第18話 ナギサの決意

 ある日、突然のことだった。

 あの日のことは鮮明に覚えている。


 2人は早朝に海辺を散歩していた。私はその姿を、畑の手伝いをしながら見ていた。早く作業を終わらせて、2人と遊ぼう、と思っていた。

 とても風が強い日だった。ナツミの帽子が飛ばされたのをナギサがキャッチしようとして、船着場から海へ落ちた。大人たちが悲鳴をあげ、駆けつけようとしたその時、ナツミが飛び込んだ。それからは、村中大騒ぎだったのを覚えている。大人たちが2人を掬い上げた頃にはナツミはもう息をしていなかった。

 あれから、ナギサはずっと地獄のような日々を過ごしている。年頃になっても何もしないナギサを、次第にみんな責めるようになった。


 ナギサは無気力なんかじゃない。彼の心の内はもっと深刻だ。

 あれからずっと、何年も何年も、前を向こうと努力しているのを見てきた。新しいことを始めようとしたり、前みたいにまた何かに夢中になろうとしたり、現実と正面から向き合って受け入れようとしていた。でも、必死に何かを掴もうとしても、まるで水のように全てが虚しく彼の手を通りすぎていく。ナギサの時間は、姉の死で止まったままだ。

 そんなナギサの姿はもう見ていられない。これ以上、彼を追い詰めないで欲しい。また、幸せなナギサと笑い合いたい。私のわがままかもしれない。それでも、ナツミと過ごした日々で感じた幸せが、当たり前にあるべきなんだって、わかって欲しい。


「…ここまで探しに来てくれて、ありがとう。でも、ごめんなさい。」


 シャベルを杖代わりに、足を引き摺って家を出た。上半身がずきずきと痛む。ぬかるんだ泥道に包帯が滲み、すぐに足元から全身が冷たくなった。雨風に身体を揺さぶられながら、おばけ灯台への山道を登ってゆく。


 灯台の錆びついたドアをこじ開けると、そこにナギサが倒れていた。


「ナギサ!」


 ナギサはうめき声をあげて起きあがった。ふらふらとおぼつかない身体を受け止めて、フユは顔を覗き込んだ。


「怪我したの?ごめんね、一人で行かせてしまって。」


「灯台を…なおさないと…!」


 ナギサの目は今までにない焦燥を映し出している。先程までの冷静なナギサとは別人だ。服はボロボロで、あざだらけで、いたるところが真っ赤にはれている。


「だめ!危険よ。階段が崩れてる」


「でも、こうするしか…」


「フユ姐の言う通りだ。お前には何もできっこない」


 ハルキとリコが追いかけてきていたようだ。ハルキは腕を組んで呆れていた。


「危ねえことせずに、ソウヘイさんたちの無事を祈ってることだな。漁船のことは、大人たちに任せればいい。」


「そいつらに何ができるんだ?俺なら灯台をなおせる。この灯台の仕組みがわかったんだ。」


「どうやって?設計図でも見つけたの?」


「馬鹿言え、リコ。ここの灯台守はただの灯台とは勝手が違えんだ。代替わりで、教え継がれた人間にしか動かせねえ。こんなポンコツにどうにかできるもんじゃねえんだよ。ほら、帰るぞ」


「詳しいことは今度話すから。ほっといてくれ」


「だめだ!」


 ハルキは立ち去ろうとするナギサの胸ぐらを掴んだ。いつもなら目を瞑るナギサが、真っ直ぐとハルキの目を睨んだ。


「どうしていつも、俺に構うんだよ」


 ナギサの見たことのない姿に、フユとリコは何も言えずにいた。


「俺がいたって、いなくたって。お前には何も関係ないだろ。」


「目障りなんだよ!」


 胸を思い切り押されて、ナギサは地面に倒れ込んだ。全身がびりびりと痛み、思わず咳き込んだ。


「お前、村の奴らがどんだけ気にかけてるか、知らねえだろ。今日ここに来たのも、フユ姐を探すついでに、ナギサを避難させて来いって言われたからだ。お前は余所者じゃない…とうの昔にみんな家族だと思ってる。そんな奴らの気持ちを踏み躙って楽しいか?沢山失ってきたお前ならわかると思ってた。いいか、ナギサ。俺はお前が嫌いだし、死んでもいいと思ってる。なんでお前みたいなデクの棒を、食わせてやってるのか理解できない。でもな、村の人間は誰一人として、支えてきたお礼に命を捧げろなんて思っちゃいねえ。そんな奴らを悲しませないでくれ。それは許さねえ。」


「そんなの…そんなの、知ったこっちゃねえよ!」


 ナギサの絞り出すような大きな声が、灯台の石に響き渡る。そとの大粒の雨の音が、一瞬かき消されたように感じた。


「何だと…お前」


「また、俺のせいで人が死ぬ。俺が無能だから…何もできない臆病者だから。俺が一番いらないのに、いつも取り残される。これ以上、惨めになりたくない!!邪魔をするな!!!…何もしないでまた苦しむより、死んだ方がマシだ。俺にできることはこれくらいしかない。誰がなんと言おうと、俺はじいちゃんを助ける。これは誰のためでもなく、俺の勝手なんだよ…」


 ナギサの声は段々と掠れ、聞こえなくなった。まるで、葉を落とした冬の枯れ木のようだ。地面に雨水を落としながら、項垂れている。

 そんな重い空気を破るようにリコが突然走り、壁の瓦礫から何かを引っ張り出した。


「はい。工具入れ。昔かくれんぼしたときに見つけたやつ。使えるかわかんないけど。」


 リコはナギサの手を乱暴に引っ張り起こし、錆びついた工具箱を押し付けた。


「おい、リコ!」


 ハルキの静止を背に、リコはからっとした笑顔でナギサの顔に手を当てた。


「成長したね。あんたも。いつのまにか、自分で考えて、もの言えるようになったんだ。あんたはもう臆病者なんかじゃない。自己中で結構。博打も打たなきゃ当たんない。いってきな。漁師たちを…私たちの、村を助けて。」

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