第一章 影の街

第13話 塔と“影”

 今朝も、東雲晃陽しののめこうようの朝は早い。


 正確には、早起きではない。そもそも寝ていない。

 つい先ほどまで、非VRのオンラインゲームをしていた。


 こういう夜更かしは、昼頃か夕方に、強烈な眠気に襲われてしまう。


 だが、今日は4月7日。入学式と始業式を終えたら午前で終了だ。帰ったら、昼寝を決め込めばいい。


 などと考えていたら、早くも頭を睡魔に持って行かれそうになったので、外に出て、夜明け前の街を散歩していた。


 自宅の社宅から出てすぐの用水路沿いを、一人、歩く。


 ―――あの廃人め。


 晃陽をこんな時間まで起こしていたのは、香美奈かみなだった。


 いろいろあって、全没入型VR世界である情報海オーシャンに居づらくなった元クラス委員長は、そもそもが潜行障害という生まれつき電脳潜行ダイブのできない同級生に助けを求めた。


 そこで晃陽が薦めたのが、2030年現在では廃れ気味なMMORPG大規模オンラインゲームだった。


 が、それがまずかった。


 手始めに、レベルを最大値まで上げカンスト。それほど嵌り込んでいるわけでもない晃陽とのタッグプレイにもかかわらず、熟練のギルドパーティを差し置いて次々と重要イベントを制覇。


 晃陽が付いてこれなくなっても、実質的なソロプレイで入手難度の高いアイテムを手に入れ、大規模ギルドから十件以上の勧誘を貰うまでになったが、そのすべてを断り、『孤高の侍プレイヤー』と、ゲームの公式掲示板で祀り上げられるまでになった。


 ここまで、僅か一週間の出来事である。


 気立ても顔立ちも良いクラスの人気者だった少女が、あっさりと中学生ゲーム廃人となってしまったのだ。


 流石の晃陽も、これには正直ひいた。自責の念にすら駆られた。誰かから怒られたりしないだろうかと不安にもなっていた。


「―――あれ、夢なのか?」


 と、口をついて出た言葉に、自分でも驚いた。


 夢だと? どうして、そんなことを思ったのだろう。


 そして気付いた。


 さっきから、誰ともすれ違っていない。


 夜勤明けの父の同僚。

 新聞配達の自動運転車。

 朝のジョギングをしている中高年。


 音もない。


 鳥のさえずり。

 虫のささやき。

 木々のざわめき。

 風のそよぎ。


 聞こえるのは、自分の靴音。「なんだ……これ」という、自分の声。


 そうだ。なんなのだ、これは。


 いつまで経っても空は黒い天幕を張ったような闇で、その地平の遥か向こうから、わずかにこもれる淡い光だけが、自分の周囲を照らしている。街灯すら点いていない。


 だが、そんなことは些末なこと。そう思えるほどの威容いようが、晃陽の目に飛び込んでいた。


 とう


 何の装飾も造形もない、円柱形の塔が、二色町の中心部と思われる部分に屹立きつりつしていた。


 さらに晃陽を驚愕、畏怖させたのが、その高さだった。


 真っ暗な雲を突き抜けるほどの大きさ。

 恐らく、数十キロメートルはあるだろう。


 そんな世界記録を大幅に更新する建造物が立ったというニュースは知らないし、二色町のあの場所に、塔など立っていないはずだった。


 晃陽は、見上げ過ぎて首の痛みを覚えたところで、我に返った。


「―――ッ」


 数歩後ずさったあと、塔に背を向けて走り出した。


 あれは、駄目だ。そう、本能が告げていた。


 自分は、ここに居てはいけない。


『―――!!』


 動物的な勘は、当たった。


 頭の内側を殴りつけるような獣の鳴き声が轟き、思わず足を止めた。


「なんだ……」


 自宅へと向かっていた晃陽を待ち受けていたのは、“影”だった。


 薄暗い中でもそれと分かる真っ黒な輪郭。四足の獣の姿。それが、三匹。


 目はなく、鼻腔もないが、口はある。


『―――!!』


 それを大きく開け、再び、頭の内側に響く吠え声。


 晃陽は、再び回れ右で走り出した。当然というか、“影”は追ってきた。


「なんだなんだなんだなんだなんだなんだこれは」


 完全にパニックに陥った頭で、懸命に足を回転させ減らず口を増やす。


 すると、少し冷静になり、社宅からできるだけ離れないように走り回ることができた。


 だが同時に、敵があの三匹だけで済まない事にも気付いてしまった。


「くそっ」


 大きな靴音を立てて走っていたので、仲間が集まってくるかもしれない。


 どこかに隠れなければ。そう思ったとき、晃陽の身体は、社宅から南に一キロほどのところにある、二色にしき神社にあった。


 夕方に鳴る鐘の謎を解くなどと勇んで、随分と罰当たりなことをしてしまったことも忘れ、晃陽は、神にすがるように鳥居をくぐり、境内に入っていく。


 後ろを見る。

 “影”の姿は無い。

 いたのか?


『―――!!』


 そんなわけはない。全力疾走は緩めず、晃陽は社殿の中に飛び込み、扉を閉めた。


 鍵は無いかと探す。かんぬきがあった。焦る頭と身体で、それでも閂を入れた。そのまま、板の間にへたり込んだ。


「ふぅー」


 大きく息を吐く。


 不思議なことに、息切れはしていなかった。


 お世辞にも運動神経が良いとは言えない自分が、何故あの犬型の影から逃れられたのかもよく分からない。しかし、今考えるべきは、そのことではない。


 晃陽は、ゆっくりと立ち上がると、目を凝らした。こちらも妙なことに、光源もない中は、外並みの明るさを保っていた。


 そんな社殿の中で、晃陽はまた異様なものを発見した。


 仰向けになって眠っている、少女だった。

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