第6話 おばけ灯台へ

 ナギサはいつも通りの1日を過ごそうとしたが、午後になると激しい目眩に襲われた。生まれつき身体の弱いナギサには時々あることで、ふた月に1度町で診てもらっている。

 薬も切れ、陸の孤島となってしまったこの村では為す術もない。ナギサは覚束無い足取りで自室へ上がり、ベッドに横になった。

 深呼吸をして、腕を目に当てる。全ての音がぼやけて聴こえる。ナギサは広場でのハルキ達とのやり取りを思い出した。


「お前が生贄になっちまえば良いんだ」


 もし俺じゃなくて姉ちゃんが生きていたら、そんなこと言われてないだろう。もし姉ちゃんが生きていたらじいちゃんはもっと楽できただろう。フユ姐もハルキ達ももっと楽しく子供時代を過ごせただろう。俺はあの時から前を向いているつもりでも、進み出そうとしたことは一度も無かった。きっとみんな、俺がいなくなることを望んでいるのではないだろうか。

 進もう。線路が復旧したらどこか遠い場所で人生をやり直そう。じいちゃんに何も恩返しできないのは申し訳ないが、赤の他人にこれ以上迷惑をかけるよりマシだ。

 あ、でもハルキだけは一発ぶん殴っておきたい。あいつのせいで服が一つダメになった。

 そんなことをぐるぐると考えているうちに、ナギサは眠りについてしまった。


「…え?」


 雷鳴に目が覚め、がたがたと音を立てている窓の外を見るとナギサは愕然とした。薄暗く厚い雲からざらざらと雨が降り、海は白く泡をたてて掻き乱れている。

 ナギサは窓を開けて身を乗り出した。刺さるように冷たい雨がボタボタとナギサに降りかかり、寝起きの身体を一気に覚ました。


「くそ…何やってんだ!?」


 時刻は16時ごろ。そろそろ漁師達が帰ってきてもおかしくないのに、新しい灯台が点灯していない。ナギサはカンテラを掴んで家から飛び出した。

 強風と雨に身体を煽られながら、ナギサはぐちゃぐちゃになった山道を駆け下りた。所々木が倒れている。予報でも向こう数日は嵐などありえない天気だったのに、一体どうなっているのだろうか。ナギサの脳裏に100年目の呪いのことがよぎった。しかしそんなことを考えたって仕方ない。これは現実だ、ソウヘイ達が危ない。

 走り出してすぐに、雨の音とは違う水の音が聞こえてくることに気づきナギサは足を止めた。きつい土の匂いがする。ナギサはゆっくりと歩きながら周りをランタンで照らした。


「まじか…」


 村への唯一の道が土砂で閉ざされている。ナギサはしばらく立ち止まって今起きている全ての状況に整理がつかず呆然としていたが、ここにずっといるのも危険だと判断し家に引き返すことにした。


「…!誰かいるのか?」


 倒木混じりの土砂から不自然な音が聞こえてきたのでナギサは振り向いた。そしてゆっくりとカンテラを全体に照らした。


「フユ姐…?フユ姐!大丈夫か?」


 フユが倒木と地面の間に倒れているのを見て、ナギサは慌てて駆け寄った。フユの手の先には割れたランタンが落ちていた。


「はは…すごい天気だね」


「何しに来たんだ?ちょっと待ってろ」


 ナギサはフユにのしかかっている木を押し上げた。細長い木だったのでなんとかフユが抜け出せるくらいの隙間を持ち上げることができた。


「フユ姐、歩ける?」


「何とか…ありがと。ここは危ないから、早く行こう」


 ナギサはフユに肩を貸しながら家へ戻った。辺りは暗く、足元が滑って一歩一歩がやっとだった。

 帰り道、フユは村の状況をナギサに話した。この異常気象は誰も予想しておらず、村は大混乱に見舞われていること。新しい灯台も無線も落雷で故障し、漁師達との連絡手段が無いこと。状況は絶望的である。


「で、フユ姐はどうしてあんな所に居たんだ?」


 応急処置をし、かまどで暖をとるフユのために着替えを探しながらナギサは訊いた。フユの家はナギサとは正反対の場所にあり、こちら側にはナギサの家とおばけ灯台しかないのだ。


「…ナギサが心配でね」


 だからといってこんな暗くて危険な山道をひとりで…

 あと一歩手前で死ぬ所だったフユをナギサは責めようとしたが、自分のために危険を覚悟でやってきたフユにこれ以上何も言うことができなかった。それに今は…


「じいちゃんたちが心配だ。何とかしないと…」


「きっともうすぐ帰ってくるよ。灯台さえ何とかなれば…ソウヘイさんなら…無事に帰ってこれる」


「灯台…」


 ナギサはしばらく考え事をしていたが、やがて何か覚悟を決めたようによし、と呟いた。


「どうした?」


「これ、フユ姐が着れそうなもの集めたから適当に着替えて。水はあっちにあるから身体拭いたり、汚れた服を洗ったりしていい。俺はおばけ灯台に行ってくる」


 ナギサはそう言って二階に駆け上がった。使えそうな工具と部品をかき集め、カバンに詰め込んだ。ふと机の上にあるソウヘイのペンダントと海色の石に目が止まる。まるで連れて行けと言われているようだったのでナギサはペンダントを首にかけ、石をポケットに入れた。


「フユ姐はここで待ってて、ここにあるものは自由に使ってくれ」


「待って」


「あ、無線も使う?この機械なら村のどこかには通じはずだ。無事を伝えてあげた方が…」


「いや、使い方知らないし。ナギサ、危ないからやめて」


 フユは真剣な顔でナギサの肩を掴んだ。落ち着いた声色だが、手は汗ばみ震えていた。


「おばけ灯台は何年も前に廃墟になってる。上に登る階段はボロボロだしこんな強い嵐の中だといつ崩れるかわからない。大丈夫、母さんたちがきっと何とかしてくれるよ。ナギサは朝まで待って村に避難しよう」


「それで…それで助かると俺は思えない。この嵐がいつまで続くのかもわからないのに」


 ナギサは静かにフユの目を見た。フユの額に滲んだ汗が暖炉にきらきらと照らされている。フユは複雑な顔でナギサから手を離した。


「私も…ついていくよ」


「それは…辞めた方がいい。村長の一人娘に何かあったら大変だし、それに足を捻挫してるだろ」


「…してない」


「擦り傷だらけだし」


「怪我しやすいだけだよ」


「肋骨もきっと折れてる」


「…物知りね」


「フユ姐が思うより、フユ姐は丈夫じゃない。俺は1人で行く。俺は…死んでもいい。」


 そう言ってナギサは再び家から走り出た。しかし向かうは逆方向、崖の上にそびえ立つおばけ灯台へ。

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