月に濡れたふたり(4)

 茅子はきゅっとくちびるを結んでまた月を見上げた。

「すっごく苦いコーヒーを飲むとき、どうしますか?」

「もともとコーヒーはブラックしか飲まないからなあ」

「お目にかかったことのないくらい苦いコーヒーだったらどうしますか? それでも飲まなきゃならなかったら」

「砂糖を入れる?」

「すっごく酸っぱいグレープフルーツを食べるときには?」

「グレープフルーツ? そもそも食べようって思ったことないし」

「もう。酸っぱいグレープフルーツには砂糖をかけて食べるんです。お砂糖成分があれば食べちゃえるんです」


「甘い物ってこと?」

「甘い物じゃなくても、味を変えればいいと思うんですよ。お酒だってそういう感覚じゃないですか? 洗い流したいっていうか」

「アルコール消毒? 危険だね」

「危険ですね、甘い物も食べすぎると危険です。なのでわたしは、たまの贅沢でスーパーのシュークリームを買って帰るだけで充分です」

 スーパーのシュークリームが贅沢って。渉は泣き笑いに近い感覚で頬を震わせる。


「貧しいからスーパーのシュークリームで我慢してるんじゃないですよ。贅沢って慣れてしまったら嬉しさが減っちゃう気がするんです。それって損なんじゃないかってわたしは思っちゃうんです。だから手が届く贅沢は大事なときに取っておいて、いつもはそれよりもっと手の届く贅沢で満足していたいんです。……どっちにしろ貧乏くさいですね」

 ひょこっと肩を上げた仕草がさっきの俊とそっくりだった。自分の浅はかな同情心を見透かされたように感じたけれど悪い気はしなかった。


「大事なときのために取っておきたい贅沢って?」

「内緒です」

 ふふっと笑って茅子は渉を見返った。メガネのレンズの向こうで瞳が細まる。

「さ、もう帰りましょう」

「帰るから、キスしていい?」

 茅子の茶色がかった瞳が丸くなる。頬を赤く染めて、でも俯かずに彼女は問い返してきた。

「どうしてですか?」

「好きだから」


 じっと瞳を瞠ってから、茅子はそっと囁いた。

「いいですよ」

 とたんに恥ずかしさが勝った様子で目を伏せる。

 指をのばして頬にかかった髪をすくいあげると、びくっとして目を閉じてしまう。

 悪いことをしている気分。でも言質は取ったのだから遠慮はしない。

 すくった髪ごと小さな頭に手をまわして引き寄せる。

 虫の音色が耳を打つ。唇をかすめる吐息と茅子の匂い。頭上には月の光。

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