最終章 暁の鐘
第53話 もがく少年の物語㊤
どれくらいの時間が経っただろう。
一体、何が間違っていたのだろう。
最後の最後で、自分を誤りを指摘した親友の言葉を思い返し、後悔に身を引き裂かれそうになる。影喰いと同化し続ける自分には、引き裂かれるような身体など、もう存在しないというのに。
『―――!!』
内側からうめき声が響き、気色悪い感触が込み上げてくる。自分の身体を
果たして、いつまでもつだろうかと考えた。
小暮黎が小暮黎でいられる時間。
『―――』
おぼろげになった視界に、人影を捉えた。
そうだ。
俺たちは
正体は分からない。
コミュニケーションも取れない。
影喰いの親玉、王とも呼べる存在。
こいつを外に出してはいけない。
だからこそ、黎はこの街に残った。
いや、戻ったと言った方が正しいか。
―――追憶。
人としての最初の記憶は、差し伸べられた小さな掌だった。
「あなたはだぁれ? ここでなにをしてるの?」
「う……」
ここは、どこなのだろう。
自分は、何者なのだろう。
幼い声に答える言葉こそ持っていたが、答えは持ち合わせていなかった。
見つけてくれた暁井光の実家がこの街の名士であり、自分が同年代の子供としては抜きんでた才覚を持っていたことから、暁井家と付き合いのある経営者の養子となり、小暮黎という名を与えられた。
そして徐々に、自分がどういった存在なのかということを、思い出していった。
この二色町という街の“裏側”にある世界の住人であること。
厄災ともいうべき存在に襲われ、仲間は自分を残してすべて滅んでしまったこと。
それと引き換えに、厄災―――影喰いの“王”を街の塔に封じることができたこと。
自分には、“使命”が与えられていること。
奴が再び動き出さないよう、この街で監視をするという、使命―――
「黎!! 宿題手伝いなさいっ!」
―――それはそれとして、今日も一学年先輩の幼馴染がうるさい。
初対面ではいっそ何らかの神秘性すら見出していた少女は、一皮剥ければただの活発でアホな女子だった。
「光ちゃん。一年生の黎に勉強を教えてもらうつもりなのかな。プライドは無いのかな」
「あぅ……」
もう一人の幼馴染である
「いいのっ! 黎はもう中学の勉強終わってるんだからっ! 実質高校一年生だから」
「論理破綻もここまでくると清々しいね」
「貴江ちゃん、最近あんたの毒舌っぷりを妹が真似し出してるからほどほどにしてくれない?」
「光が良い感じのサンドバッグなのが悪いんだよ」
「うるっさい、黎」
力強く指を差された黎が、「じゃあ、もうそろそろ帰ろうかな」と読んでいた本を片付けると、その腰にひしと抱き着く小柄な体躯。
「あ~、まっでくだざいれいざま~! これ以上勉強しなかったら先生から「お前もう一回二年生やるか」って言われてるんです~!」
「中学留年かぁ。前代未聞だね」
ニコニコと酷薄に言い放った貴江が、そそくさと帰り支度を始める。
「貴江ちゃん、俺にコレの面倒全部押しつける気?」
「コレ呼ばわりされても反論できないくらい弱ってるみたいだから、優しくしてあげてね?」
本当に帰りやがったよ、あの三年生。いや、受験生なんだから、後輩の不勉強にかかずらう時間なんてないのだろうけど、それにしたって光には冷たい気がする。
まぁ、その理由を直接聞いたら「へ~、私にそれ訊くんだ。度胸あるね、黎」と、とてもたおやかな言い方で凄まれたので、真相は藪の中である。恐らく、永久に。
「はぁ。ごめんね、黎」
「なんだよ気持ち悪い」
「気持ち悪いだと?」
「気持ち悪いよ。いいよ、別に。何も要求しないからさ」
二色南中学校に文芸部が立ち上がって一ヶ月。
それを与えてくれたことが既に十分な贈物なんだと正直に話したら、このあっぱらぱーな少女がどんなリアクションを見せるのか、少し楽しみなところもあったが、やめにした。
なんだか、それを言ってしまうと、今こうして続いている時間が終わりを告げるような、そんな嫌な予感があるのだ。
「ねぇ、黎?」
「なに?」
「お父さんと、上手くいってる?」
「……そういえば、人との関係が下手にいってるって誰も言わないよね」
「真面目に訊いてるんだけど」
黎は軽口とCTのホログラムノートに向かって動かしていたペンの手を止め、しばし、それでこめかみをトントンと叩いてから、言った。
「まだ、私立進学を蹴ったことがお気に召してないみたい」
「そう……」
「なに? ひょっとして、責任みたいなこと、感じちゃってるの? あの光が」
「さっきから部活の先輩と後輩が冷たいんだけど。なに? 二人していじめを始めようっていうの?
