応援コメント

小さな恋のメロディ(14)」への応援コメント

  • こういう問題難しいですね。
    憐みが近いのかな? 受ける方が嫌な感情であり、それでも送り手には必要な感情。恥ずかしいというのも、微妙でややこしい感情だな、と改めて思いました。
    送り手と受け手の温度差が激しいなと。

    作者からの返信

    ややこしいですよね。
    言われてみれば、受け手の方にある「恥」という感情が根っこかなとも思えます。それで反発したり拒否ったり必要以上に恐縮したり。手を差し伸べる方も気を回したり。
    憐れみを受けることは恥っていう固定観念がいけないのですよね。自尊心が向く方向がおかしいというか。やっぱりこういうのって日本の社会ならではなのでしょうか? 欧米のように草の根の福祉が当たり前ではないから。
    もっとスッキリと助けたり助けられたりできると良いのですが。

  • 恵まれていることに後ろめたさを感じる必要なんてないのに。

    誰かを幸せを分けるためには、まず自分が幸せでなければいけません。
    もっと欲張って、世界を広げて、今よりももっと幸せになっても良いのですよ。
    施設の子達だって、一緒に育った仲間や先輩が、幸せになってくれたら嬉しいでしょうから(*´▽`)

    ……少し気になるのが踏み板。
    もしかして、これは何かの前触れでしょうか( ;゚Д゚)

    作者からの返信

    ほんと、まずは自分がしあわせになればいいのですよね。しあわせになることに遠慮なんていらない。しあわせは減るものだったり、取り分が減るものではないのだから。

    踏み板。危ないですね。大丈夫、アイアンマン渉の出動です!

  • 恵まれていくことを後ろめたく感じる。不毛だと分かっていても、感情としてそうなることもあるかもしれませんね。
    だけど幸せであることに遠慮なんてする必要なんてありませんし、遠慮するってのは場合によっては立場に上下をつけるってことになりかねないと思います。

    手伝いに来るのは決して悪いことではありませんが、遠慮からそんなことをする必要はないんです。

    茅子は、そして俊は、施設の外に出たことで世界は広がっていったのでしょうか?

    作者からの返信

    人を支えることに依存している場合もありますから、独りで立つというのは難しいです。

    茅子ちゃんが俊くんに対して思っている「視野を広げてほしい」は自分のことでもあるのですよね。
    人生の可能性を広げていってほしいです。


  • 編集済

     自分が幸せであることを申し訳なく思う……。なんかわかる気がする。けれども。

    ♪幸せは歩いて来ない だから歩いてゆくんだね
     一日一歩 三日で三歩 三歩歩いてニ歩下がる♪

     かの聖飢魔Ⅱのミサ(いわゆる『ライブ』のこと)でも、たびたび演奏されたという曲は、ある時、まさかのご本人、チータこと水前寺清子さんの降臨によって、盛大な盛り上がりを見せたとか……。
     って、何の話をしてたんだっけ?
     すみません。私のところにある音源は、『三百六十五歩のマーチ』ヘヴィメタルヴァージョン聖飢魔Ⅱプラス水前寺清子さんのモノしかないもので……💫

     きっと茅子ちゃんは、幸福駅に向かって歩いていったから辿り着いたんだと思う。
     きっと幸運もあったのでしょう。だけれども、何もしない人の元には幸運の星は降りて来ない☆彡 茅子ちゃんは、何も申し訳なく思うことはないのです。

     真美ちゃんは行動派だけれど、渉くんはそこまで積極的にはなれないかな?

    >その視線の先、建物の脇に二階の通路に続く外階段があった。その一段目の踏み板がひしゃげて曲がってしまっている。渉はじっと視線を注いで考え込んだ。

     何故、そんなところがひしゃげているんですかね〜? 夜とか、何か考え事をしてるときなんかに、そこに足を乗せてしまうと危険かもしれませんね?
     ……って、そゆこと考えてる訳じゃない?

    作者からの返信

    直しました。ありがとうございます。

    人って、絶対的ではなく、相対的に物事をはかりがちですからね。困ったことに、不幸自慢や苦労自慢をしちゃったり。
    もっとシンプルに幸せだ―って思える毎日なら素晴らしいのだけど。

    申し訳なく思うのは、真面目で責任感が強いからだろうね、でもそれはおこがましくもある。なかなかフラットにはいかないです。
    まずは自分がしあわせになればいいのだよね☆

    さて、渉くんは何を考えたのか。
    次回、アイアンマン渉の活躍にご期待ください。