第10話 マガツカミ様

「魂を装え」


「魂を…装う…」


 いつの間にか部屋の中に戻ってきていた少年に強引に着替えさせられながら、ナギサは娘の言葉に首を傾げていた。


「宴に参加しろ。宴は日の入りから一週間に渡って行われる。守護霊としての仕事を終えられた魂たちが転生するために開かれる。まだ神々はお前を探しているだろうが、宴の支度でじきに収まるだろう。今のうちに私たちも支度をするぞ。そしてその宴が終わった後、魂たちが生まれ変わるために現世への門が開く。ナギサはそれを通って帰れ。」


「一週間…!それだとじいちゃんが」


「ここは精霊と神の領域だ、現世とは時を分かつ。都合は良かろう」


 娘は目の前の机をコンコン、と叩いた。着せ替えに夢中なっていた少年が手を止める。


「誰にも言うな。風呂に入れ、祖霊の召し物を着せてやれ」


「承知。お前、立てるか?」


 少年の肩を借り、ナギサは立ち上がる。身体は随分と楽になっていた。


「…ありがとう。その…」


 娘の呼び名にナギサが戸惑っていると、娘はふと笑みを浮かべた。その美しさにナギサは顔を赤らめる。


「神に名前など無い。所詮は人間の創造物、その名も人より頂いたものだ」


「神様…」


 この娘が神様なのか。不思議と親しみのある存在だ。ずっと信じてこなかったから、バチが当たるかもしれない。いや、もう当たっているだろうか。


「そのような堅苦しいやりとりは好かん」


 娘は出ていけというように手をひらひらとさせた。


 *


「僕は今から貴様の召し物を用意する。ゆっくり風呂につかって身体を温めておれ。ここもマガツカミ様の私室だから安心しろ、他の神様達は出入りできない。」


「マガツカミ様…」


 やはり奇妙な名前だ。神様の名前とはいえ、ここらでは聞いたことがない。


「あのお方は海を司る邪神だ。皆はそう呼んでいる。」


 そう言って少年は出ていった。

 ナギサは湯船に浸かった。こじんまりしているがソウヘイの家のものとは比べものにならないくらい豪華だ。壁には富士の浮世絵が描かれている。

 身の安全が保障された風呂の中で、ナギサは冷静に自分の身に起きていることを思い返した。


 海で死んだ人が集まる社、そして俺は死に切れていない身。不可解なことばかりだが、マガツカミ様という神様とあの異国の少年が俺を助けてくれた。信用して良いのだろうか?邪神と言っていた。いや、信用するしかない。現世に戻り、じいちゃんを助けるにはそうするしかないのだ。目的を遂げたあと、ここで喰われてしまうとしても。それと…


「海を司る邪神…姉さんのこと…知ってるかな…」


「何か言ったか?」


 いきなり少年が入ってきたので、ナギサは驚いて溺れそうになった。


「おわっ!…い、いや、ただの独り言だよ」


 先程の軍服とは違い、素朴な着物にたすき掛けをした姿の少年は水しぶきを怪訝な顔で払った。

 少年は無表情でナギサの頭を洗い始めた。


「…貴様は運が良い。神様達に捕まることなく、マガツカミ様にここまでしていただけるとは…貴様もしかして、灯台の村の人間だし…あのお方の子孫か?…いや、それはないな。あのお方は子を育てる年齢ではないし。」


 先程からの無愛想な態度のまま、少年はナギサの背中越しに話しかけてきた。


「あいつもあの村の人間だったのか?」


「無礼者!マガツカミ様をあいつなどと…まあ良い。ああ、その通りさ。と言っても僕も最近死んだ魂だからよく知らんが…あれほど強い邪気を持っている神様はいない。」


「そうなのか…」


「勘違いするな。あのお方は決して邪悪な者ではない。死に方が自然に背いていただけだ。悪霊でもあり、英霊でもある。だから邪神になったのだ。この社で最も恐ろしく、偉大な神様なのだよ。」 


少年は誇らしげに言った。


「ここは肉体と魂を切り離す社と聞いたが…」


「そうだ。海で死んだ人間は海の社へたどり着き、審判を受ける。大半は黄泉へ行き転生を待つか、悪い人間は悪霊となって神様達に喰われ消滅する。しかし例外はここに残る。」


「例外?」


「一つは英霊、英雄の魂だ。彼らは神になり、未練を持った魂を連れ戻したり、魂の審判を行ったり、人間の祈りを聞き入れて恩恵を与えたりする。そしてもう一つはシキ、この屋敷に使える者だ。霊魂の中から無作為に選ばれる。」


「シキ…名前じゃなかったのか。」


「ここの者に名前は存在しない。あるのは役割だけだ」


 再び無表情で答える少年に、ナギサは違和感を覚えた。


「亡くなる前の名前とか、覚えていないのか?」


「そんなものすぐに忘れてやったさ」


 少年は嘲笑するように言った。少年との会話はそこで途絶えた。少年のその言葉はとてもナギサが追究できるものでは無かった。


「これは祖霊のお召し物だ。祖霊というのは転生前の神様の霊魂のこと。綺麗だろう、この着物の糸にはあの世とこの世を繋ぐための飾り石を施してある。貴様の身に付けていたそれと同じ物だよ。」


 ナギサは少年から手渡された石とペンダントをじっと見つめた。それは不思議となつかしく、安心感があった。


「これが…あの世とこの世を繋ぐ石…このお守りは神と人間を繋ぐって、じいちゃん言ってた。」


「ああ、その通りだ。大切に持っていろ。失くしたら帰れないぞ。」


「おわっ…」


 凛々しい声の方を向くと、娘が立っていた。着物を着たナギサを見て、顎に手を当てながらうなずいた。その仕草にナギサは首を傾げた。娘は腕を2回振って手元から紙の札を取り出した。


「この面をつけろ。他の神々の前では決して声を出すな。それと、決してわたしから離れるな。」

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