第38話 帰還
「悪いんだけど、部屋まで健を運んでくれる?」
「もちろん」
やっと家に着き、玄関をガチャっと開ける。
するとすぐ奥から母が走ってきた。いつもなら毎日化粧をして、ヘアセットもしているが今日は何もしていない。
「健っ……健!」
竜之介の背中で眠る健を見た母の目には涙が浮かんでいた。光は竜之介に2階へ行くよう勧める。
「すんません、おじゃまします」
母の声を聞いて父もやって来た。母とは反対に父の表情はいつもと特に変わりがなかった。
健を揺すり起こそうとする母の前に父が入り込んで行く手を遮る。おかげで健は眠ったままだ。2階へ足を向ける竜之介。その背中を見てから光が両親に顔を向ける。
「上に寝かせてきたら説明するから……」
光は両親にそう言って、竜之介と共に2階へ向かった。
「よっと。……よく寝てるなぁ」
「うん。竜之介も暑いし疲れたよね。シャワー浴びる?」
「いんや。とりあえず帰るわ。ちょっとクラシスと話し合ってみるよ」
「そっか。ありがとう」
「とんでもない。それより、親に説明すんのは大丈夫か?」
「まさか正直に話せないしね。適当に理由つけとくよ」
「気をつけろよ」
2階の健の部屋のベッドにゆっくりと健を寝かせた竜之介はすぐに帰った。1階で母にすごい見られたが、竜之介は嫌な顔をすることなく出ていった。これだけ世話になったのだなら、後で何かお礼をしようと思う。
竜之介を見送り、光と両親がリビングで向かい合った。
「光、どういうことなの?説明しなさい!さっきの子が何かしたのね!?そうでしょう!?」
母は竜之介が健に何かしたのだと勝手に決めつけている。竜之介は何も悪くない。誤解を解くためにも一度深く呼吸をして、光は説明した。
「さっきのは俺の友達の新島竜之介。健、帰る途中で体調悪くしちゃって休んでたらそのまま寝ちゃったみたい。まだ体調よくないみたいだからさっきの竜之介に運んで貰った」
「じゃあ何で連絡しないのよ!迎えにきてくれなり連絡すればいいじゃない!」
「携帯落としちゃったんだって。でも、俺が拾ってきたから」
母の質問に落ち着いて答えた。少し無理があるが、これ以上にうまく答えられる自信はない。光の精一杯の答えだった。
「健を今すぐ病院に……」
「いやいや。もう寝てるだけだし、1回起きたときに体調聞いてからにしたほうが……」
「母さん、光の言うとおりだ。今健は寝ているだろうし、起きてからにした方がいい」
焦る母を父が押さえる。多数決の意見で負けた母はハンカチで涙を拭った。
「どれだけ心配してっ……」
「全部話したし、俺シャワー浴びるね」
この部屋の空気から逃げたかった光は理由をつけてリビングから出る。その後をすぐに父が追ってリビングから出てきた。
「光、ありがとう。流石お兄ちゃんってとこだな」
「うん……」
父にお礼を言われたことなど記憶にない。いつも健と比較されてはもっとちゃんとやれと言われてきた。それが嫌で父を避けてきたのもある。褒められたのはずっと昔。健と仲良く遊んでいた頃以来だと思う。
父の感謝にどのように返したらいいのかわからず、慌てて自分の部屋に帰っていった。
シャワーを浴びて一度健の様子を見に行くと、相変わらず眠っているので、そのままにして自分の部屋に向かった。
「大丈夫でしたか?……何だか嬉しい気持ちみたいですけど」
部屋に入るなりアルベールが声をかけた。
アルベールも疲れていたようで、靴を脱いで薄着になっている。
「俺の気持ち、わかっちゃうんだったね。実はさ、さっき父さんにお礼言われて……」
「いつでもお礼を言われると嬉しいですよね」
アルベールは経緯を理解したようで、目尻を下げて微笑み嬉しそうに見えた。
その日は健は起きなかった。
たまに様子を見たが、イブキが付き添っていたため特に何もしなかった。しかし母がしきりに健の様子を見ては涙ぐむ。それを見ると光の胸が締め付けられてしまって苦しくなった。
翌朝、疲れはまだ感じたがランニングのためにアルベールに起こされた。身支度を整えていると、静かな部屋にノックが響いた。
ノックに対する返事をしないうちに扉は開かれた。
「おはようございます」
扉を開けたのは健だったが、先に声をあげたのは健の肩に座るイブキだった。昨日よりも少し顔が青白い気がする。きっと健につきっきりでいたからだろう。健は目を合わせてくれず、イブキと目が合った。
「健、ほらっ」
「うっ……」
イブキが健の顔をペチペチと軽く叩く。健は光の顔を見ようとするが、すぐに下を向いてしまう。しびれを切らしたのか、イブキは健の耳たぶを思いっきり引っ張った。
「いたたたた!わかったよ、わかったって」
健の言葉にイブキは手を止めて光とアルベールを見る。深呼吸した健はやっと顔をあげた。健のまっすぐな目が光をうつす。一瞬ドキッとしたが、目を反らさずに健を見る。
「あ……ありがとう、兄ちゃん」
健の目が泳ぎ始めた。健の顔は少し赤い。
連日父に続いてお礼を言われた光は何も返答できなかった。それに気づいたアルベールが机から飛んで光の肩に止まり、耳元でささやいた。
「光君、そこはどういたしまして、ですよ」
「どういたしまして……」
アルベールに言われた通りに言って、頭を下げた。まさか頭を下げるなんて思っていなかった健は、さっきとはうって変わって口元を押さえて必死に笑いを堪えていた。
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