第15話 始業式の朝・少女たちの場合
「明、今日から学校でしょ? 早く起きなさいよ」
「起きてるよ……お母さん……」
ドア越しの母の声に、ベッドの中でもぞもぞゴロゴロ動きながら答える。
「……だめだ」
始業式って、特に何もないよね。なら今日は行かなくても良くないか。
身体が怠い。低血圧だから。決して、新しい学校が不安で眠れなかったわけじゃない。めんどくさいだけ。友達作るのなんて余裕だし。むしろいなくてもいいし。東京ではいなかったけど、なんとなく上手くやれてたし。やれてたか。やれてたよ。うるさい心の声。
「明、どうしたの? 体調悪いの?」
「起きてこないのか」
母の不安気な声に父の声も重なった。一人娘に過保護な両親。それを表すかのような、このやたらと広い自室。一家総出戻りの我が家。大事にされている。分かってる。でも少し
「―――むん!」
気合を入れて起き上がる。低血圧に負けられるか。新しい学校に負けてたまるか。転校は二回目だ。次は上手くやれる。
「そうだよ。ちゃんと知り合いだっているんだし」
どこぞの愉快な
「あんまり気を張らなくていいんだよ。ゆっくりやりなさい」
父が、のんびりと朝のコーヒーを飲みながら言う。この四月から、文字通り重役出勤となった。
「うん」
生返事だ。
暁井明、中学二年生。
一人だけ、真新しい制服。
戻ってきた、二色町。
嫌な記憶。
「はぁ~」
大きな溜息を吐いた明と、いよいよ休ませようか検討を始めた両親を、玄関のチャイムが呼んだ。
『明ーっ! 一緒に学校行くぞっ』
『藤岡さ~ん、朝から元気だね~。でも、お家の人にご迷惑じゃないかな~』
正式な転校前に出会った、二人の友の声。
明の身体から、ホッと力が抜けた。
「ねぇ、お母さん」
「なに?」
「もうちょっと朝ご飯食べるから、二人、ちょっと家に上げてもいい?」
娘の微笑みに、母もまた、ホッとした表情を浮かべた。
※※
「ふわあああぁ~、ねむ~い。でも逆にテンション上がる~。変な気分~」
「香美奈の奴、寝たの朝の四時らしいぞっ。明はちゃんと寝たか?」
「私も、あんまり。藤岡さんは?」
「あたしは毎日九時間は寝るぞ。学校でも三時間くらい寝るぞっ」
「……そう。ていうか、浅井さん、ホントにキャラ変わったよね」
「だなっ。小暮先輩が言うには「吹っ切れた」らしいぞっ」
「別にそんな立派なもんじゃないよ~。『良い子』を辞めちゃったんだ~」
香美奈の、気だるそうな間延びした声が答える。
ストレートパーマをかけるのを止めた髪は、黒染めまでしていたらしく、今では、地の茶髪で、天然パーマのフワフワとしたセミロングが揺れている。
―――それでも結構美人じゃんか。ずるい。
「そんなことないよ~。明ちゃんだって可愛いよ~」
「……『良い子』を辞めると心が読めるようになるのかな」
「マジかっ。あたしも辞めたいっ」
「学校で三時間寝てる子は無理だと思うな」
ローテンションな文化系少女と、ハイテンションなスポーツ少女、それに、“元”優等生クラス委員長の現ネトゲ廃人少女は、二色南中学校への通学路を歩いていた。
組み合わせが珍しく、それぞれがそれぞれの方向で見目も良い。
道行く同級生・後輩・先輩からの視線が集まっている。
三人は気付かず、取り留めない会話を続けている。
「なんかネトゲ始めたら会話がチャットみたいに見えるようになっちゃって―――その顔やめれ~、明ちゃ~ん」
ダメだこいつ。と、明は口には出さず、でも心は読まれそうなので顔で示した。
「あ、ひょっとして東雲とやってたのかっ」
香美奈が、その足を止める。
月菜が、「ん?」と小首を傾げた。
明が、「お?」と、新しいおもちゃを見つけた子供の顔を見せた。
「なんだ。また香美奈は東雲と夜遅くまでやってたのかっ。あいつから聞いたぞっ。毎晩、「今夜も寝かさないぞ~」って、言われるって」
「ゲームをね!? ゲームだよ!? 目的語までちゃんと言ってね藤岡さん!?」
「ホントにぃ? 実は密会してたんじゃないのぉ~?」
「明ちゃ~ん、どうしたのかな~。急に表情が活き活きし出したぞ~この子~」
「だって、浅井さんってば、お家の部屋にまだ飾ってるんでしょ。東雲くんから押し付けられたあの下手くそな割り箸細工」
「わあああぁぁぁぁ!! なんで? なんで知ってるの? どうやって見つけたの? ちゃんと隠したのに!」
「あはははっ。やっぱり香美奈は東雲がお気に入りなんだなっ」
「うっさい! ていうかお前も同じ穴の狢だろうが藤岡ァ!!」
月菜の天然、明の的確な
かしましい朝の風景。
一つの事件が連れてきた友情の種は、短い期間で花を咲かせたようだった。
※※
「暁井って珍しい名字だよね」
「うん。まぁ。あ、名前あった。浅井さんもいるよ」
「わぁ。私が出席番号一番じゃないの初めてかも~。なんか新鮮~」
昇降口前のAR掲示板に映されたクラス分けを見て、香美奈が感心の声を上げる。
「東雲もいるな。……あたしだけ違うクラスか」
少し寂しげな声は月菜。
香美奈は、ソフトボールで速球を投げる肩に手を置いて、言った。
「
「むっ」
二人を無視して、明は教室に向かおうとした。
―――東雲晃陽、か。
どこがそんなに良いのだろう。
「あ」
と、件の彼がこちらに向かって歩いてきていた。あれ。これは修羅場ってやつになるのかな。―――ちょっとわくわくするんですけど。
「……」
だが、当の御仁は、尋常ではない様子で明の目の前にやってきた。
「……どうしたの?」
少々怯えも混じった声色で訊く。
「お……」
「お?」
「お前が、
「救急車呼ぼうか? 良い機会だから、頭の中身、見てもらおうよ」
うん、やっぱりこの男の何が良いのかさっぱり分からない。分かりたくない。
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