第21話 祈りと儀式
朝、薄暗いうちから浜辺の砂を踏む。静かな波の音と、少し冷たい、洗いたてのような植物と潮の香り。ナギサは砂浜に腰掛け、ぼーっとしていた。小雨がパラパラと身体をつついてくるが、それもまた心地よい。
「夜は色んな家の、夕飯の匂いとか、焚き火の煙でいっぱいなのに、朝はまるですべてが洗い流されたみたい。一体いつ、リセットされるんだろうね。」
後ろからフユがやってきて、ナギサの隣にそっと座った。
「夜更かしして、試してみたら」
「うーん。気が向いたら、ね」
フユは海岸へ歩いてゆく。水平線から顔を出し始めた朝日が逆光となって、フユの顔を隠した。
「楽しみだなあ。この儀式が終わったら、村長の仕事教えてもらえるんだってさ。こんなのが、みんなに頼られるようになるのか…できるかな」
「頼もしいよ。フユ姐は優しいし」
「本当に?じゃあ、頑張るしかない、か。…あのさ」
「どうしたの?」
「もし、ナギサの話が本当なら…いや、やっぱなんでもない」
フユの足元に、波が打ち寄せ、白い泡となって海へ戻ってゆく。ばらばらと砂をこする音に夢中になり、フユは波と踊るように足を動かした。その微笑ましく、美しく、そして儚い姿を、ナギサは静かに見ていた。
…
夜になり、港には人が集まっていた。赤い着物に身を包み、かがり火に照らされたフユの横顔は、凛として海の方を向いている。楽器の音とともに、一歩一歩、歩みを進める姿を、村人たちは静かに見守っていた。
「ナギサ、来てたの」
リコが背後からそっと声をかけた。その右腕には、ハルキを強引に引きずっている。
「やめろリコ、暑苦しい」
「はいはい。…フユ姐、綺麗だね」
ハルキが反応に困っているのを見て、リコはにやにやした。それと同時に、不安そうな顔をしているナギサが目に入った。
「100年の呪い、この村に伝わる都市伝説。100年ごとに、この村は大きな災害に見舞われてきた。疫病、旱魃、飢饉、戦争、嵐…毎回沢山の村人が犠牲になり、一度起こると完全に復興するまで何年もかかる。ある時代の人々は、その年が近づくと、村で一番美しい女性を生贄に捧げた。神様の怒りを鎮めるために。この村は、海の命を頂いて生きているから、その代償なんだと…」
楽器の音と波の音が混ざり合い、ナギサの頭の中に響いた。リコの話が遠くに聞こえる。心が、ざわざわする。
「もちろん、みんな馬鹿馬鹿しいと思ってる。だから、これはただのパフォーマンス。収穫祭と同じ、みんなの働きを労い、復興を願うための儀式。せっかくだし、楽しもうよ」
大きなかがり火が、空へ火の粉を飛ばしている。3人は堤防に腰掛け、儀式を遠くで眺めながら、蒸して貰った芋を食べた。その温かさが心地よく、冬の訪れを近くに感じる。
「ナギサ、聞いてよ〜。ハルキ、昨日のことで親にめっちゃ叱られたんだって。で、家出して1日中ふらふらしてんの」
「え、俺のせいで、ごめん。2人とも」
「…別にお前のせえじゃねえし。親が過保護なだけなんだよ。ちっ」
「私は大丈夫。お母さん、弟のことで手一杯で、出かけてることすら知らなかったし」
リコがけらけらと笑った。不思議だ。こうして、3人で並んで話すことなんて、今まで一度も無かった。
「ナギサは、将来どうするか決めてんのか?」
「…うん。旅に出ようかなって、思ってる」
「へぇ、いいなあ。私もついて行きたい!」
将来なんて、一生無いと思ってた。このままずっと、何もできない毎日を送ると思っていた。
「俺泳げないから、漁師にはなれないし。それに、機械のこととか、色々勉強してみたいんだ。ハルキは、漁師?」
「まあな。親父が後を継げってうるさいんだけど、俺はソウヘイさんみてえな漁師になるつもりだ」
「きっとなれるよ。リコは?」
「私は…」
それはまるでコマ送りのように、ゆっくりと見えた。リコの後ろ、港の先に立っていた赤い服に、黒い波の塊が襲いかかり、そのまま真っ暗な海へと攫っていった。
「え…!」
同時にリコが振り返り、村中に衝撃が走った。
大人たちが海に飛び込んだり、網を投げたりしてフユを助けようと大騒ぎしている。
「フユ姐!」
ハルキが港へ走ってゆくのを、リコが追いかける。この一連の出来事が、ナギサの心臓を一差しに貫いた。今までのフユと過ごした光景が目まぐるしく頭を駆け巡る。そして、姉を海で失ったあの日のことを、思い出す。
ナギサは膝から崩れ落ち、頭を抱えた。どうしよう。どうしよう。どうして止めなかったんだ。100年の呪いは本物だ。神様たちが生贄として、フユ姐を連れていった。もっとちゃんと説明していたら、もっと近くで見守っていたら、もっと…
「ここは海の社。海で溺れた人間は、神々の宿る海の社で肉体と切り離されて死ぬ。」
コハルの話を思い出す。海の社。精霊と神々の宴。この世とあの世を繋ぐ石。フユ姐は、海の社へ攫われた。
ナギサは立ち上がり、おばけ灯台の跡地へと向かった。息をするのも忘れ、必死に足を前へ動かす。背中が酷く熱い。包帯の脚で無理やり走っているので、今にも脚がもげそうだ。村の明かりが段々と点になってゆくのを背に、山道を必死に駆け上がる。
おばけ灯台の残骸は、無造作に積み重なっていた。月明かりで目が慣れている。ナギサは膝をついて、からくりの残骸を手で掘った。
「あった…!」
月に青く照らされた石。からくりに嵌めた石だ。この村の人間はこれをお守りに持っているが、実際にこれはきっと社、あの世との繋がりを導いてくれる。
ナギサは胸に押し抱き、崖の縁に立った。遥か下には波が強く打ち付けている。深呼吸をし、目を閉じる。
「コハル…フユ姐を…助けてくれ」
身体を前に傾け、足を地面から離す。ナギサは祈るように、崖から飛び降りた。
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