第13話 あの世の狭間

 次の日、目が覚めたナギサはぼんやりと縁側に座っていた。シキが用意してくれたお結びを頬張りながら、目の前の不思議な光景を見る。昨日より水の色が少し明るい。現世とは時間の進み方が異なると娘は言っていた。どうやら今はこの世界では昼のようだ。


「何か、できることはないか?」


 ナギサは隣の部屋で書物を読んでいる娘に呼びかけた。


「客人に働かせるわけにはいかぬ」


「客人って…勝手に来てしまったのは俺だし、それに一週間も何もしないのはつらい」


「…うむ。」


 娘は書物を閉じ、机をとんとんと叩いた。


「こやつと掃除でもしておれ。神々は休んでいるだろうが…結界からは出るな」


「むむ…畏まりました」


 娘に呼ばれ嬉々としていたシキはしぶしぶと了承し、用意してくると言って消えた。


「ありがとう…」


「そんなに呼び辛いか?」


「え?ああ…。昔、本で読んだことがある。災をもたらす神の名だろ」


 禍ツ神、災を司る神。そう呼ばれている彼女は、いったい何者なのか。


「本来神に名前など無いと言ったが、それは神々が名前に意味を見いださないからである。マガツカミなどと言う名は、人間が意味を込めてもたらした名前であろうが、この世界ではただの呼び名だ。気にするな」


「でも…」


「それに、私が邪神であることは間違いない。現に多くの人々の命を奪ってきた。禍ツ神、その名に相応しい神なのだ」


 娘の言葉に何も言えずにいると、シキが道具を持って入ってきた。シキはナギサを引っ張り、隣の部屋で質素な着物に着替えさせた。


 *


「この部屋で掃除は終わりだ。」


「ここは…」


 一頻り掃除をして回ったナギサが最後にやってきた部屋は、見覚えのある薄暗い場所だった。ナギサが娘から逃げて駆け込んだ不思議な部屋だ。


「貴様が暴れたせいで所々壊れている。引き揚げるのに濡れた所も、ほら。乾かさないと腐っちまう。ったく、現世じゃないのに融通が利かんのか」


 シキは呆れたように言った。

 部屋は不思議な構造をしている。部屋を入るとすぐに大きな階段が下に向かって伸びており、下は水が張っている。正面には一際大きな硝子窓があり、外の薄光が水をきらきらと照らしている。


「ここは、何の部屋なんだ?西洋の教会のようだが…」


「あー…まあ、祭壇のようなものさ。貴様には関係ないし、僕もよく知らん」


 シキは無表情で応え、ナギサにさっさと拭けと言うように空雑巾を押し付けた。


 掃除を終え、再び祖霊に扮したナギサはシキの案内で屋敷を少し回ることにした。社が賑やかになるのは夕方からで、明るい時間は皆休んでいるらしい。


「久しぶりだな」


「何が?」


 シキは最初出会った時のぶっきらぼうな様子とは打って変わって、ナギサに親しげに接した。年近い見た目だからだろう。


「こうして自由に言葉を話すことだ。シキは基本的に神様に付きっきりだからな。」


「シキはいつからここにいるんだ?」


 ナギサがそう訊くとシキは難しい顔で指折り数え始めた。


「…俗世だともう半世紀ほど経つなあ。」


「50年…」


「若くして死んだから、もう生前のことはあまり覚えてないさ。さて、そろそろ戻るか」

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