第14話 影の街の少女と、“影”との戦い

 社殿しゃでん内で驚いたことは二つある。


 一つは、横たわった少女の身体が、透けていたこと。


 最初は、白い薄手のワンピースが透けてしまっているのかと思ったが、そうではない。


 美形の輪郭をとる顔、艶やかな短い黒髪も、細い手足も、文字通り透けていた。


 もう一つは、思わず漏れた言葉に集約された。


暁井あけいあかり?」


 あの、小柄で儚げでおとなしそうでいて、結構な毒舌で、一本気な転校生。仰向けに眠っている半透明な少女は、明の顔をしていた。


『―――!!』


 晃陽は身を強張らせ、息をひそめる。四足の“影”が境内に入ってきたらしい。鼻は無いが、匂いは分かるのだろうか。だとしたら、ここも危ない。


 再び身体を伏せ、四つん這いになって、眠っている少女ににじり寄る。


「おい、暁井。起きろ、こんなところで何をスケルトンになっている」


 布擦れの如き声で呼びかける。 身体を揺らそうと、手を伸ばしてみる。だが、触れられなかった。晃陽の指は彼女の身体をすり抜け、床の木目を撫でた。


「うわっ!」


 驚き、思わず、飛び退いてしまった。


 物音に気付いたか、“影”が吠えた。


「イチかバチか、飛び出すか? いや……」


 幸運に自分が逃げおおせても、この少女はどうする。自分に触れないのなら、“影”たちも同じか。どこにそんな証拠が。単なる希望的観測だ。


 ―――自分のやりたいように、やってごらん。


 そんな言葉を貰った記憶だけがあった。いつ、どこで、誰からかも分からない。そんな、晃陽にとって、おまじないのような声が、心臓の辺りから聞こえてきた。


「闇に囚われた街。“影”の獣。謎の少女、か」


 状況を口に出す。


「ククク……」


 笑い声。そうだ。自分の心に従う。そうやってきたじゃないか。


「―――面白くなってきた!」


 あくまでも小声だったが、叫ぶ。


「“世界アルケアカンド”へ。こちら、“調停員”東雲晃陽しののめこうよう。現在通信端末を持たないため、口頭で伝える。

 恐れていた事態が起こった。闇が姿を現した模様。現時刻より、緊急任務を開始する。敵は、謎の“影”三体。仕留めるのはたやすいが、まずは発見した民間人の保護を最優先とする」


 意味不明なことを一人で言い終え、社殿内部を見渡す。


 賽銭箱さいせんばこ

 注連縄しめなわ

 太鼓たいこ

 祈祷のための大麻おおぬさ


「―――よし」


 何か思いついたようだ。そっと、社殿を開け放つ。


 もっと格好良く飛び出したかったが、民間人しょうじょの身の安全が最優先。言い訳だ。本当は怖い。


 “影”は、境内に三匹揃っていた。晃陽に気付いない。索敵能力は今一つ。


「おい、こっちだ間抜け」


 だから、こちらから声をかけた。


『―――!!』


 “影”が、例の唸り声を上げ、晃陽の方に顔を向ける。


『―――……?』


 しかし、その鳴き声に、微妙な困惑の響きが混じる。


 右手には、大麻の先を取り去った棒。

 左手には、神事用の太鼓のバチ。

 身体には、社殿から取り去った注連縄を巻き付けている。


 晃陽が、罰当たり三点セットを身に着けたまま、影を挑発する。


「来い」

『―――!!』


 駆け出す。

 変わらず、身体は軽い。

 アドレナリンが出ているのか。

 理由はなんであれ、ありがたかった。


「たしか、この、先にっ」


 息を弾ませ、境内を真横に突っ切る。壊れた生け垣があり、抜けられることを知っていた。なんとなれば、壊したのは晃陽であるからだ。


 車道に出た。

 自宅近くの道。

 が、家には帰れない。


 晃陽は、用水路へと走る。影は付いてきて『―――!!』いる。後ろを見るまでもない。全速力。


 橋にやってきた。

 注連縄を地面に落とす。

 そこで、“影”が迫ってきた。


 作業をひとまず断念し、用水路沿いを走り続ける。朝夕には人々の散歩もしくは周回ジョギングコースとなっているところで、ぐるぐると鬼ごっこを再開する。


 その途中、晃陽は、狭い路地裏へと入った。

 痩せている彼が通って、ぎりぎりの幅だ。

 影たちも、一匹ずつしか通れないはず。


 路地から抜けた先で、初めて立ち止まる。振り向いて、ズボンに差していたバチを両手で持つ。地面と平行に構える。


 ―――来い!


 “影”が、猛然と迫ってくる。

 晃陽に、細かい計算など何もなかった。

 牙がバチに噛みついたのは、奇跡的な偶然。

 だが、そんなことにいちいち感謝もしていられない。

 とりあえず、小六の時、転校してきてすぐに街中を探索した経験は生きた。


「―――ッ!!そうだ、深く噛みつけ!」


 必死に抑え込む。牙がバチに食い込んだと思った瞬間、両手を離し、大麻の棒を思い切り“影”の頭に叩きつけた。


 ギャン! という、喧嘩に負けた野良犬のような声。

 “影”が怯んだこともまともに見ず、再び晃陽はあの橋へと向かった。


 猶予はあまりない。

 撒けたなどとは思わない。

 倒したなどとは冗談にもならない。

 焦る頭と身体で、注連縄を橋の欄干に巻き付ける。


『―――!!』

「ぬぅ……ッ」


 どう贔屓目ひいきめに見ても結びが甘かったが、仕方ない。


 晃陽は、迫ってくる“影”を認めると、縄の結んでいない方の先端を持った。


「持ってくれよ、頼むぞおおおおお!!」


 叫びながら、晃陽は飛んだ。

 “影”も欄干を飛び越えて襲ってきた。

 空中、眼前、数センチのところまで牙が迫る。

 ガチン! あぎとの咬み合わさる音。当たらなかった。


 次の瞬間、ビン! と、縄が張る。反動に思わず手を離しそうになったが、何とかこらえる。縄も解けなかった。影たちは、為す術なく用水路に落ちる。


 だが、流れていったわけでもない。


 用水路の水はいた。水音がしなかったことで大体は察していたが、この世界は、徹底的に静止している。


『―――!!』

「……やった」


 晃陽は、頼りなく結ばれた縄を慎重にのぼる。

 三匹の“影”は、今も恐ろしい吠え声を轟かせている。

 長い縄でもないが、じりじりとのぼる時間は永遠に感じた。

 そして、上りきった直後、縄は役目を果たしたとばかりに、するりと解けた。

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