DAY3 慣れ
僕は彼女の名前を知らない。
これだけ時間を共にしているのだから苗字すら知らないというのはあり得ない話なのだが、実際にあり得ているのでなんとも言えない。
「なあ、僕とお前は幼馴染だよな?」
彼女は考え事でもしているのか、背もたれ肘置き付きの大きめの椅子に座り頰ずえをついていた。よく見る彼女の姿である。
「そうだね。確かに長い付き合いだ。それがどうかしたのかい?」
どこか上の空な感じはあるのだが話を聞いていて返してくれるのならば問題はないだろう。
「そう、僕たちは長い付き合いなんだ。なのに僕はお前の名前を知らない。」
少し言いづらかったが今日は彼女に聞いてみようと思っていたので思い切って聞いてみたのだ。
「僕は名前というものにそこまでの重要性の感じていないからね。」
独特な思想だ、そう思うと同時にそういう人もいるのではないか、とも思えた。しかし、僕はこんなところでは引き下がらない。
「でも、呼ぶ時に困るだろ?」
正直、困ったことなんて一度もないので苦し紛れの言い訳といったところだが。
「“君”でも、“お前”でも、好きに呼んでもらって構わないよ。僕が僕自身が呼ばれてると認識できればね。それに僕だって君の名前を知らないよ。知ろうと思っていないからね。それとも君は僕に“〇〇君”というふうに呼んで欲しいのかい?」
僕は彼女の透き通るような、少し高い声で僕の名前が呼ばれるのを想像してみる。ううむ、是非とも呼んで欲しい。まあ、そんなこと言えるわけないし悟られたくもない。しかし、彼女は僕のこの思考まで読んでの発言だったのかもしれない。どちらにせよ、これ以上粘るわけにもいかなくなったしまった。
「まあ、今まで通りがいいのかもしれないな。」
彼女は、その通り、とでも言いたい顔でこう言った。
「結局のところ慣れた呼び方が一番なのさ。リモートコントローラーでエアーコンディショナーの電源を入れる、なんて言わないだろう?」
結論から言おう。
僕は、彼女の名前(勿論本名)を知ることで僕の知識欲を満たす、というミッションに失敗したのだった。あの後、30分程、せめて彼女の“名前”に対する意識を変えるべく議論(とも行かないような談笑)をしたが、(そもそも彼女と対等に語り合える相手なんて思いつかないが)結局彼女の名前を知ることも意識改革を成功させることもできなかった。
「僕の名前なんて知ったところでどうするんだい?」
という彼女の言葉に僕の知識欲は撃墜されてしまったのだった。しかし、このままというわけにもいかないだろうからまた今度、いつか機会があれば再挑戦してみようと思う。
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