第17話 二色神社の巫女

 午前十一時。


 入学式・始業式がつつがなく終わり、生徒たちがそれぞれの予定と明日からの期待と不安を抱えて家路につく頃。


 晃陽こうようは、全速力で図書準備室の引き戸を開けて、こう叫んだ。


「扉が開いたぞ、れい

「開けたのはお前だ」

「そうじゃない。異世界への扉だ」

「それもほぼ毎週開いてるだろ、お前の頭の中で」

「……いいから聞けよ、黎」


 すっかりオオカミ少年な晃陽はしかし、めげない。


「はいよ」


 黎がめんどくさそうに頷くと、あかりにしたような冒険譚をぶち始めた。


 ―――十分後。


「―――そして、朝起きると世界は元に戻っていたんだ。どうだ、黎。いよいよ街に巣食う闇が現れたんだ」

「……んあ? 終わった?」

「黎、お前、寝ていたのか」

「寝てない寝てない。ちょっと目を閉じて円周率を暗唱してたんだ」

「いずれにしても聞いていなかったってことだな」


 十分間も暗唱できる能力に驚嘆しつつ、少し落ち込む晃陽。


 黎はそれを見てにこりと笑い、立ち上がる。


「聞いてたって。さ、行くぞ」

「どこにだ」

三好みよし……じゃなくて二色神社。お前も顔見知りだろ?」

「……まぁな」


 晃陽が少々憮然ぶぜんとした表情になったのは、理由がある。


 ―――小学六年生の秋。


 親の転勤に伴い引っ越してきた晃陽は、早速、この街の晩鐘に目をつけ、調査に乗り出した。


 夕刻になると現れる魔物を封じる鐘だとか。その逆に妖を呼び出す鐘だとか。

 神社の鐘つき堂の傍で張り込みを続けると、そこに人間が現れた。

 夕暮れ、カラスが、街の北にある森へと帰って行く時刻だった。


 長い黒髪の巫女。

 歳の頃は、少し上。

 体型は細く、垂れ目で丸顔。


 晃陽は彼女の立ちはだかった。


「あら? 参拝の方ですか」


 しかし、相手はにこにこと笑みを浮かべながら応対してきた。晃陽としては敵愾心てきがいしん満々で現れたつもりが、これはまずいかもしれない。どことなく、自分の母親と同じ匂いを感じる。


「この時期は陽が暮れるのが早いですから、お家が遠かったら、早めに帰った方が良いですよ」

「それには及ばない。家はこの辺りだ」

「そうですか。ご近所さんなんですね」


 ―――しまった。相手に自分の住所を気取られた。何たる失態。


 晃陽はすっかりペースを乱され、いろいろと考えてきた、独りよがりな展開と脚本をすっ飛ばして言った。


「この鐘はつかせんぞ!!」


 唐突かつ脈絡もなく、それでいて意味不明な叫びに、神社に居座っていたカラスたちが「カァー」と応えた。


「……ん?」


 巫女の少女は、しばらく小首を傾げていたが、やがて言葉の意味を理解したらしく「ええー!?」と、困惑を声で示した。


「それは……ええと、困ります。私、お父さ……父から頼まれてて」


 少女はあわあわと不明瞭な説明を続けるが、晃陽は耳を貸さない。


 お互いに、すっかりテンパっていた。


「調べさせてもらおう」

「あ、危ないですよ……」


 そうやってずかずかと鐘つき堂に向かう晃陽の首元を、掴む手があった。


「何やってんだ、お前」

「!?……よく俺の後ろを取ったな」

「普通に歩いてきただけだぞ」


 襟首を掴んだ少年の呆れた声。

 晃陽は、まるで悪さをした猫のような体勢で、虚勢を張る。


「何の遊びなんだか知らないけど、人の仕事を邪魔しちゃダメだぞ。貴江きえちゃん、今のうちに」

「あ、うん。ありがとうね、れい


 黎と呼ばれた少年が笑顔で頷く。

 晃陽の目に、その笑みは、どこか寂しさを含んだものに見えた。

 だから、その隙に逃げ出した。


「あ、待て!」

「フハハハハ! 今日のところはここまでだ!」


 完全に小物な捨て台詞で駆け出した晃陽。逃走ルートは決めていた。神社の北側。自宅方面の行き止まりとなった生垣に、ちょっとした隙間がある。


「さらばだ。ハハハハ……って、あれ?」


 勢いよく突っ込んだ。バキバキバキ、と生垣が壊れる音がしたが、晃陽の身体も上半身を突っ込んだ体勢で止まってしまった。身体が小さかったので行けると踏んだが、ランドセルを背負っていることを忘れていた。凡ミスだった。


「……マジで何をやってるんだお前は」

「……」


 黎がうんざりした口調で言う。晃陽も、正直分からなくなってきていた。 


「あの鐘が気になったのか。どうしてだ」

「鐘はお寺にあるものだろう。なぜ神社にこんなものがあるんだ」

「お、結構詳しい。でも神仏習合についてはまだ勉強不足みたいだな」


 黎の声に、少し楽しそうな色が宿る。


「やるならやれ。だがな、俺一人を殺したところで世界アルケアカンドの調停員はまたやってくるぞ」


 などと供述している尻を、蹴っ飛ばした。

 どこぞの“調停員”様が「ぎゃ!」と鳴きながら歩道に飛び出ていった。


※※


「あれは笑ったな」

「そうだね」

「ぐぬぬ」


 ところ変わってここは二色神社に隣接する三好家の居間。珍妙な初対面の思い出に笑う黎と、黎の文芸部の先輩で現高校二年生の三好貴江。それに渋面を返す晃陽は、出されたお茶をぐっと飲み干した。


「で、今日は何が起こったんですか。晃陽くん」

「街が“影”の侵略に遭っている。このままではこの世界が危ない」

「ええ!? 怖いですね」

「だからこそ、この神社の結界を確認しに来たのだ」

「結界? そんなものがあるんですか」

「待て待て待て」


 貴江が本気で怯えた声を出すものだから、晃陽が増長する。話があらぬ方向に行きかけたのを、黎が制した。


「その設定は俺も初耳。訊きたいのはそれじゃなくて、女の子のことだろ」

「女の子? なにそれ」

「あのですね、、どうせまたこいつの病気だと思うんですけど―――」


 名前ではなく、名字で呼んだ黎に、貴江が一瞬寂しそうな顔をする。その表情を晃陽は見逃さなかった。


 それは、いつか黎が見せたものと、よく似ていた。

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