第二章 影喰い

第27話 眼鏡の効用

『シノノメ・レポート#54.5 作成者:調停員 東雲晃陽


 日本時間2030年4月18日。

 AM4:30:00

 天候:不明


 “世界”からの交信。一時途絶。


 “影の街”での一週間にも及んでいた調査中、“影”を滅し退ける退魔の剣(デイブレイカーと名付ける)を手に入れ、現地にいた謎の少女の身体を取り戻すことに成功した。


 が、現実世界からやってきた友人の説得に応じ、現実世界への帰還を決定。心配をかけた両親や友人に、深く謝罪するとともに、アルケアカンドとの交信を、一旦終了することにした。向こうからこちらに返信が来たこともないし。構わないだろう。


 朗報もあった。“影の街”で共に戦う協力者を得たのだ。その名は、小暮黎。あいつと一緒なら、きっと、すぐに“影”を全滅させ、あの少女も救い出せるはずだ』


 ―――などと考えていたのが甘かった。


「はぁ~」


 晃陽こうようは、大きな溜息を吐くと、ホームルーム前の教室の机に突っ伏した。身体は疲れないはずなのに、徒労感が全身にのしかかっていた。


 今朝前ページで、黎と勇んで出かけて行くまでは良かったが、結果は散々なものだった。


 まったく何の成果もあげられなかった。ただでさえ一週間無断欠席をかましていた身なのに、登校する気がまったく起きない身体を無理やり引きずってきたのだった。


 晃陽の黎への信頼感は、周りが思っているよりも高い。それだけに、失望も大きかった。はぁ。二度目の溜息。


「これ、読んでいい?」


 机に突っ伏した晃陽の頭に、降ってくる声があった。自分のCTを取り上げられるが、拒否する元気もなかった。


「『影を滅し退ける退魔の剣』……くどい。そういうところだよ、東雲くん」

「んあ?なんだ、あかりか」

「……」

「……暁井あけい、か」

「うん。おはよう」

「ぐぬぅ……」


 相変わらず、名前呼びを許さないクラスメイトを半目になって見やりながら、「何の用だ」と問う。


「特に用はない」

「ないのか」

「でも、浅井さんはあるみたいだよ」

香美奈かみなか」


 まだ教室には到着していないクラスメイトの名が出る。


「すっごく心配してた。藤岡さんも」

「ああ、分かってる。だからこんなに疲れている」


 “影の街”で黎と駆けずり回った足で、朝っぱらから月菜つきなの朝練の手伝いをさせられた。


「自業自得」

「分かってる。明も―――、悪かったな」


 無視されないように言い直す。


「私はいい。別に心配してなかったし」

「それは嘘だな。だったらわざわざ夜中に俺の部屋に忍び込んできたりしないはずだ。腰まで抜かして、それでも黎についていこうとしてくれたんだろう」

「む……」


 実際、嘘だった。だが、明は持ち前の意地っ張りの虫を前面に出し、威嚇する子犬のように低く唸るばかりだ。


「そう思うなら、それでもいいけど……」

「ああ、そうするよ。ありがとう、明」

「……なんで名前で呼びたがるの」

「友達だからな。名字呼びなんて、よそよそしいだろう」

「うーん、どうなんだろ。私は結構、仲良くても名字で呼んじゃう。まぁ、東雲くんとは友達じゃないから別に関係ないけど」

「ぐぬぬぬ」

「……えーっと、あの、さぁ、用事って程じゃないんだけど―――訊きたいことがさ、あってさ」


 明は唸る晃陽を無視し、淀みながら言う。怪訝な表情の彼に話しかけるもう一つの声によって、その謎は解決した。


「こうちゃ~ん、おはよ~。ふふ、眼鏡かけてるね~」


 香美奈が、始業のほぼギリギリにやってきた。のんびりとした口調で、晃陽の、新しい特徴を言い当てる。


 そう、彼は今日から眼鏡をかけ始めていた。


「目ぇ、悪かったっけ~?」

「去年から少しずつな。俺は疑似電脳潜行ダイブによる視力矯正が受けられないから、ずっと薦められてたんだが、気乗りしなくてな」

「それで、なんか気持ちが変わったんだ?」

「……まぁな。あー……悪かったな、香美奈。心配かけて」


 晃陽のミス―――とは言えないが、その言葉の選択は、ちょっとした失敗だった。その謝罪を聞いた瞬間、香美奈の整った顔が、崩れ、表情が雪崩のように泣き顔に変わっていく。そして、教室中に響き渡る大号泣。


「うわああああぁぁぁぁん!!!! そうだよぉ! なにいなくなってんだよぉ!! 心配したよぉ! 帰ってきたらメガネ男子になってたよぉ……落ち着いた感じになって似合ってるよぉ……」


 後半はしゃくりあげながら、ごく小声で言われたのだが、難聴ラブコメ主人公じゃない晃陽の鋭敏な耳は、決して聞き逃さなかった。


「本当にすまない。あと、似合ってるか。ありがとう」

「くそぅ、サラッと聞き流すとかねぇのかこいつぅ……」


 でもそういうところが好きなのである。不憫な女子である。


 結局、香美奈の大号泣で、多少よそよそしかったクラスの雰囲気も和らぐ格好となった。


 あとは―――と、明が晃陽をじろりとにらむ。


「どうした?」

「……ちょっと眼鏡かけたくらいで、私は思ってないからね、そんなこと」

「何が?」


 明はむくれっ面で、自分の席に戻っていった。


 晃陽は訳が分からない。仕方なく、香美奈を慰める女子たちの輪に加わる。


 眼鏡の晃陽の効用は、確かに存在したようだ。

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