第18話 先輩と後輩、黎と貴江

 晃陽こうようが本日三度目の一席ぶったところで、貴江きえがはぁー、と息を吐く。


「そんなことがあったんですか。晃陽くん、怪我はなかった?」

「問題にもならん。あの程度の“影”に俺はやれん」

「いや、三好先輩、間に受けないでください。まだやべータイプの夢遊病って線が残ってますから」

「そうなの?」


 貴江が、それはそれで心配だ、という顔。晃陽のドヤ顔が渋面に変わる。


れい、そんな線がどこにある」

「俺の中。かなり太めでな」

「太め」

「それでですね、三好先輩」


 黎が話を続ける。絶句した晃陽は、ほったらかしだ。


「このアホに、社殿の中を見せてやってくれますか」

「うん。頼めば開けてくれるとは思うけど、何にもないよ?」


 それには、晃陽が答える。


「それは、自分の目で確かめる。貴江、なんとかしてくれ」

「はい。じゃあ、ちょっと待っててね」


 貴江が席を外す。


「あら、中坊どもじゃない、どしたの?」


 と、入れ違いに、貴江の母親、奈江なえがやってきた。背格好と顔は貴江によく似ているが、目だけが違い、垂れ目の娘とは逆にこちらは活発そうに吊り上がっている。声も言葉遣いも、サバサバとしている。


「お昼ご飯、食べてく?」

「いえ、おかまいな」

「食べて行きなさい」

「じゃあなんで一旦訊いたんですか」


 黎が呆れ、晃陽が腹の虫を鳴らす。奈江は、そんな二人の男子中学生二人を順番に見つめ「うふふ」と、笑った。


「うちのきーちゃんもいよいよってお年頃に入ってきましたなぁ」

「どういう意味だ? 黎」

「知るか。ホントになんでこのオッサンみたいなお母さんからあんな娘が生まれてくるんだいだだだだ!」


 黎が、あっさりと背後を取られ頭をグリグリとやられている。何事もスマートかつクールにこなす彼にしては、珍しい光景だった。


「イケメンだからって生意気なのが許されるのは中学生までだからね。教育的指導!」

「分かったから離せよ奈江さん!」

「分かればよろしい。ほら、晃陽くんだっけ。あなたもそこそこ良い感じではあるけど、そのキャラは後々苦労するんじゃないの~」


 晃陽が矛先を向けられたが、こちらは、まったく動じない。


「心配には及ばない。仮の姿を演じるのは、慣れているからな」

「そう、ですか?」


 奈江は意味が分からないという表情だ。黎が、助け舟を出す。


「重傷を自分から告白していくスタイルなんですよ」

「うるさいぞ、黎」

「ふふ。黎も随分丸くなったね。最初に貴江が家に連れてきたときなんか、小学生とは思えない他人行儀ぶりだったのに」

「そうなのか」

「そうなのよ! あの貴江が男の子の友達連れてくるだけで大事件だったのに、それがこんな綺麗な顔した子で! こりゃああの子も将来安泰だと思ったねぇ」


 奈江が晃陽に向け勢い込んで喋るが、「でも」と、少しトーンを落とした。


「最近はちょっと倦怠期っぽいし、ちょっと変だけど悪くない乗り換え先も見つけたって感じ?」

「そもそも付き合ってませんから」


 黎は本気で迷惑そうに言う。


「前はね、貴江ちゃん、貴江ちゃんって呼んで、敬語も使わなかったのにねえ」

「聞けよ人の話」

「んもぅ。怒らないの」

「……」


 黎が黙ってしまった。


 奈江は、「ひょっとしておばちゃん、ちょっとからかい過ぎた?」と、晃陽に訊く。


「大丈夫だと思う。黎は、今もちゃんと貴江のことが好きだぞ」

「え!?」

「え!?」

「ひゃっ!?」


 黎、奈江、そして居間にいない第三者の素っ頓狂な声。


「なんだ、いたのか貴江」


 と、晃陽がふすまを開け、やり取りをずっと聞いていたらしい貴江に訊く。


「どうだった? 行ってもいいのか」

「あ……はい」

「待っていろ“影”ども!」


 晃陽は、曖昧な頷きを返した赤面少女には目もくれず、風の如く走っていった。どこまでも我が道を行く男だ。三人が、竜巻でも過ぎ去ったようにその背を見送った。


「意外な攻撃力ね、あの子」と、奈江。

「何言ってるんですか」と、黎。

「そうだよ、お母さん。私がいないところで恥ずかしい話しないでよ」と、貴江に言われた奈江は、そっと立ち上がる。


「……じゃあ、ここは若いもん同志ってことで」

「「聞けよ(聞いてよ)人の話!」」

「お昼用意してきまーす!」


 奈江は、娘とその彼氏(候補)に怒られた楽しそうに笑いながら部屋を出ていった。


 かくして、二人きりになった黎と貴江だが。


「まったく、相変わらずですね、先輩のお母さんは」

「ね? 本当に……」


 そこで会話が止まってしまう。

 居心地の悪い類の沈黙。


「部活、どう?」

「まぁ、何とかやれてますよ」


 黎は、貴江のぎこちない質問に、ぎこちなく返答する。


「ごめんね」

「何で謝るんですか」

「私立の中学蹴って、一緒の学校にいてくれたのに、一年でいなくなっちゃって」

「三年生だったんだから、当たり前でしょう。それに、二色南に入ったのは、俺の意思です」

「そうだったね。で、文芸部に入ってくれて。二人だけだったけど」

「……一応、もう一人いたでしょ」

「あ、そうか。名前だけ貸してくれた子がいたんだっけ」

「そう、ですよ」

「でも、実際は二人っきりで、また、黎を一人ぼっちにしちゃって」


 並んで座り、お互いに正面を向いて話を続ける。二年が空けた、微妙な距離感。


「だから、ごめん」

「別にいいですって」

「うん。だって、新しい友達、できたんだもんね」

「三好先輩の中の俺って、そんなにぼっちキャラですか」

「そうじゃない、けど。どんなに周りに人がいても、黎は、いつも一人だから」

「そんなこと、ないですって」

「そう?」


 そこで、今日初めて、二人の目が合った。互いの黒目に、互いが映る。


「晃陽くんと仲良くなって、ホッとしたなぁ」

「かなりゴリ押しでしたけどね」

「黎には、それくらいが丁度いいんだよ。それに、結構可愛いじゃない。いっつも何かに夢中で、一生懸命で」

「……あんなのが?」

「ん? ひょっとして今、妬いた?」

「……!」


 黎の目に映った少女の顔が、悪戯っぽく笑った。

 あの母親の遺伝子がよく受け継がれていることが分かる。


「いや、別に。趣味悪いんだなって、思っただけだよ」

「あ、敬語取れた!」

「なっ……!」

「その調子で先輩も取ってみようか」


 ぐっと顔を近づける貴江。守勢に立たされる黎。吐息を交換し合うほどの距離で言葉を交わす。


「ね? 黎」

「……き、きえ―――」

「黎、ちょっと来てくれ」


 無遠慮で一本気な晃陽おじゃまむしがやってきた。二人が神速で離れる。


「どうした、友よ」


 黎の慇懃いんぎんな口調も意に介さず、晃陽は熱っぽく言った。


「無いんだよ。俺が今朝、ここから持って行った物が、全部」

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