とイングラスはエリアスを向き、
「なにせ、私の得意な呪文は氷の
快晴の空を見上げてイングラス。
「それでエリアスさん。雪原ではどのようにして
エリアスは腰の剣を叩いて、
「こいつでなんとか凌いだんだ。今度もこいつを使いこなして見せる」と、エリアスは遠くに見える高床式の建物、木製の小屋の集まり──おそらくあれが
それに
エリアスは自分を凝視するイングラスの視線に気付く。
「その剣は……」
いい淀むイングラス。イングラスの視線はエリアスの剣に注がれていた。
「どうしたのイングラスさん」
「いや、なんでもありません」
イングラスは視線を逸らす。
エリアスは不思議に思いながらも、
「イングラスさん、何か良い作戦はある?」
「昼の間に勝負をかけるとよいと思います。彼らは多くの場合、夜行性ですから」
「夜行性?」
ミーナは首を傾げる。
「ああ、ミーナさん」と問われたイングラスはミーナに応じ、
「夜行性というのは昼間よりも夜に動くことを得意とする動物のことです。ちなみにあなた方、二人の
「じゃあイングラスさん、このまま突入する?」
と、エリアスとミーナが何の考えも無しに集落へ向けて足元に気をつけながら突入しようとするが、
「待ってください!」と、イングラスが声を掛けた。
雄叫びを上げようとしていた二人は出鼻をくじかれ、「え?」「あっ」っと足を絡ませ二人とも、半分溶けた雪交じりの沼地に顔から滑り込んでいた。
◇
顔や体に付いた泥を草で拭いつつ、エリアスとミーナの二人はイングラスの『作戦』を聞く。
とは言っても、その作戦とやらは酷く簡単なものであったが。
「まず、三人で村の裏手へこっそり回ります」
「「うんうん!」」
老練な師を二人の幼い弟子が見上げている。そんな光景だ。
「そこで私が戦士階級の
「イングラスさん! 私が集落を
ミーナが元気良くイングラスの声を遮る。
イングラスはその秀麗な眉を顰めつつ、火を使うことの無意味さを説く。
肝心の荷物が燃えてしまう、と言われたミーナは、
「そっか、そうですよね。すみませんイングラスさん」と恥ずかしそうに俯いた。
「ともかく、二人には大声を出して集落中を走り回って欲しいのです。敵を混乱させるのです」
「「はい!」」
「私はその隙に荷物を彼らから取り上げて引き上げることにします」
「んー、でも……」
エリアスは首をひねる。
「イングラスさんが引き上げた後、俺達はどうすると良いんだ?」
「派手な氷の呪文を戦士階級の
「「はい!」」
イングラスの指揮のもと、エリアスとミーナ、二人の声が唱和する。
「それでは、作戦を始めましょう」
「「はい!」」
そして今度こそ、集落への隠密行が始まった。
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