月に濡れたふたり(7)

 茅子の作ってくれた朝食を味わってから、羽織ったジャケットのポケットにネクタイをつっこみ鞄を抱えて玄関で靴を履く。

「あとで電話する。夜の方がいい?」

 本当は名残惜しい。思って茅子を見下ろすと、そうですね、と頷きながら彼女は渉の顎に手をのばしてきた。柔らかい指先がじゃりっとひげの伸びた頬を撫でる。

「ひげ、伸びちゃいましたね」

 言われるまでもなく、無精ひげが生えてスーツはよれよれ、朝帰り丸出しな格好だと自分で思う。


 ふと大事なことを思い出し、興味深そうに渉の顔の輪郭をなぞっている茅子の手を握る。

「すごい今更なんだけど」

「はい」

「茅子ちゃんて、呼んでいい?」

「……だって、会社の皆さんそうなのに」

「それとこれとは違うんだよ」

 とっくに心の中では名前呼びだったけれど。

「じゃあ、わたしも、渉さんて呼んでも?」

 渉はもちろんこくこく頷く。


 その流れで別れ際のキスをしようとしたとき、いかにも安普請なこのアパートの通路を歩いて来る足音がドア越しに聞こえた。

 もしやと思う間もなくドアチャイムが鳴る。すかさず背後のドアスコープを覗くとやって来たのはまさしく俊だった。

 とっさに茅子を見返ると、慌てて腕をばたばたさせていたが何か解決策を示しているわけではない。逃げようがないのだからここは顔を合わせるしかない。


 渉は鍵を開けてドアノブを回す。

「わり、ちょっと早く着い……」

 言いかけた俊は玄関にいるのが茅子ではないと気づいてぎょっとした顔になる。

 声もなく渉とその向こうにいる姉の顔に視線を往復させ、やがてぷるぷる震え始めた。




 昨日の今日でデキちまうとか節度ある大人としていいと思ってんのかおまえら。オレは恥ずかしい。あんたみたいのに食われるためにかやこは生まれてきたんじゃねえんだよ。大体かやこに近づくなってオレはあんたにお願いしたよなあ、あんなに懇切丁寧に。


「そうなんですか?」

「いや。懇切丁寧ではなかったけど」

 六畳間に戻って並んで正座している渉と茅子の前をうろうろ往復しながら俊が垂れ流すお説教の中の一言が気になったらしく、茅子が不安そうに尋ねてくる。コソコソやりとりしているのを見咎めた俊にきっと睨まれた。


「かやこはやらないからな」

 顔が良いだけに迫力だ。

「オレが嫁にするって約束したんだから」

「あの、俊くん」

 そこでおずおずと茅子が発言の許可を求めるように挙手した。

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