第54話 もがく少年の物語㊦

 夏休みの直前。その日は、唐突にやってきた。


「え? ひかり……って、誰だっけ」


 登校中に会った貴江きえの一言から始まった一日を、れいは一生忘れないだろう。


 一年生ながらクールな優等生で通っていた黎が、誰も知らぬ女子生徒のことを口角泡を飛ばして訊いて回る。その豹変ひょうへんぶりを、誰もがいぶかしんだ。昼休みの前に保健室に運ばれ、最終的には救急車がやってきた。


 一時的な錯乱状態ということで寝かされたベッドの上で、もしやと思い自分の世界へと向かった。


 時すでに遅し、だった。


 光は、全身を影喰いに喰われ、道路に横たわっていた。触れようとしても身体が透けてしまったので、影の触手で彼女を神社へと運んだ。あそこにはまだ僅かに神格がある。影喰いは入って来られない。


 失意のうちに現実世界に戻り、さらに一週間後、光の妹、明が神隠しに遭って戻ってきたというニュースが飛び込んできた。


 姉と一緒に迷い込んでいたのだ。影喰いに僅かでも喰われれば、こちらには戻って来られない。ということは、無傷。何故だ。分かっている。光が守ったのだ。


 向こうとこちらは時間の進みが違う。恐らく明が影の街にいたのはわずかな時間だろう。それに、既に光のことは忘れている。会いに行って、話を聞こうと動かしかけた身体は、結局、暁井家に向かうことはなかった。


※※


 ここで、黎の意識は一旦、現在へと戻る。


 光が影の街に囚われたのは偶然ではない。二色町は人口百人の村ではない。何らかの作為が介入しなければ、起こるはずがない事件だ。


 影喰いの思惑だ。


 実体を失くした光が、晃陽の部屋に影の街へと通じる扉を作ったように、また、学校から消えていた多くの人間が、塔の内側へ通じる扉を無意識のうちに繋げていたように、影喰いの王もまた、任意に人間をここへ招き寄せる力を持っているのだろう。


 だが、奴は影の街の中で、出入り口の無い塔に幽閉されており、自力で現実世界に脱出することは叶わない。


 だから、自分に働いてもらおうというわけだ。


 囚われた友を救うべく、仇敵の思惑通り無様に踊る操り人形として。


 しかし―――と、そこで黎は、一つの疑問に行き至る。


 ここまでの展開が、本当にすべて予定通りだとでもいうのか?


 光の救出まで二年という歳月を要したのは、奴の思い通りにはさせないという意地があった反面、彼女の身体を取り戻す方法に関して、まったく打つ手がなかったからだ。


 影無人かげなしびとの自分は、影喰いにどれほどやられても、精神のエネルギーが残っている限り自動的に回復するが、光はそうはいかない。“身体持ち”の影喰いを取り込み、消滅させることはできても、光に身体が戻ることはなく、喰われた身体がほかの影喰いに移ってしまう。


 実はそのときに、塔の内部の影喰いに身体が“転送”されてしまうというミスを犯していた。どのみち、塔の中に踏み込む必要ができてしまったのだ。


 結局、奴の策略通りに事が進んでいるのかと、気持ちが大きく沈んでいたときにひょっこり現れたのが、不思議な―――否、ただただ変な少年・東雲晃陽だった。


 出会い方がおかしく、でも妙に放っておけなくて、ついつい中学でも部活に入れてしまった。光の居場所を無くすわけにはいかないという打算もあったが、それ以上に、彼に興味があった。


 そんな晃陽が、うっかり影の街に侵入し、これもまた何故か影喰いを打倒し、身体を取り戻す剣を手にした。


 その顛末の一部始終を陰で観察しながら、黎は「まさか」と思った。


 晃陽という、特異な疾患を持つ以外には何ら特別なところの無い、親の仕事の都合で偶然この街に越してきただけの人間を、“計画”に組み込んでいたとでもいうのか。


 あり得ない。とは言い切れない。それほどまでに規格外の存在であることを、黎は身をもって知っていた。ならば、より一層、光の救出は慎重でなくては。絶対に奴を影の街から出さず、光だけを助け出す。


 どんな犠牲を払ってでも。自分が、二度とあの世界に戻れなくなっても。


 ―――そうか。


 黎は、ようやく先の問いの解答に辿り着いた。


 光の戻った世界に、自分はいらない。いつの間にか、そんな風に考えてしまっていた。所詮自分は異世界からやってきた、人ならざるモノ。どういう訳か人間の如き意識や心を持って生み出された怪物だと。


 その自分に居場所を与えてくれた人は、その未来に、小暮黎という存在が必要なんだと言ってくれていたのに。


 影すら持たない、暗い闇の底で生まれた自分を見つけてくれた


 大切な物を、知らず知らず裏切っていた自分には、お似合いの結末ということか。


 でもな、


 黎は意識をより鮮明にさせながら、自らの内側に蠢く影と、眼前に揺らめく影に言い聞かせる。


 お前らの好きにはさせない。絶対に、光のいる世界は守り抜く。


 事実として、それは達成されつつあった。それでも、影喰いを率いる者は決して黎の目の前からいなくならない。


 まるで、こうなることすらも予定通りであるかのように。


 いいぜ。


 何時間、何日、何年でも、もがいてやる。足掻あがいてやる。


 全部を間違え続けた俺ができることは、もうそれしかない。


 願わくば。


 影の王と同じく、自分が“手駒”として扱った親友が、自分との友情をまだ感じていてくれればいいと思った。


 黎は、この物語の最初からずっともがき続けてきた少年は、本人が思っているよりもなお一層、


 場面は、現実世界へと戻っていく―――。

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