第3話 充悦
☆前日
カーテンの隙間から差し込む一筋の光に顔を照らされて目覚めた。ミカさんは横でまだ寝息を立てている。長い黒髪を乱したまま気だるさを残して気持ちよさそうに眠る横顔に昨晩気が付かなかった大人の女性を感じてハッとした。起こさないように一人ベッドを抜け出して珈琲メーカーのスイッチを入れ、飲み残しの入っているガラスポットを温める。それにしても神経が高ぶっている。ミカさんのこともさることながら本当にもう時間がない。気分転換を兼ねて外に出て朝の空気を深呼吸する。軽く体を動かしてついでに近所のコンビニでサンドウィッチとサラダ、粉スープを二人分買って部屋に戻った時にはミカさんは起きて身支度を整えていた。ナチュラルさを残してメリハリのあるメイクを施したミカさんは十数分前とは違った色気を放っている。(メイクで女性はこんなにも変われるのか)と今さらながら驚かされる。
「おはようございます」
「おっはよう」
「何にもないんで朝食になるもの買ってきました」
「あら、やさしいのね」
「あ、あの、その、昨日はどうも・・・」
「その話はやめましょう。せっかくの余韻が覚めちゃうから」
「でも・・・そんなつもりじゃなかったんです。本当にごめんなさい」
「謝られたら、私が被害者みたいじゃない。楽しかったわ。むしろお礼を言わなきゃならないのは私かもしれない。」
「そ、そんな、ありがとうございました。ん?・・・お世話になりました?ん?」
「それは娼婦に言うセリフでしょ」
といってミカさんは笑い出した。
「そんなつもりじゃ。 あっ」
さっきの繰り返しになりそうなことに気づいて僕も照れ笑いした。
「それにしてもキミ、結構スゴイのね。一人でするなんてもったいないわよ(笑)」
意味深なウインク。
「もう、からかわないでくださいよお」
二人は顔を見合わせて声をそろえて大笑いした。
それからミカさんは買ってきたサラダを2枚の皿に取り分け、空っぽに近い冷蔵庫から玉子を見つけて手際よく目玉焼きを作って乗せてくれた。粉末のインスタントスープにお湯を注いで出来合いのサンドウィッチをほおばって久しぶりに部屋で女性と2人きりで朝食をとった。充たされている。温めなおした珈琲が食後の体に沁みていくようだった。
あと 841pt。
僕は会社を休んで撮影に没頭することにした。高ポイントを狙って被写体を待つより1ptでいいから枚数を稼いだ方がよさそうだ。(こうなったら)
「ねえ、ミカさんモデルになってよ」
言ってからハッとした。昨日会ったばかり、成り行きで一夜を共に過ごしただけなのにすっかりカノ女扱いの物言いだ。それでもミカさんはこうなる事がわかっていたかのように黙って協力してくれた。
「では撮ります。じゃ笑ってください。」
「なあに、それ。記念写真じゃないんだから。音楽でもかけてリラックスさせてよ。私だって恥ずかしんだから」
「ごめんなさい。気が利かなくて。なんだか緊張しちゃって」
「おや、最初に言っておくけど裸は撮らせないから」
健全な青年男子とは厄介なものだ。ミカさんの口から「裸」という言葉を聞いて想像してしまう。昨夜の余韻も手伝ってこんな時でも欲望の本能がもたげそうになる。
「あ、はい。わかってます。」
下心を見透かされてそそくさと携帯のアプリを操作して僕は大好きなBon Joviのベスト盤をBluetoothスピーカーから流した。
カシャー、カシャー。
メロディアスなハードロックをバックに待ってましたと言わんばかりに一眼レフデジカメが再びシャッター音を響かせる。
「いいです。すっごくいい!今度はターンしてもらえますか」
全身立ちポーズに座りポーズ、うつ伏せ・・・縦横にと画角を変えて夢中になってシャッターを押した。
