第19話 灯台守の願い

 背中を押された。


 ナギサは足を引きずりながら、階段を登った。汗が擦り傷に滲んで痛い。階段は今にも崩れそうで、一歩一歩が思わず重くなってしまう。早く頂上へ行かなければいけないのに、もどかしい。普段から運動をきちんとしておけば、こんなにひどい怪我にならずに済んだし、階段も易々と登っていけただろうに。引きこもりの生活を今更になって強く恨む。


「…ったく。とろいんだよ。」


 ハルキが駆け上がってきて、ナギサの肩の下から腕をくぐらせた。反対の手は乱雑に道具箱をふんだくった。ハルキの横顔は、ナギサに「何も言うな」と語りかけるような気だるさを帯びている。


「ふ、2人とも、慎重にね!」


 フユの応援を浴びながら、2人は一人分しかない細い螺旋階段を登ってゆく。

 頂上につき、息を切らしたナギサの背中を叩きながら、ハルキが窓にかかっていた布を外した。水滴を残す間もなく、ばたばたと雨水が叩きつけている。窓は美しい鉄格子が張り巡らされ、迫力のある大きなレンズはこれまた規則的で素晴らしい形をしている。

 小さな梯子を降りると、そこは機械室になったあた。暗闇に目が慣れているせいか、からくりの詳細は肉眼で確認できる。金属でもなく、木材でもなく、不思議な素材でできたそれは、まるで子供のおもちゃのような、美しい装飾の上に広がっている。こんな装飾、設計図には書いて無かった。

 ナギサはおそるおそるそれに触れ、灯台を作動するハンドルを回した。当然ながら、それは虚しく空回りした。ハンドルは壊れた時計の針のように、5時と7時をぶらぶらと行き来している。しかし、からくり自体の損傷は思ったよりも少ないように見えた。今までも誰かが直そうとしたのだろう。いくつかの近代的な部品によってでたらめに改造されている。


「どうだ?」


「まずは余計な部品をどけないと」


 工具箱を開ける。不快な音と共に、じんわりと湿った中身を取り出した。軍用品だろうか。ここら辺では中々見られない工具ばかりだ。


「釘が曲がって、上手く取れない」


「貸せ」


 ナギサからバールを取り上げ、力づくで部品を引き剥がすハルキに冷や冷やしながらも、その背中はとても頼もしかった。


「本当に、動くのかよ。こんなのが。」


「仕組みがわかるなら動かすのも同じだよ。」


 多分、と付け加えたいところだが、ハルキをまた怒らせたら今度は無理やり引きずり下ろされるに違いない。

 ハルキはタバコを吸い始めた。さしずめ軍人から貰ったものだろう。その姿がソウヘイと重なり、思わず視界が潤むのを堪えながら、からくりに集中した。

 朽ちた部品は工具を代わりに噛ませ、窓にかかっていた布を細かく破いて結んで固定した。


「肝心の光は?停電してんのにどうやって光らすんだよ」


「電気は使わない。灯油が燃料になってるから。でも」


 梯子を上り、レンズの中身を除く。ここの劣化は思っていたよりひどい。中のランプは使えないだろう。それに、灯油なんてものは残っていないし持っていないので、光源の修理は不可能だ。髪をくしゃくしゃに掻きながら悩むナギサの様子を見て、ハルキは呆れたようにため息をついた。


「本当かどうか知らねえけど、こんな話を聞いたことがある。お前、なんでこの灯台がおばけ灯台なんて呼ばれるようになったと思う?」


「それは…廃れて不気味だからじゃないのか?」


「実は、違う。この灯台を動かすための手順に、ここを作った人の願いが込められているらしい。そいつはとうの昔に死んでるけど、その魂は機械に眠っている。灯台守たちはその願いを受け継いで、自らもまた、まるで呪われたように、一生ここを守り続ける。気味悪いだろ。たかが灯台に。」


「灯台を、作ったひとの想い…」


 ハルキにランタンを借り、からくりの装飾を照らす。これはなにかを意味しているのだろうか。今の風景とは少し異なるが、この村の絵のようにも見える。そして、無数の窪み。これはよくわからない。

 借りたランタンを、レンズの中に置いてみた。あとは中央の軸を動かせば、光は何倍にもなって海原を照らすだろう。

 ナギサはハンドルを、今一度回した。今度は手応えがあったが、灯台は静かなままだ。動いた箇所を指でなぞってゆく。


「おかしいな。全部動いたのに」


 作り手の想い…この灯台を作ったのは、設計図を持っていた、コハルに違いない。

 海でいのちを落とした人間は、海の社へ行く。俺は海で死んだわけではないのに。コハルはなぜ邪神になった?あの姿、着物の柄は?そもそもなぜ俺を助けた?100年目の呪いと関係があるのか?コハルの犯した罪は?死に方が自然に背いていた?自ら命を絶ったのか…?

 色々な考えが頭を回し、段々と目眩がしてきた。ナギサは深呼吸をして、窓の外を眺めた。顔に滲んだ汗がじわじわと、顔の熱を奪ってゆく。


「おい、どうした?ここにきて諦めたとか言ったら、ぶっころ」


「ここが…海の社だった…?」


 ナギサはつぶやいて、ハッとした。コハルは海の社を取り壊して、灯台を作った。なぜ?生贄の風習を無くすためだ。誰の命も奪わない海を…灯台の、コハルの願い。


「海の社…この世とあの世をつなぐ…石」


「さっきからなに独り言言ってんだ?」


 ナギサはポケットから石を取り出し、装飾の中にある灯台の崖の窪みにそれを嵌めた。そして、祈るような気持ちでハンドルを思い切り回した。

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