第7話 妖精
そしてこの地、ファルド帝国に属する『魔女の大森林』にも『貴族』は封じられている。真実の名はもちろん、通り名を口に出すことすら憚られる存在。その名を『シェルーゲンの妖術使い』、『森の魔女』と呼ぶ存在がある。公爵、それが彼女の爵位だ。彼女は千年とも二千年とも知らぬ眉唾物の時間を生きて来たとされる辺境に生きる妖術使いであり、魔法、特に
~ファルド帝国風土記より東部森林地方における記述より抜粋~
◇
森。日差しは明るいのだが、死の静寂が満ちている事に少年と少女は気づく。さすが野生児の勘とでも言うべきか。
苔むした大地は直ぐに針葉樹林に阻まれ、
「行こう、ミーナ」少年は少女を促し、
「ええ、エリアス」と少女、ミーナは少年──つまりエリアス──に答えた。
原生林を前にして、なめし革の服と毛皮で体を覆った二人はお互いの顔を見る。一路"帝国"を目指す年の頃十二、三の二人の旅は、まだ始まったばかりだと言えよう。
◇
森の中を歩くにつれて、上気する体は汗も滲んで不快なものとなってくる。エリアスとミーナはその薄闇の中へ、深く深く入り込んで行く。雪の白に覆われた森は、時に大きな石や盛り上がった木の根など、二人が転ぶのを待ち構えているかのような錯覚すら起こさせる悪路だ。だが彼ら二人は荷物へ背負い、黙々と歩き続ける。そしてその端々でエリアスがナイフを用い、大樹の幹に傷を付けて行く。
獣道などはとうに無くなっており、二人は道無き道をただ真っ直ぐに歩いたのである。
太陽が随分と西に傾いてきた頃、野営の準備を進めていた二人は、近くに突然上がった男の悲鳴を聞いた。
エリアスが何事かと疑い、腰に佩いた魔剣を抜きミーナに目配せをする。ミーナはエリアスの視線に危険な色を感じたのか、右手に嵌めた毛皮の手袋を外し、その中指に嵌めた、七色に輝く真の
二人の野生児の勘は、見つめる木々の向こう、林の奥に潜む二つの影で動く何者かの気配を知らせたのだ!
エリアスが指差す。
ミーナが
彼女の作り出した光は煌々と辺りを照らし出した。
エリアスとミーナ、二人は目撃する。
『
一方で、その場に取り残された
そんな
「お兄さん、助けが必要?」
ミーナは倒れた男へと慎重に近づきながら『帝国北東地方蛮族語』で話しかけてみるが、言葉が通じている様子は無かった。
続けてエリアスも魔剣と
またダメか、とエリアスが諦めかけたその時、
「助けてください」と、まさに行きも絶え絶えの、こちらも訛りの酷い『交易共通語』が返って来た。
「ミーナ、癒してあげて」
「うん」
「
ミーナが
途端、ミーナの右拳が光り輝き出す。ミーナが
「今の人型はなんだ? 人間には見えなかったけれど」
尋ねるエリアスに、深い青、優しげな目をした
「今のを見たのかいボク。それなら話は早い。あれは
「俺とミーナは誇り高きノルドの戦士だ。子ども扱いしないでくれないか」
「ああ、これは申し訳ない。無礼を働いたね。ええと……」
イングラスの視線が宙を泳ぐ。
「俺の名はエリアス。偉大なるノルド、リクハルドの息子、
エリアスは鼻息荒く言い切った。
「謝罪します、戦士エリアス。私は人間の年齢と言うものを外見から判断できるほど年を重ねていないのです。確かに私の落ち度でした」と、
「どうか許して下さい。私は見ての通りの
「森の守り
ミーナが口を挟む。
「ここ『魔女の大森林』には守護者たる
「「『魔女の大森林』に住む『森の魔女』!?」」
エリアスとミーナはお互いを見据えて、どちらからとも言わず助けを求めるように震え上がる。
恐怖の証拠に二人の顔は一瞬で蒼白になった。きっと今、毛皮に覆われている肌は青白くなっていることだろう。遠き迷信だった恐るべき地に今、自分たちは踏み込んでいるのだ。
「そうですとも。『シェルーゲンの妖術使い』として名高い女辺境公です。彼女は己の長い生に
疑問は残る。森の守り
「でも、どうしてあなたが襲われたんだ?」と、エリアスはイングラスに尋ねる。
「それはアレだ、私にも良くわからないのです」イングラスは右手の人差し指をおでこに当てつつ、
「ただその『森の魔女』の噂を聞いたことはありますか? エリアス、それにミーナ嬢でしたか」と、二人を交互に見る。
「私は詳しいことは何も知らない。ただ、とても怖い存在だと。幼い時に母が『悪い子は森の魔女に連れて行ってもらうよ!』と言っていたのは覚えてる」
「ミーナも同じか。俺もだよ」
「そうなのですか。かの魔女の悪名が、遥かノルドの地にまで届いていたとは驚きです」
イングラスは大仰に首を左右に振った。
「で、イングラスさん。『森の魔女』の話はわかったから、俺の質問に答えて欲しいな。その魔女の作った
そんな
「たまたまです。私が近くで弓を引くいたときの話になります」イングラスは遠い目で、
「偶然、本当に偶然に獲物を射た場所近くに森の守り手がいたのです。この私ともあろうものが、まさか気付かないとは。情けない事です」などと自嘲してみせる。
「それは大変だったな」
と、ミーナがエリアスの傍へ寄り、
「(この人に森の道案内をして貰いましょうよ)」と耳打ちする。
エリアスはミーナの助言を確かに良い案だと思った。
「イングラスさん、傷の手あてのお礼を要求している訳じゃないけれど、俺達の頼みを聞いてもらえないかな?」
そう口にするエリアスの声は、若干柔らかいものとなっていた。
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