ミカさんはあの少女の叔母というだけあって何とも言えない妖艶な振る舞いを持った人だった。僕は俄然ヤル気がわいてきてカメラマン気取りでポーズをつけ続けた。
「本物のモデルさんみたいだ。きれいだよ」
バストアップにアングルを変えて自分好みの表情、しぐさを記録するように切り取る。ミカさんもいつしかその気になって自分からうるんだ瞳で流し目を送ってくる。ホント色っぽい。(僕の彼女なら最高なのに)
何枚撮ったのだろう。時刻は14時になろうとしていた。
「そろそろランチにしない?気分を変えて外に行きましょうよ」
ミカさんの声で覗き込んでいたカメラのファインダーから目を離した。
「もうこんな時間か」
時間が経つのが早い。この時間を手放すのはもったいない気がして後ろ髪をひかれる気分だったけど、ミカさんおススメのイタリアンの店があるというので青山に向かった。青山からなら表参道、原宿、渋谷とどこに足を延ばしても被写体に困ることはなさそうだし問題ない。
もちろん移動中も逃すことなく何枚も撮影した。ベビーカーを押しながら公園へ猛ダッシュで駆け込んで行くママ、大学生カップルのクチげんか、回し忘れたスカートのスリットがチャイナドレスのように横にあるのに気づいていない女性の後ろ姿、上司と部下と思われるサラリーマンの小競り合い、手をつなぎながらソフトクリームを舐め合う意味ありげな女子高生、落とした小銭を拾う新聞の集金人、万引きでもしたのだろうか交番で警察官に頭を下げ続けるご老人、片手離しで自転車に乗りながらゲームに夢中の高校生、ノートのページを破って丸めて野良ネコに投げつける子供たち、などなど。
ミカさんに案内されるままに着いたのは真っ白なヨーロピアン モダンのテラス付きカフェ風の店だった。圧倒的な白の清潔感にガーデニングの緑が映えて、リゾートチックな雰囲気を醸し出している 。 ホール係に案内されたのは2階のバルコニー席だった。店内はシックに落ち着いていてテーブル席の間隔が贅沢に広い。この時間の客層はセレブな奥様方だ。お受験や海外の著名人がどうとかそんな会話が聞こえた。
おやつタイム時の陽射しはポカポカと暖かく疲れをやさしく癒してくれるようだった。
「世の中、意外と幸せな人が少ないのかもね。」
料理が出てくるのを待つ間、デジカメで撮った写真をチェックしているとミカさんはつぶやいた。
確かに撮ったのはマヌケでぶざまなシーンが多い。
「あゝ、気がついちゃいました?前に偶然事故に出くわしてその時の写真をアプリに送ったらptが高かったんで、それから出来るだけハプニングを狙うようにしているんです。」
「ふーん、人の不幸は蜜の味ってことね。AI-金庫もずいぶんと悪趣味ね。」
それにしても体質的にそういう場面を呼び寄せてしまうのか、潜在的に反応してしまうのか、あれからというものその手の場面に出くわす事が多くなった気がする。
器用に一度で料理が運ばれてきてテーブルに並んだ。庶民的な暮らしを送っている僕には正直、どれほどのおいしさかはわからなかったけど、この店一押しのシーフードピザとパスタを分け合って食べ、食後にカプチーノとカフェラテを頼んだ。甘みのあるカフェラテを選んだのはいうまでもなく僕なんだけど、なんだか男としてミカさんに不釣り合いな気がしてちょっぴり気が引けた。
「さてと、次はどこに行きましょうか?」
「表参道から原宿竹下通りを抜けて明治神宮というコースはいかがですか?」
「なんだか若いカップルのデートコースみたいね。」
「じゃ、銀座方面とか他にしますか?」
「そういう意味じゃないの。何年ぶりかしら、男の人と二人で一日中一緒に出掛けるのなんて と思ってね。」
