第26話 東雲晃陽

「ダメだ」


 漆黒の塔が見下ろす未明の街。二色神社の境内で、れいが、「帰ろう」と言ったときの晃陽こうようの返答だった。


「ダメだも糞もないが、一応訊いておく。どうしてだ」


 黎の抑揚を押さえた声に、晃陽はこう返す。


「黎。ここは、俺の世界なんだよ」

「お前の世界だと?」

「これを見てくれよ」


 晃陽は、喜色満面の笑みで黎に剣を出して見せる。


「この街で、力が欲しいと願ったら出てきた。すごいと思わないか」

「確かにな」

「だろう。きっと、俺は選ばれたんだ。この街と、あの暁井あけいあかりを救うために」

「晃陽」

「今はまだ、見ての通りまだまだだ。これからは修行の日々だな」

「晃陽」

「なに、やってやるさ。何しろ、俺は―――」

「晃陽!」


 黎の、たまらずといった風な叫び。晃陽が押し黙った。その大きな目は、今、過度な光に彩られ、しかめ面の黎を映していた。


「分かった。お前の話は分かったから、とりあえず、一旦帰ろう。な?」


 その声色に、弱り目を感じなかった晃陽ではない。だが、敢えて否定の声を出す。


「いや、やはり、駄目だ」


 帰り方は、既に検証済みだった。


 この街は明け方のまま時が止まっているようで、肉体的な疲れも感じないのだが、体感で数時間か数十時間に一度ずつ、どこからともなく鐘の音が聞こえてくる。その音がする間に、晃陽の部屋に戻れば現実世界に帰還できる。注連縄しめなわも、その方法で“転送”したのだ。


 だが、晃陽に帰宅の意思はない。


「また来ればいいだろうが」

「俺の部屋に通じた扉が、またいつ閉じるかも分からないだろう」

「それはそうだけど、ずっとこっちにいたら、お前も戻って来られなくなるぞ。それでいいのか」

「……構わない」


 晃陽は、真っ直ぐに黎の目を見て言った。先ほどまでの過度な輝きは無いが、それでも、その目には光が消えていない。“役割”を見つけた者の、喜び。


「黎だけ、先に帰っていてくれ。こっちなら、飲食や睡眠の必要もない。心配はいらない」

「するに決まってんだろ!!」


 叫び声が、無人の街にこだました。


「さっきからなんだよ! 自分の話ばかりベラベラベラベラ。何がお前の世界だよ。ここがお前の言ってたアルケアナントカなのか。こんなところであんなわけのわからねえ化け物相手に剣を振り回すのが、お前の使命? ふざけんな! 少しは、自分の周りの人間のことも考えろ!!」


 黎の剣幕。だが、晃陽は静かにこう言った。


「―――考えたら、俺は黎や、みんなと“一緒”になれるのか」

「一緒?」


 晃陽は口調こそ静かだったが、その内心ではさざ波が立ち、ややあって、荒波へと変わっていったようだった。


「そうだ。電脳潜行ダイブができるようになって、情報海オーシャンに行けるようになって、そんな風に、みんなと一緒になれるのか。

 いや、分かってる。それは無理だ。絶対に無理なんだ。生まれつき、そういう風に俺は生まれてきた。

 なんで俺だけなんだって、母親に言ったことがある。そのとき、あの人は泣いた。悪いことをしたと思った。だから、せめてこの世界で何か“役割”を見つけようと思った。

 世界アルケアカンド? 調停員? そんなもの、ただの妄想だ。分かってる。俺はな、分かってるんだよ、黎」


「晃陽……」


「俺に、現実あっちの世界は、相応しく、ない……っ」


 その光る双眸そうぼうから、滴が一つ、二つと落ちてきた。


「将来、高校や大学の授業が情報海オーシャンで行われるって話を氷月先生から聞いた。親が俺のいないところで相談しているらしい。就ける職がないかもしれないって。

 黎、俺は、どうすればいいっていうんだ。生きてるだけで、色んな人を心配させる。こんな俺が、戻っていってどうすれば……」


 晃陽が、顔を伏せた。いよいよ前を向いていられなくなった。せきを切った感情が、溢れて止まらない。両手で、前頭部を抱え込み、震える声で最後の思いを吐き出す。


「俺は……っ。……っ」


 ―――バキッ!


 拳が、肉を打つ音が響いた。


 晃陽が顔を上げた。


 呆けた声で言う。


「……黎? どうした」

「こっちの事情だ。気にするな」


 黎が、自分で自分の顔を殴りつけた拍子に切ってしまったか、口から血を滴らせて言う。


 半透明の少女が、不安気にこちらを見ていた。見ると、肩から左半身の胸にかけても元に戻っている。


 黎が、それを横目でチラリと見てから、晃陽に再び向き直った。


「……じゃあ、行くか」

「家には―――」

「帰らない。あの“影”を倒すんだろ? 俺も行くよ、晃陽」

「え?」


 黎は白い歯を見せて笑い、境内に膝をついた。


 正座。一週間前のあのときとは逆の構図。


 そして、そのまま頭を下げた。


「ごめん、晃陽」


 晃陽は先ほどから呆気にとられたまま、困惑するばかりだ。黎は、額を境内の石畳に付けながら言う。


「俺も一緒に、お前の“使命”を手伝うよ。お前を一人にはしない。だから―――恥ずかしいなんて、そんなこと、もう、言うなよ」


 言いながら、ゆっくり顔を上げる。いつの間にか、晃陽がその目の前にいた。


「心配かけて、ごめん、黎」

「かけていいんだ。友達だろ」


※※


 ―――その日の朝。とある地方のローカルニュースから、行方不明になっていた少年が発見されたという情報が発信された。


 捜索していた地元警察が聴取を行ったものの、少年の発言が要領を得ないものだったこと、健康状態は良好だったこと、事件性が確認できないことなどから、「単なる家出」とされ、捜査終了となった。


 地元の一部住人からは、二年前に街で起こった『神隠し』の再来ではないかと噂が上がったが、から、すぐに立ち消えた。



 そして、さらにその翌日の未明。


「お邪魔します」

「玄関から入ればいいじゃないか」

「ご両親と鉢合わせる危険性があるからな」

「その手に持ってるのはなんだ」

「ボウガン。家にあった」

「どんな家だ。まぁ、“影”は俺の剣でしか滅せないが、気休めくらいにはなるか」

「せいぜい頼りにしてるぜ。夜明けをもたらす者デイブレイカーに選ばれし“調停員”さん」

「……そうだな」

「お、まだその設定生かすのか。強情だなぁ晃陽は」

「うるさいぞ、黎―――そろそろ時間だ」

「よし、行くか」

「ああ、この世界の謎は、俺が解き明かす」


 少年は、新たな冒険に踏み出していった。

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