第12話 宴もたけなわ

 ナギサは廊下に出て、縁側の手すりにもたれかかった。

 ひんやりとした空気が心地よい。やはり人の多い場所は苦手だ。

 人気のない廊下でぼんやりと海中の景色を見ていると、不安が和らいでいくようだった。


「海中の景色は良いなぁ」


 当然背後から静寂を破られ、ナギサはびくりとした。後ろを振り向くと、ウミヘビがにたにたと笑いながらこちらを見ていた。

 神と話してはならない。娘の言葉が蘇り、ナギサはお辞儀をしてその場を去ろうとした。


「待ちなされ。そなたと話がしたいのですよ」


 ウミヘビは笑みを浮かべながら言った。しかしその目は笑っていない。


「そなたはどのようにして死んだのですか?差し支えなければ答えて頂きたい。」


 疑われているのか、わかっているのか。戸惑うナギサに追い打ちをかけるようにウミヘビは続けた。


「いやはや、とても綺麗な身体でいらっしゃるからなぁ。つい気になってしまったのさ。いったい何をもって、そなたの心臓は石ころになってしまったのか」


 ウミヘビはナギサの胸のあたりに指を伸ばした。

 まずい。生きている人間ゆえ、触れれば温かいし心臓の動きもバレてしまうかもしれない。ナギサは咄嗟に口を開いた。


「憶えてない…」


「ほう、それはまことか?」


 ナギサは俯いた。札で顔が隠れているのが幸いだ。


「…ふふ。なるほど、憶えてない…。いや、別におかしいことではないですな。失礼した。」


 ウミヘビは爽やかな笑みを浮かべてお辞儀をした。その様子にナギサは胸を撫で下ろした。


「宴は疲れますでしょう。私もあの様な騒がしいのは苦手だ。しかし仕事がないのは良いことだ」


 ナギサは海中をぼんやりと見つめているウミヘビの横顔をチラリと見て、海へと視線を戻した。魚たちが塵の様な藻の舞う中流れに惑わされながら泳いでいる。上を見上げると薄明かりがぼんやりと滲んでいた。海は静かに轟々と音を立てている。


「そなた、人間を見なかったか?」


 その質問にナギサは心臓を貫かれた。


「人間の子どもだ。美しいものだから、生贄と勘違いして逃してしまったようだ。早く身体から切り離さないと狂ってしまいますな。…さぞ美味かろうなあ。人間の少年らしい、そう、そなたの様な綺麗な…」


 ウミヘビはにたにたと笑いながらナギサの顔を覗き込んだ。言葉が出ない。まるで口が無くなってしまったようだ。轟々という音がだんだんと耳元に近づいてくる。苦しくて息ができない…


「し…知らな」


 息を吐くように声を発した途端、太鼓の音が騒がしく鳴り響いた。誰かが何かを喚いている。


「おっと、悪霊が逃げ出したみたいだ。危険だからそなたはお戻りください。シキ、禍ツ神のお部屋へお連れしろ」


 ウミヘビは面倒臭そうにナギサの肩を押すと、どこかへ行ってしまった。蛇が一匹取り残され、少女の姿となってナギサの手を無言で引っ張った。

 屋敷の中をぐるぐると走っていると、逃げ惑う祖霊や巫女、天女の姿があった。そしてそれらに襲い掛かる黒い影がとても恐ろしく思えた。


「あれが…悪霊…?」


 影は祖霊を喰い、喰われた祖霊は千切れた札の破片へと様変わりした。ナギサはぞっとして脚が動かなくなった。ただ呆然と少女の人間離れした力に引きずられながらその光景を見ていた。


「おい!に…祖霊殿!」


 廊下の向こうから少年が走ってきた。娘に仕えているシキだ。少女は勢いよく少年に向かってナギサを投げつけた。


「平気か?立て!部屋に戻るぞ!」


 少年はナギサに肩を貸すと銃剣を手に持った。兵隊の持つような物騒な武器だ。


「あの子は?」


「マガツカミ様は悪霊退治へ向かっている。あのお方はお社で一番強い力を持っていらっしゃるから大丈夫だ。」


 そう言ってシキは目の前にもの凄い速さで迫ってきた黒い影に銃剣を突き立てた。影は青く光を放って消えた。


「こやつらは分裂するタチの悪い輩だ、早く結界の中へ行くぞ。」


 *


 娘の部屋の中へ戻ると、一気に身体の力が抜けた。ゼエゼエと咳き込んでいるナギサに、少年は大丈夫か、とお茶を差し出した。


「貴様は運が悪いな。まさか悪霊が逃げ出すとは。数十年に一度あるか無いかだぞ」


「悪霊って…いったい何なんだよ…」


「生前に罪を犯した魂さ。人を殺したり盗みを働いたりすると腐るんだよ、魂ってもんは。幾ら綺麗に死んだって、無事に生命を全うしたってその魂は輪廻転生では使いもんにならない。だから悪霊は牢獄に入れられて消滅を待つ。じめじめとした暗い牢獄で何百年と。ただ時々ああやって逃げ出しちまうのさ。そのままうつし世へ逃げるやつもいる。酷いやつはああやって純粋な霊を食べて転生を望む。まあ食らったところで悲惨な結末を迎えるだけだがな」


「悲惨な…ってどうなるんだ?」


「醜い姿になって、心を失う。そうなったら最後、神々に打ち滅ぼされるのみ。可哀想だよな、心ってのは僕達死人の、最後の命だからな。…さて」


 シキは腰を上げて、隣の間に通ずる襖を開けた。


「今日はもう休め。マガツカミ様には僕がお話しておこう」

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