第5話 船出の祈り
「ナギサ、また揉めたのか?村長んとこの娘が落ち込んでたぞ」
その夜、晩ご飯を食べながらソウヘイはナギサに呑気に問いかけた。ナギサがぶっきらぼうに頷くとソウヘイは笑った。
「ははっ、若いなぁ。お前の事だから、呪いだなんだの話、信じられんのだろう」
「だって…それが本当なら、人を…殺すんだぞ。いくら村のためだとはいえ、そんなの残酷すぎる」
「ああ、そうだな。ナギサは優しいな。」
ソウヘイはにこにこと笑いながらスプーンを置き、紙巻タバコに火をつけた。
「100年目の呪い…聞こえこそ悪いがこの言い伝えに出てくる海の神はこの村の守り神だ。」
ソウヘイは首元から深い青色の石の首飾りを取り出してみせた。村人は皆身につけている灰簾石。その海のような美しい色にナギサは目を奪われた。
「…綺麗だろう?このお守りは神と人間を繋いでんだってよ。これを身につけとる限りは海の神が空から見守ってくれるのさ。だから俺たちは海の恵みを授かり生きることができる。海っつう人のいねえ大自然の中で、神に守られながら安全に漁ができる。お前はこの村の生まれじゃないから持っとらんかったな…」
「今更、いらないさ。ここまでちゃんと生きてこれてるからな」
「そうかいそうかい。まあ、安心せい。今時生贄なんざ差し出さんよ。せいぜい村長んとこが神事をするくれえだ。漁師達へのただの験担ぎさ。」
100年目の呪い、それはこの漁村に伝わる言い伝え。100年に一度、村で一番美しい人を生贄として海の神様に捧げなければ人々に災いが降りかかるというものだ。村人の持つお守りも、その神様が宿っているという。ナギサはこの村の伝統を尊重したいと思っているが、どうしても人の命に関わることには繊細にならずにはいられなかった。彼自身、幼い頃に姉を亡くしてしまったからである。
「…そういえば、今朝は何を話していたんだ?やけに慌ただしかったが…」
「それをちょうど話そうと思っとったところだ。ナギサ、俺たちは明朝からしばらく海に出る。」
「しばらくというのは…?」
「一と月ほど。」
「ということは、沖に出るのか。」
季節外れの、しかも慣れない沖での漁。不安そうなナギサをよそにソウヘイはにたにたと笑った。
「ああ。季節外れだが、仕方のないこった。村長の娘から聞いとるだろ?鉄道の復旧には少なくとも三月ほどかかる。ただでさえ魚が取れねえのにそのうえ物が届かねえとなるとまずいよなぁ」
「この時期の沖は危険じゃないのか。」
「大丈夫だ。俺を誰だと思っとる?村一番の漁師だぞ。」
ソウヘイは皆から頼られる腕利き漁師だ。戦時中はその腕を買われ水兵をやっていたらしい。
ソウヘイは久々に腕がなるなぁ、などと言いながらたばこを灰皿に押し付けた。
「そんじゃ、行ってくる。」
次の日、ソウヘイは小さな荷物を持ってまだ日も登らない暗い時間に出て行った。ナギサは港まで送ると言ったが遠いから面倒だろ、と断られた。
出ていく間際にソウヘイは石の首飾りをナギサに投げた。
「おい、これ…いいのか?」
「引っかかったりしたら危ねえし、作業するのに邪魔になるからな。お前さんが持っとけ。」
海の神がどうとか昨日散々言っておきながら、あっさりと首飾りを置いていくのかとナギサは面食らった。
「次の満月の日。美味い飯作って待っとけ。」
異例の漁ではあるが、国営の新しい灯台もあるし仲間のベテラン漁師も総出なので無事に帰ってこれるだろう。そう思い聞かせてナギサはソウヘイを見送った。
それから一ヶ月はガラクタをいじったり、ソウヘイや村人から頼まれた道具を修理したり、家で本を読んだりして過ごした。村の方は移動図書館も市場も途絶えたので出向くことは無かった。ハルキ達がどうしているかもわからない。
「今日の夜…か。」
ソウヘイ達が帰ってくる日の早朝、ナギサはラジオを抱えて海岸に座っていた。
雲ひとつない、秋晴れの空。きっとソウヘイは魚をたくさん持って帰ってくれるだろう。そうしたら魚のスープでも作ってやろう。それに明日は姉の命日だから、お供えをするにも丁度いい。
ナギサは立ち上がると自分の頬を両手で二度叩いて家に戻った。
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