第6話 蜥蜴

氷結海に生息する竜種にも数多の種類が確認されている。蛇のように海中を自在に動き、氷を割って氷上に顔を出す大海蛇シーサーペント、大空を翔け、地上を這う動物を狩る翼竜たちといった動物そのものの竜から、高い知性を誇り、氷の息を吐く絶望的な魔竜たる白竜ホワイトドラゴンまで、様々な種類の竜がいる。氷上という事もあり、餌は非常に少ない。故に、彼らは常に胃袋を満たす対象を探しているため、彼らとの遭遇は不幸なものとなる事が多いだろう。ここ氷結海の竜もまた、我々、死すべき種族にとって脅威となっているのだ。脅威と言えば、彼ら竜族を神と崇める蜥蜴人リザードマンも我々にとって脅威である。例外として、帝国東部森林地方に生息する蜥蜴人リザードマンは森の守りフォレスト・ガーディアンという石人形パペットを神と奉じているようだ。彼らの生態は良くわかっていない。沼地に生息し、魚などの海産物を主食とするが、元来は雑食性で肉食もすると言う。彼らは族長を中心にまとまって部族社会を形成しているらしい。また、蜥蜴人リザードマンは死ぬまで成長を続け、年を重ねるごとに肥大化し、最後には自重を支えなくなり、己の重さで動けなくなって死を迎えると言う言い伝えもあるが、事の真偽は謎のままである。しかしながら近年、死すべき種族に友好的な蜥蜴人リザードマンの部族も見出された。彼らとの友好関係が続くならば、こういった伝説や風聞の類は全て取り払われて、正確な情報に当たる事も可能となるであろう。


