第21話 影の街の証明

 晃陽こうようは、影の街を歩く。

 また、あの“影”に襲われるとも限らない。

 慎重に、冷静に、しかし、立ち止まらない。


 二つ、目的があった。


 一つは、いつの間にか消えてしまったあの少女を再び見つけ、自分の世界に連れて行くこと。


 もう一つは、あの頭の固い親友れいに、“影の街”を証明すること。


 まずは、昨夜と同じく、二色神社に向かう。


 それにしても、あの塔―――。


 最初に見たときは、恐ろしいばかりだったが、こうして目に慣れてくると、不思議な既視感に襲われる。どこで見たのだったか。


 二色神社に辿り着く。幸い、“影”に会うことはなかった。


 境内を歩く。数時間前の夕刻までいた場所と、同じ場所とは思えない。


 とにかく、と、社殿に入る。


 ―――いた。


 少女は床に、こてん、という感じで眠っている。

 白い肌。短い黒髪。長いまつ毛の目と、小さな鼻と口。

 出戻り転校生、暁井明あけいあかりと瓜二つな文字通り透き通った身体。


「―――暁井、起きろ」


 今日はあっさりと目を覚ました。少女は晃陽を認めると、微かに微笑む。半透明であること以上に、とても儚げな笑み。


「行くぞ。今日こそ帰る」


 晃陽は、昨夜と同じく先の取れた大麻おおぬさの棒を差し出す。少女はそれを手に取り、グッとその身体が引き上げられた。にこり、と笑った。


 これもまた昨夜とまったく同じ順路で家路を辿るが、社宅の前まで来たところで、晃陽は立ち止まり、こう言った。


「暁井、お前は先に俺の家にいてくれ」


 少女が、困惑したように眉をひそめ、首を傾げる。


「用事を済ませたら、すぐに戻ってくる」


 言うと、あの用水路に落とした注連縄しめなわを取りに向かう足を踏み出す。


 実は、黎に持ち帰っていた大麻を見せようと思っていたのだが、麻たる紙の部分が取れてしまっていて、これではその辺で買ってきた棒だと思われるのが関の山だと思った。太鼓のバチにしても同様だ。


 だが、注連縄ならば、動かぬ証拠だ中学生に購入できるものではない。。


 泥棒として警察に突き出されるという想像はしない程度にお気楽な晃陽だったが、やはり、あの“影”と対峙するのは恐ろしいのか、少々その足取りは重かった。


 向かうは、南北に伸びる用水路の北側。作業用の梯子が掛かる場所。


 二年前、「河童がいる」という根も葉もない噂を信じたときのように、張り巡らされたフェンスをよじ登り、梯子を下り、水の無い水路に降り立つ。


 今回は、日が暮れるまで説教する大人たちがいない。

 つまり、何が起きても助けはこない。

 晃陽は、大きく息を吸い、吐く。


 いつまでも明けない空と同じく、“静止”した水の上を歩き出す。


『―――!!』


 やっぱりか。という思いがあった。“影”が、こちらに向かってくる。


「……ッ」


 意地を張っている。ムキになっている。頭の冷静な部分がそう言っていたが、それでも晃陽は走り出した。


 三体の影が、猛然と走り込んできた。

 どうやら、この影たちは三位一体のようだ。

 よほどのことがない限り、三体同時に揃って動く。


 ならば。


 全速力で走る晃陽に、正面からとびかかってくる。

 そのタイミングで、晃陽は影の頭上をスライディングでかわした。 

 彼の運動能力からもってすれば、またもや奇跡的なことであった。


「よし!」


 体勢を立て直しながら、息も切らさずに歓喜の雄叫びを上げる。これも、ようやく分かってきたことだが、この街にいる限り、晃陽は疲労しない。いつでも全力疾走ができる。


 落ちていた注連縄を掴み、身体に巻き付ける。元来た道を戻ろうとすると、再びあの猛った鳴き声。


「邪魔だッ」


 注連縄を振り回し、飛びかかろうとする“影”を薙ぎ払う。一瞬、できた隙をついてやり過ごし、梯子へと向かう。


「もう少し、もう、少し……」


 急いで梯子を上る。


「来るなよ、まだ、来るなよ」


 フェンスまでたどり着く。


「よし、あとは―――」


 だが、そこまでだった。


「……ッ!」


 痛みは無い。


 代わりに、この世のものならぬ強烈な違和感が全身を駆け巡った。


 “影”に、足を齧られたようだ。

 さらにもう一体、“影”が晃陽の腕に飛びついてきた。

 身体のバランスが崩れる。落ちる。瞬間、身体が浮き上がった。


「暁井!?」


 フェンスによじ登り、晃陽が身体に巻いた注連縄を必死に掴む少女の姿。


 来てくれていたのか。そう思ったのも束の間、小さな身体では晃陽を引っ張り上げることは果たせず、共に落ちていった。


「暁井!」


 怪我だけはさせまいと、必死に抱き寄せる。だが、すり抜けてしまう。ならば、と、せめて、背中にやってくる衝撃に備える。


 ―――だが。


 固く閉じた瞼に、眩い閃光が差し込んだ。


 背中に衝撃は無く。代わりに、手に重い感触があった。少女のものではない。何か、握りの良い棒状の―――


「え?」


 晃陽は、いつの間にか用水路に立っていた。

 その手には、両刃の剣。


『―――!!』


 “影”たちが、それと分かるほど、身を竦ませていた。


 晃陽は、それを見て理解した。


 この剣は、力だ、と。


世界アルケアカンドへ。調停員、東雲晃陽。この世界の闇と会敵。交戦を開始する」


 いつも通りの意味不明さだった。


 しかし、声質が、いつにも増して冴え冴えとしていた。


 謎の剣。“影の街”の証明が、思わぬところで、できてしまった。


「……かかって来い、“影”ども」


 晃陽が、唸る“影”に向かって駆け出す。その顔は、笑っていた。


「ここは、俺の世界だ」


 我知らず、そう叫んでいた。

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