第23話 最後の生贄
「100年に一度、娘の魂は海の神に捧げられる。人は皆、生まれながらにして罪を背負い、神の裁きを受け続ける運命にある。村は呪われている。この世の全ての罪を背負った、たった一人の人間が、犠牲となって平穏をもたらす。人間の何と弱いことか。弱き短き魂よ」
窓際に座っているフユの姿は、いつもよりも大人っぽく、どこかおどろおどろしい雰囲気があった。
「どうして来たの」
フユは顔を逸らしたまま、冷たくそう言った。側には羽織っていた着物が乱雑に置かれている。
「連れ戻しに来た。大切な、友だちだから」
「そっか…それは良かった」
フユは優しく微笑んだ。そして、髪飾りを取って投げ捨てた。長い髪がはらはらと膝に落ちてゆく。その左腕には、いつも肌身離さず身につけている石の飾りは無く、小さな切り傷と跡だけがあった。
「…本当に?」
屋敷が再び揺れ始めた。天井からぽたりと海水が落ちて、畳を濡らしている。
フユは小さく首を振った。そしてまた顔を逸らした。彼女はいつもこうして、自分の心の内を隠し続けていたんだろうか。周りの人からも、自分自身からも。
「教えない。あんたはまだ、子供だから、ね」
「…行こう。ここはもう、消えて無くなる。神様も、生贄も。もう終わってしまったから」
「そんな…残念」
フユは名残惜しそうに窓を見ながら、いつものトーンでそう言った。ナギサが何かを言おうとしたが、遮るように微笑みかける。子供だから、そう言ったが、きっとフユは誰にも心を開いてはいない。ナギサは複雑な顔で、手を差し出した。
鏡の部屋にたどり着くと、ナギサは天井から吊り下がった無数の帯や着物をかき分けた。そして、鏡を見つけると、それを手でなぞった。
「ここを潜って帰ってきたんだ。助けてくれた神様にお礼を言ってくるから、先に行ってて」
フユの手を取って、鏡の前へ連れてゆく。フユは暗い表情で、ナギサの手をそっと振り払った。
「どうしたの?」
「受け取れない。これはあんたの…あんたとナツミのものだ。行きなさい。」
「そんな…!このままだと、今度こそ死ぬんだぞ」
「はなからそのつもりだったの。私には、長すぎる人生だった。」
屋敷が大きく揺れる。ナギサは、フユの手を掴み、鏡の前へ連れて行った。
「…フユ姐」
「なに?」
「…孤児だった俺たちを、一番最初に受け入れてくれて、ありがとう。それに、姉ちゃんが死んでからも、ずっと諦めずに励ましてくれた。俺が取り残されないように、村のことをよく話してくれた。なのに、俺は何も出来なかった。ごめん。でも、おかげで乗り越えられた。みんなと話が出来て、嬉しかった。フユ姐がいたから、生きたいと思えた。」
「なにそれ、プロポーズみたい」
「別にそう言うんじゃない。そんなことしたらハルキに怒られるし」
「えっ」
「とにかく。ありがとう、フユ姐。どうか、幸せになって。さようなら、大切な人」
そう言ってナギサは、フユの肩を強く押した。驚いた顔のフユが後ろに倒れ、鏡に吸い込まれてゆく。
ナギサはふぅ、と息を吐き、その場に座り込んだ。途端に寂しさが心を覆いつくしたが、誤魔化すように頬を叩く。これは使命なのだと、自分に言い聞かせる。それでも何故か、視界がじんわりと滲み始めるのであった。
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