ボヘミアン・ラプソディ追記

ミサです。


ちょっと考えてみたの。

同性愛について。


映画で描かれたフレディの同性愛とその周辺が、類型的で深みがない、なんて、あたしは前回のエントリーで書きました。

でも、思いました。

単にフレディが男で、彼は男が好きになっただけじゃん、と。

男が女を好きになるのと、そう違いはないじゃん、と。


あんなことは、人類にとっては大昔からあることで、それは現代においては当たり前のことと認識されつつあるわけで。

だから、フレディが同性愛者だったからといって、その観点から個人的に掘り下げる意味は大きくないのでは?

描くべきは、クイーンの歴史のなかで、それがどんな役割を果たしたかということで。


ストレートでレズっ気が全くないあたしは、なんか構えてしまって、考えすぎているんじゃないかと。

あの時代の同性愛者の葛藤や周囲の反発、差別をもっと描くべきと、あたしは思い込んでいたんじゃないかしらと。


そんなふうに、思うようになりました。

まあ、ナゾをナゾとしないような感じでもあって、すこしさみしい気もするんですが。

みなさんは、どうですか?

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