最終話  

 二色南中学校の体育館裏で目を覚ました晃陽こうようは、平日だというのに人っ子一人いない学校にただ事ではない雰囲気を感じた。


 事実、街はとんでもない騒ぎになっていた。


 何しろ、その存在すら忘れ去られていた何十人もの行方不明者が、ある朝急に思い出され、学校の校長室から現れたのだ。


 救急車が三十台、消防車が二十台、そして二色市どころか、N県中のパトカーが出張るほどの事態に、全国ネットのマスメディアも集まった。パニックである


 政界にも顔が利く暁井家が裏で手を回したことで、現実世界では表面的に沈静化したものの、仮想現実である情報海オーシャンでは、一両日が経った今もお祭り騒ぎらしい。


 という事情を、コッソリ連絡して家に匿ってくれた貴江から聞き、そのまま一晩泊めてもらうことになった。


「狭くてごめんね」と言われて通された客間に布団を並べたが、眠れるはずもなく、晃陽と黎のこれまでの冒険譚や、晃陽が出会う前の黎の話を光から聞いて盛り上がり、すっかり夜更けになってしまった。


「まさか、貴江と黎と光の三角関係だったとはな」


「何をおっしゃいます晃陽さん、あなただって随分と隅に置けないらしいじゃありませんかクフフフフ」


 深夜のテンションで妙な笑い声を上げる光を「もう寝ろ」とたしなめる。「うん」と素直に頷いた彼女はすぐに寝入った。その目に涙が浮かんでいるのを、見逃すことができず、晃陽は部屋を出て、外の街を散歩に出た。


 微かな虫の声。

 風の騒めき。

 人いきれ。

 川の流れ。

 街灯。

 月光。

 匂い。

 音。


 四月も下旬。春一番の強い風も通り過ぎ、過ごしやすい気候がやってきていた。そう思いながら、そうか、まだ、あの影の街を冒険することになって一ヶ月も経っていないのかと驚きを覚える。


 神社を出て、北へ。用水路沿いを歩き続ける。人とはすれ違わないが、人の息遣いはところどころに感じる。明け方。暁。陽が昇る直前の、最も暗い街の風景。


 橋に着いた。初めて影喰いと戦った場所。欄干に肘を乗せ、浅い川の流れを見つめる。鮒や亀が泳いでいるはずだったが、今は見えない。何も、見えなかった。


 CTを取り出し、ホログラムモニターを立ち上げる。メモ帳を呼び出し、そこに書かれていた、『シノノメ・レポート』のファイルを開く。


『シノノメ・レポート #54 作成者:調停員 東雲晃陽


 日本時間2030年4月7日。AM 07:50:17


 天候・晴れ


 “世界”からの交信は、未だ無し。


 どうやら街に巣食う闇が、俺の存在に気付いたようだ。未明の異世界転移現象。先日であった少女も一人、巻き込んでしまったらしい。自宅に保護したが、朝にはいなくなっていた。これは、とんだ大仕事になりそうだ。なに、心配はいらない。この世界の謎は、解き明かして見せる』


 ふっ、と笑みを浮かべ、晃陽はそのメモを消去した。そして、掌大のCTを潰れるほど強く握り締める。


 ―――なにが、調停員だ。


 まるで自分が、物語の主人公になった気でいた。


 ―――なにが、この街の謎を解く、だ。


 とんだ思い上がり。恥ずかしい。愚か者。


 ―――俺が、何をした。


 全部、黎が計画し、その通りになった。


 ―――何もしていない。


 俺は駒だ。ゲームのキャラクターであって、プレイヤーではなかった。


 ―――何も、何一つ、成し遂げていない。


「知っているかい、晃陽」


 よく知る大人の声。


東雲しののめっていうのは、夜明け前、茜色に染まる空のことをいうらしいよ。―――隣、いいかな」


 晃陽の返事は聞かず、工場の作業着姿の男が、彼の隣に立った。


「せっかく、夜明けを意味する名字なんだから、名前もピッカピカにしてしまおうって盛り上がったんだ。晃という漢字と、お母さんから一文字貰って、晃陽。……あれ? この話、前もしたっけ」


「した」


「そっかぁ。良い話のバリエーションが少なくてごめんよ、晃陽」


 神妙に謝罪する父、あきらに、「別にいい」と返す。


「この街に越してきて、君はこの夕方に鐘を鳴らす二色町を、黄昏の街だって言っていたね」


「息子の中二病発言をほじくり返して楽しいのか」


「いや、かっこいいと思ったんだよ?」


「……」


「なんで、陽が暮れるときにしか鐘を鳴らさないのかな。朝はやっぱり、うるさいからかな」


「昔はあったらしい。歴史の先生が言っていた。むしろ、“暁の鐘”が最初で、“黄昏の鐘”は後付けらしい」


「へぇ! それはますますロマンがあるね」


 レスポンスの低い息子が、また会話を静寂に沈めてしまった。しばらく用水路の水が流れる音だけが、環境音として沈黙の間を持たせる。


「なら、暁を告げる鐘は、君が鳴らせばいい」


「え?」


 唐突で、意味がよく分からないことを言う父。輝は、こう重ねる。


「こんなに暗い夜の街で、晃陽はよく頑張ったって話さ。この世界は自動的に夜が明けることになっているけど、人の心はそうじゃない。心の夜明けは、君自身が決めるんだ。何のために、夜明けの化身みたいな名前を付けたと思っているんだい、くん?」


 晃陽は欄干から手を離し、父の目を真っ直ぐに見た。輝も、それにならう。


 いつしか、東の雲が、茜色に染まっていた。


「何かを間違えても、何かを無くしても、それと同時に、君の守ったものや得たものは、どこかに必ずあるはずだよ。だから僕は、


 視界がぼやけるのは、朝の光のせいだろうか。


「お疲れさま、晃陽。冒険は、楽しかったかい?」


 泣き声が街に響かなかったのは、父の胸に顔を埋めていたおかげだ。




 少年の物語は、こうしてほろ苦い痛みと、後悔を残して幕を閉じた。


 だが、いずれ彼は前を向くだろう。何故なら、彼には彼に優しく手を広げて待っている世界と、友と、家族がいる。


 それは今ではない。今はただ、一人の、普通の男の子として、誰にも見せられなかった弱音を吐き出さなければならない。


 黄昏街たそがれまちに、日が昇っていた。その暁を告げる鐘の音は、遠く、未だ、鳴らない。


『黄昏街と暁の鐘』  終





































































































 こらこら。



 何を勝手に終わらせているんだい?



 



 お前に訊いているんだよ。


 せいぜい無知な少年を操ってやったと笑っているのだろうけどね。


 だとしたら、なぜここにいたって唐突に物語を終わらせようとしているんだい?


 今一度訊こう。


 何を恐れている。


 彼が怖いか。


 そうか。


 ならば黙って見ていろ。黒幕気取りの三文脚本家が。


 手番は彼に移った。もうお前に動かせる駒はない。


 彼に宿る“光”が、まだ終われないと叫んでいる。


 ―――すまないね。妙な横やりが入った。


 では、改めて、少年の物語を続けよう。


 どうか、最後までページをめくり続けてくれるとありがたい。


 読書の相方に、トッポはいかがかな?




黄昏街と暁の鐘 第三章 少年の物語 

第52話『少年の物語、本当の始まり』

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