「そうじゃなくて、光が気に病むことなんて何もないってこと。あの人は自分の思い通りにならないものには何でもそういう態度取っちゃうタイプだから。だから奥さんにも逃げられるんだよ。子供かっつうの」
「気持ちは分かるけどさ」
歯に衣着せぬ息子の毒舌に、その父親をよく知る光が苦笑いする。
「でもなんで? さっきも言ったけど、あんたもう公立の中学がやる範囲なんて家庭教師に教わっちゃってるんでしょ? ここに通う意味ないじゃん」
あ、まずい。この幼馴染。俺が言わないでおこうと思ってたことを言わせようとしてる。本人に自覚はないだろうけど。
「俺にはさ、居場所が無いんだよね」
できるだけ、軽い調子で言い放つ。
「やることがあって、この街から離れられないし」
「それって、お父さんの仕事を継ぐって意味?」
「そうだよ」
面倒にならないように嘘を吐いておく。
「だから、せめて光や貴江ちゃんがこの街を離れるまでは、出来るだけ一緒に遊びたいってわけ。あ、俺も大概ガキだね、やっぱ親子かな」
そう言って自分を笑う黎をしかし、光は笑わなかった。
「バッカじゃないの!」
逆に、怒っていた。
「なんでそんな風に、自分には居場所がないとか、自分の将来を決めつけるの。言っておくけどね、あたしだって、未来は真っ白だよ!」
「お前の未来が白紙なのは勉強しないからだよ」
「うるさいって言ってんの! そうじゃない、誰だってそう! これから何が起きて、どうなるかなんて、何にも決まってないでしょ。決めつけちゃダメ!」
言いながら、どんどん顔が近付いてきて、黎はその分、椅子からのけ反る。この距離は、たとえ幼いころからの付き合いとはいえまずいと思う。
「ねぇ、黎」
吐息が掛かるほどの距離で、光の声のトーンが落ちた。
「私の未来には、黎が必要なんだよ?」
ガターン! と、けたたましい音を残して黎が椅子ごと後ろに倒れた。
「だ、大丈夫!? 黎」
「い、いや、お前こそ大丈夫か。今のは、流石に―――」
真っ赤になった後輩の男子の顔を見て、自身の発言の重要性を認識したらしい光も、顔面を急速発火させる。
「い、いや! 違うから! 黎は好きだけど、まだそこまでじゃないっていうか!!」
光が仰向けに倒れた自分に覆いかぶさるようにして弁解してくる。その目が、鼻が、唇が、とても艶めかしく自分の目の前にある。
「違うの!!」
「分かったから離れろ! 誰か来る前に!!」
「光ちゃん? 黎? ごめんね、やっぱり宿題手伝うよ。なんか最近、気持ちが変にざわざわしちゃって―――」
まるで図ったように貴江が部室に戻ってきて、黎と光は、この三人組の実質的なボスである彼女から
神妙に正座をして貴江の言葉を拝聴する黎の耳に、もう一つ、聴きなれた鐘の音が届いてきた。
二色町に黄昏を告げる鐘。
そういえば、自分の世界が影喰いに侵食されるときも、鐘の音を聞いたな。黎はそんなことを思い出した。
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