 ~ファルド帝国風土記より氷結海における竜に関する記述より抜粋~


「見てエリアス!」


 ミーナが叫ぶ。

 叫ぶ必要など無い。エリアスにも見える。


「緑! 森がある! 私たち、氷の海を渡りきったのよ!」

「うん。緑……あれは森の緑だね。ここまで来れたのも全部ミーナのおかげだよ」


 ミーナのほっぺが紅くなる。


「え、ええと……」


 ミーナはそんなエリアスを前に、両手の人差し指を突き合わせモジモジと。


「うん、それよりもミーナ」


 エリアスは剣を抜く。

 獲物の予感か、鞘から抜かれた魔剣が紫色の気に包まれた。

 エリアスは野生の勘で気付く。森の香りのする風が、急に泥臭い匂いを混ぜたのだ。

 見れば、ミーナもそれを感じ取っていたらしい。

 緩んでいた顔が一瞬で引き締まっていた。

 エリアスとミーナは目を凝らす。

 雪原に緑が混じる。

 この先にあるであろう森のそれとは違う緑の色艶いろつや

 そう。蜥蜴とかげが二本足で歩いている。見間違いでなければ、亜人あじんだ。

 雪原とは違う輝き。

 彼らの鱗が太陽の光を反射して輝いているのだろう。

 どうやらエリアスがミーナをからかって遊ぶ暇は与えられないようだった。


蜥蜴とかげ……蜥蜴が歩いている」

「彼らは蜥蜴人リザードマンだよ、ミーナ」


 ミーナの指摘にエリアスがすかさず突っ込む。


「あ、エリアスってば、また私の知らないこと知ってる」

「だからこれは俺じゃなくて英雄ヴァルトの知っていた事で……って、この荷物、逃げるわけにもいかないか」

「戦うの?」

「見逃しては……くれないよな」


 話に夢中になりすぎた。

 十二体ほどの蜥蜴人リザードマンの一団が、二人目掛けて走り寄ってくる。

 その姿はどんどん大きくなって。


「やっぱり! あいつらには俺達がご馳走ちそうに見えるんだ!」

「そんな!」

「俺達が二人しかいないものだから、勝てると思い込んでいるんだよ!」

「思い込んでいる、じゃなくて必ず勝つ自信があるんじゃないの!?」


 蜥蜴人リザードマンは盾と棍棒を手にしている。

 彼らは盾をその棍棒で叩き、二人を威嚇しているように見えた。

 そうこうしている間にも、二人は距離を詰められて。

 何もかもが遅かった。蜥蜴人リザードマンが棍棒を振りかぶる。


「ミーナ!」

ユマラ様、力をお貸しください!」


 ミーナの呼んだ火のファイヤーボールは、先頭の蜥蜴人リザードマンに吸い込まれ大爆発を起こし、四体ほどが吹き飛んだ。

 蜥蜴人リザードマンは仲間を倒されたというのに動揺するでもなく突っ込んでくる。

 盾を前面に出だして襲い掛かってくる蜥蜴人リザードマン

 エリアスは盾を目掛けて重い魔剣を振り下ろす。

 盾が割れ、その蜥蜴人リザードマンの頭を傷つけた。


「ミーナ、俺の後ろに!」

「うん。ユマラ様……」


 エリアスの後ろに隠れたミーナがユマラの力を再び使おうとしている。


「私にファイヤーボールを!」


 ミーナの祈りが終わると、包囲しようと二手に分かれていた蜥蜴人リザードマンの一団が爆炎に呑まれて倒れ付す。


「ごめんなさいエリアス! 敵はまだ残ってる!」

「もっと早く決断していれば!」


 エリアスはミーナに助けられるが、口惜しさで我慢ならない。

 そして反省する。

 最初からミーナの助言に従って英雄ヴァルトの力を借りていれば良かったのではないかと。


 ミーナの側面に頭目らしき金属製の剣を持った蜥蜴人リザードマンが躍り出る。

 ミーナはたまらず悲鳴を上げる。エリアスは彼女を庇って滑り込む。

 エリアスの肩を強かに殴ると、その蜥蜴人リザードマンは吼えた。


『剣を捨て、後ろの魔法使いに呪文を止めさせろ』枯れ木の肌を擦り合わせたような、かすれた声だ。


 何を言っているのかわからない。全くもって、わからない。

 ただ、ろくでもないことだと予想はついた。

 エリアスは痛む肩を他所に、頭目と睨みあう。そしてそれは直ぐに剣と棍棒の殴り合いに変わった。


 頭目と剣戟を繰り返すこと数合、エリアスと蜥蜴人リザードマンの頭目は、なおも向かい合ったままである。

 エリアスが剣を上段に構える。と、剣の柄へとミーナに巻いてもらった飾り紐が揺れる。

 それは実にゆっくりと揺れていた。

 兎だ。それは兎。

 エリアスは飾り紐の姿をくっきりと焼き付けると、彼の心は穏やかに冷静さを取り戻し、思考はある一点に収束してゆく。


「そうだよな」と、エリアスは呟く。そして嗤う。嗤い出す。「あは、あはは」と。


「なんだ人間ヒューマン!?」


 エリアスの狂態に、彼らの祖霊が頭目に何事か囁いたのか、頭目は一歩下がる。


英雄ヴァルトよ、俺に力を!」とエリアスは英雄ヴァルトに助力を請う。


 途端、エリアスが頭目の盾を蹴り飛ばし、崩れた体に軽くなった魔剣を打ち込む。次の瞬間には剣を抜く。


「最初からあいつの力を使っておけば良かったんだ」頭目は赤い血を撒き散らして倒れた。


 殴りかかってきた蜥蜴人リザードマンの一撃をかわし、


「そして少しづつ、俺はあいつの英雄ヴァルトのマネをして」


 がら空きになった背中に魔剣を叩き込む。別の蜥蜴人リザードマンが隙を見せたエリアスに殴りかかるも、


「そしてあいつと俺の力が重なったとき、いや、俺の技と力があいつにまさったとき!」英雄ヴァルトの力を得たエリアスにはかなわない。

 かえす刃で棍棒ごと切り伏せる。


「俺は最強のノルドになれる!!」


 残りの蜥蜴人リザードマンは劣勢と見るや背中を見せ逃走に入っていた。


英雄ヴァルトよ、俺の魂の師よ! 勝利をお前に捧げよう。だからこれからも俺達にその力を貸してくれ! さもないとお前の悪い噂を後世まで語り継ぐぞ!!」


 エリアスは空へ吼える。勝どきを上げたのだ。

 ミーナはそんなエリアスを誇らしげに見詰めた。


「ミーナ、ありがとう」

「ううん、もうちょっと早く火球ファイアボールを使っておけばこんなに苦労しなくても良かったと思うの」


 ミーナはまた自分の人差し指の先端同士をくっつけたり離したりし始めた。


「いや、ミーナのおかげだよ。ミーナが思い出させてくれたんだ」


 エリアスは鞘から剣を抜き、その柄に結ばれた飾り紐に目を落とす。


「俺、正直言って怖かった。英雄ヴァルトの力を使って戦うとき、自分が自分でない、別の存在のような気がしてさ?」

「そうなんだ?」


 そう問い返すミーナは本気で思ってくれているようで。


「ああ。でもミーナが作ってくれた飾り紐が俺にミーナの言葉を思い出させてくれた」

「うん」


 ミーナが嬉しそうに頷く。


英雄ヴァルトに頼るんじゃない。英雄ヴァルトは俺のために一緒に戦ってくれてるんだ、って。仲間なんだって。俺が英雄ヴァルトの力を素直に受け入れないから、今まで十分な力を発揮できなかったんだと思うんだ」

「うん、エリアスはもっと私や英雄ヴァルト様を信じて良いと思うの」


 ミーナの視線は真剣だ。


「だから俺、そんな怖がりの自分のためにも強くなるよ」

「え?」


 ミーナが問い返す。エリアスは決意を繰り返した。


「強くなって、俺が本当にこの剣に相応しいあるじだって事を英雄ヴァルトに認めてもらうんだ。そして、いつの日か俺は英雄ヴァルトを超えてみせる。だから今日は、ありがとう。それが言いたかったんだ」


 風が流れる。雪が蜥蜴人リザードマンの盗賊たちの屍骸を覆ってゆく。

 エリアスとミーナは彼らから盾と路銀を頂戴し、そっと目を閉じさせ供養とした。


 ◇


「ミーナ、持って行く物はこれだけで良いか?」

「うん、ほとんど捨てなきゃいけないけど……運べないもの」


 苔と針葉樹の生い茂った密林を横目にソリから荷物を運び出す。荷物は食料と水を優先し、持てるだけ持った。持って行く物は食料を優先した結果だ。


「森を抜けよう。木の幹に傷をつけるから、それを目印に南へ向かおうか」

「うん。エリアス信じてる」

「ああ、任せろ」


 ミーナはエリアスに微笑んで見せる。

 エリアスもまた、微笑み返す。


 木々の香りが強くなる。緑の大地と針のような葉を持つ木々が二人を迎えてくれた。

 そうして、どちらからともなく始めの一歩を踏みだし二人は黒い森の中に消える。

 "帝国"。彼らはそこを目指してただ進む。

 そこに光があると信じて。

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