「僕もです!実は最近フラれたばかりで。とはいっても1か月に2~3回食事に行く程度の付き合いしかしていなかったんであまり実感ないんですけどね。」
「そうだったの。じゃ、今日は一日恋人気分で過ごしましょうよ。」
「ぜひお願いします。さっきミカさんの写真を撮りながら僕のカノ女なら最高なのにって・・・」
「えっ!?」
「何でもないです。忘れてください。」
「さっきからその中途半端な敬語風もうヤめましょ。歳もそんなには違わないんだし楽しまなくっちゃ。」
「ミカさん、すっごく大人っぽいから、つい。」
「おーほほほ、私の魅力に気がつきまして、存分に感じてありがたくお思いになってよくってよ。」
昔の漫画「白鳥麗子でございます!」の主人公のマネをしてミカさんが言ったので、僕もあわせて王子が女性をエスコートする前に右手を胸の前に持っていくようなポーズを座ったままマネしながら
「ははあ、お嬢様。」
「苦しゅうない、ソチに任せるとしよう」
「なんだこれ。僕がすると下僕、執事みたいじゃないですかあ」
「ははは、キミが自分でしたんでしょ」
二人は笑った。久しぶりに幸せを感じた。こんなに美人で一見冷たく影のある印象なのに気遣って冗談を交えながら話してくれるチャーミングな人。どこか少女のあどけなさも残るミカさんの笑顔を見つめながらこんなにも意識している自分に気づいた。僕はますます惹かれていくのがわかった。
「さあ、いきましょうか!」
平日なのに行列を作って並んでいるクレープ屋の前の女の子たち、転んで舌を出してごまかしているコスプレのバイト店員、ギターを抱えてガ鳴っているストリートミュージシャン、無視され続けても懲りずに声をかけまくる長髪のスカウトマン、準備中のショーウインドーを撮影しているおのぼりさん、床に落ちた洋服を拾い上げてたたみ直しているハウスマヌカン、散歩中に犬がストライキを起こしたように動かずリードを引っ張るマダム、ウエディングドレスのまま結婚式場のロビーで言い争っている新郎新婦、何人ものお姉さんの股の間を潜り抜けて駆け回るいたずらっ子。色とりどりに髪の色を変えて奇抜なファッションを見せびらかせて競い合っている特有の人々、原宿駅の改札口で大音量のラジカセを担いで歩き回る外国人、真剣なまなざしでモデルの似顔絵を描く美術学生、街路樹に沿って倒れたコーンを並べ直す作業員。予想通り被写体にはこと欠かなかった。
日の出と共に開門し、日の入りに合わせて閉門するという明治神宮についた時には閉門30分前だった。
「もう閉門まであまり時間がありませんね、他に行きましょうか。」
「いいじゃない、まだ時間があるなら。せっかくだし。」
「そうですね。」
「必勝祈願よ、行きましょう。」
ミカさんは腕を絡めて僕を前へと引っ張るように歩き出した。ごく自然に。何も意識していないようだ。僕の鼓動は反比例して高まるばかりだというのに。
樹齢何十年という大きな木々に囲まれた参道は、そんな心を静めてくれるように静寂だった。静か過ぎて夕方の薄暗さも相まって林の闇の中で時折り吹く風が立てる葉が擦れ合う音は怖ささえ感じる。式典や神楽の練習でもするのだろうか宮司と巫女の一団が玉砂利の音を響かせながら通り過ぎていった。
参道を何回か曲がりながら進んだ先に御社殿が見えた時、賽銭箱の横でカップルが痴話げんかしているのが見えた。すかさずレンズを向け望遠にした。
「・・・えっ!?」
「どうかした?」
「いや、何でも。さすがに神社での諍いを撮るのは気が引けるなって思ってさ」
「この期におよんでマジメか。じゃ、お詣りしましょうよ」
ミカさんはお構いなしに御社殿に近づこうとする。
「ちょ、ちょっと待って。せめてあのふたりが居なくなるまで、ね」
「どうしたの、変よ。」
