誰が為のおしゃれか(7)

「ほら、とにかくドーナツ食え。そんでバリバリ仕事しろ。会社じゃそれがすべてだぞ」

 恥ずかしかったのか、川村は無理矢理そうまとめて手提げ袋の中からテイクアウトのアイスコーヒーを取り出して配ってくれた。



 ドーナツとコーヒーのブレークタイムを挟み、間もなく作業はやり終えた。

「あたしのミスのせいでゴメンナサイでした」

「お手伝いしたのはわたしの勝手だもん。謝ることないですよ」

 潔く頭を下げる小永井に茅子がいいよいいよと手を振る。

「まあ、オレも悪かった」

 数十分前とは別人のように遠藤も素直に言う。根が単純で直情タイプなだけで悪い奴ではないんだよな、と渉は心の内で肩を竦める。


 会社を出て、駅までの道を連れ立って歩いた。午後に営業車を運転してでかけたときには、フロントのワイパーを低速で連続作動させるくらいには雨が降っていたけどその雨も止んでいて、だが夜気はすっきりとは言いがたく、まだじっとりして雨の匂いが強かった。


 小永井はバス通勤、遠藤は寄り道をしていくのだと言って段々とばらけていく。

 駅の改札前までの短い距離、茅子とふたりきりになって渉は胸をはずませる。茅子とこんなに長い時間一緒にいるのは久しぶりだ。でも、もう別れる場所だ。

 何か話さなくちゃ、そう思っても言葉が出てこないまま改札前にたどり着いてしまう。


「え、と……」

 言い淀みながら後ろを歩いていた茅子を振り返る。茅子は俯いたまま足先をそろえて渉の前に立ち止まっている。

 あのときのことを、あのときの自分の気持ちを、ちゃんと説明しなくちゃ。懸命に渉は言葉を探す。


 とりあえず、謝るべきなのだろうとは思う。あんなことしてゴメン、と。でも待てよ、と思う。「あんなこと」ってなんだ。

 頬にキスをしたのは茅子のことが好きだからだ。好きだからキスした。それは間違いでもなんでもない。自分の自然な気持ちと行動だ。そりゃあ相手の了承もなくしたのは悪かったが。だがしかし。そもそもキスって必ず毎回許しを得てからするものなのだろうか。そうなのか? 許しを得ずにキスしたら犯罪なのか? そういえば、電車の中で見知らぬ女性にキスをして逮捕された男のニュースを見たことがある。そりゃそうだ、痴漢行為だ。え、自分が茅子にしたのは痴漢行為なのか。


 考えすぎて思考がぐずぐずになっている渉の前で、茅子がいきなり頭を下げた。

「すみませんでした」

「…………え?」

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