ぼくの可愛い人だから(7)

「どうしたの」

「え、と。はい、大丈夫です」

 取り出したハンカチで目を拭い、メガネをはずしたまま茅子は小さく微笑んだ。

「わたし、馬鹿だなあって思って。うすうすわかってはいたんです。でも、気づきたくなくて」

 またぽろぽろ涙をこぼすから食事どころではなくなって渉もフォークを置く。

「いいよ。話せそうになるまで待つから」

「いえ、大丈夫です」

 すんと鼻をすすって茅子は赤い眼で渉を見上げた。


「誰にも話してないけど、わたし、就職した年にひとりでお城に行って、ここにも食べに来たんです。ひとりで」

 両手で持ったハンカチを無限プチプチを潰すみたいに親指で押しながら茅子は話した。

「体が凍ったみたいに動けなくなっちゃってたのは子どもだったからなんだなって、苦しくなるのが怖くて試さなくなっちゃってたけど、大人になったから大丈夫なんだって思ったんです。それでひとりで天守閣に登ったり豆電車に乗ったり。大人がひとりで」


 そこで茅子は恥ずかしそうに俯いて声を小さくした。

「何も楽しくなかったんです。なんにも。ここでひとりでグラタンを食べても、美味しくなくて。どれだけ美化して覚えてたんだろうって悲しくなっちゃって。それでも、子どもの頃の記念をなかったことにはしたくなくて。いつかまた挑戦しようって。だけど、どうして楽しくなかったのか、そんなのわかりきってることだったんです。そうですよね?」

「……うん」


「簡単な引き算です。それならまた足し算をすればいい。でも、わたしはそれをするのが怖かったんです」

「うん」

「馬鹿でした」

「そんなことない」

「こんな馬鹿なわたしですけど、来年も一緒に食べに来てくれますか?」

「なにそれ」

 渉はフォークを持ち直して口を尖らせた。


「俺はとっくに言ってるじゃん。死ぬまで毎年一緒に来るから」

「それまでこのお店、もつでしょうか?」

「もってもらわなきゃ困る」

 勝手なことを囁き合って食事に戻る。

「少し冷めちゃったけど、やっぱり美味しいです」

 また照れ臭そうに笑って彼女は最後の涙を落とした。





 週末には俊も交えて三人でまた城内を訪れた。

「豆電車? 乗るのか? 大人が? バッカじゃねーの」

 散々悪態をついたくせにいざ乗ってみるといちばんはしゃいでいたのは俊だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る