小さな恋のメロディ(4)





「はい。おめでとう!」

 係長は拍手が上手い。気持ちよく音が響く。社会人にとって、あれが出世のコツなのかもしれない、などと失礼なことを考えてしまったことを渉は心の中で詫びる。


 係長への成約の報告をすませた清水は、事務処理をしてもらうため茅子に書類一式を回す。

「お疲れさまです」

 受け取ってさっと目を落とした茅子は、目を丸くして清水を見上げた。淡々と仕事をこなすタイプの茅子は、いつもだったらそんな反応はしない。


「峰岸製作所さん?」

 茅子のつぶやきに清水は微笑んで頷いている。

「良かったですね」

「うん」

 ふたりだけで通じる会話をしていることに渉の心はざわめく。聞かなきゃよかった。


「高山は居残り?」

「試算表作っちゃいたいんで。これ終わったら帰ります」

「おう、ガンバレ」

 定時に退社するのが現代社会人の鑑。川村たちの背中を見送り、時間内に作業が終わらなかったことを渉は反省する。


「作表なら、わたしやりますよ?」

 背後から茅子が言ってくれたが、彼女のパソコンが立ち下がっているのを見て渉は首を横に振った。

「大丈夫。ちょっと、数値をいろいろ試したいし。自分で確認しながらやりたいんだ」

「そうですか」

 後ろからまだ茅子が見ているのを感じる。心許ないのだろうな、自分にだってできるのに。渉はなぜかムキになって数字の入力に集中する。


 気がつくと、居室には渉ひとりになっていた。時間はまだ二十分もすぎていなかったけれど、集中できたから捗った。

 プリンターに送信して印刷を出し、提案書と一緒にファイルにまとめる。


 席を立って体を伸ばし、渉は給湯室に飲み物を取りに行った。誰もいないと思ったのに電気がついている。

 流し台の前にマグカップを手にした茅子が立っていて、ぼうっと壁のカレンダーを見つめていた。てっきり帰ったものだと思っていたのに。


「増田さん?」

 びくっと茅子は渉を見る。

「帰ったと思ったのに」

「あ、いえ。すみません……もうすぐお盆休みだなって考え事しちゃってて」

 慌てた様子で中身を飲み干し、茅子はマグカップを洗った。


「作表は終わったんですか?」

 一緒に居室に戻りながら訊かれて渉が頷くと、茅子は壁の時計を見て感嘆の声をあげた。

「速いですね」

「集中できたから」

「でも速いです。やっぱり高山さんも……」

 お互いに身支度をしながらだったので茅子の言葉はよく聞き取れなかった。

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