「いいからいいから、夫婦げんかは何とやらっていうでしょ。」
「たぶん夫婦じゃないよ。学生みたいじゃない。」
「はいはい、いいからいいから。」
ふたりに背を向けるようにしてミカさんの気をそらして耳を澄ます。
「せっかく二人でいるんだからもっと嬉しそうにするとか、ちょっとは将来のこと考えるとかできないわけ。どうして私の彼になる人はみんなヤル気がないのよ。もういい、帰る。」
「おい、ちょっと待てよ。」
「何よ」
「あの、だからその・・・」
「どっかの政治家じゃあるまいし言いたいことがあるならちゃんと云ってくれなきゃわからないでしょ」
「そんなこと言われたって俺にはどうすればいいかわからないんだよ。」
「男なんだからもっとリードするとか場を盛り上げてムードを作るとかあるでしょ。少しは一緒にいる相手のことも考えなさいよ」
「考えてるだろう。だから一緒にいるんじゃないか」
「全然伝わんない。無表情だし無気力、無関心で面白みのない人。前の彼氏とそっくり。」
「なんだよそれ。今比べる必要あんのか!?お前こそ俺のこと見えてないんじゃないか」
「もう最悪。私はふたりの時間をもっと大切にして欲しいだけなの。いけない?なんでわかってくれないの」
とうとう泣き始めてしまった。
「あらあら」
しびれを切らしたミカさんが僕の手を払うとサッサと御社殿の正面に立って、いまだに正式名称を知らない神様を呼び出すという鈴を左右に振って盛大に鳴らした。
「ちょっとミカさん」
その声に反応して向き直ったふたりと目があった。一瞬時間が止まった気がした。
「どうしたのよ、知り合い?」
我に返る。スグに視線を外した。
「わかったから、場所を変えよう。ここじゃお詣りに来た人の迷惑になるよ」
彼が子供を諭すように頭をなでながら説得すると、彼女は素直にそれに従って歩き始めた。そしてすれ違いざまに僕を背にして彼に言った。
「別れた前の彼はやさしかった。でも自己中の人間不信だったから私はいつも置いてきぼり。寂しかったの。もう二度とそんな思いはさせないで。」
ドキっとした。まさかここでしかもこんな形で元カノから別れの理由を聞かされることになるとは思ってもいなかった。あの時、ろくに話し合うこともなく別れ際に『もう疲れちゃった』とだけ告げられたから。一方的にフラれて僕はちょっとムカついてすべて彼女のせいと思い込むようにした。ただ一心に祈るような涙を溜め込んだ真っすぐな赤い目だけはどうしても忘れられなかった。その本当の意味が今わかったような気がした。
確かに夢とか目標とか僕には無縁だったし、人に合わせたり媚びたりするのも得意じゃない。人並みの平穏な人生を送れればそれでいいと思っていた。仕事が忙し過ぎたわけでもないし、彼女のこともないがしろにしていたわけではないけども、簿記の資格を取りたいと頑張っていた彼女の邪魔をしたくなかったし、背伸びしないで自然体でいたいと思ってただけだ。もちろんそれが自分の考えに都合よく甘えていただけだと言われればそうかもしれないが。
こんな時どんな顔、どんな振る舞いをすれば正解なのかわからないまま元カノとは最後までお互い他人のフリを装った。事実もう他人なのだから。
「何だかワケありね。その顔、世界の終わりって感じよ。」
「そんなことないですよ。何言ってんですか。」
ミカさんはそれ以上立ち入らなかった。そんなミカさんに支えられて確信した。僕は希望を見つけたんだ。今回のこのゲームじみたミッションを達成することできっと変われる。そんな気がする。
「さあ、ミカさん、もっと鈴鳴らしてくれなくっちゃ神様きてくれないよ。」
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